第9話 馬は機械じゃない。ちゃんと心あります。キリッ
人間って、案外わかりやすい。
江間夫人の目的が“高峯先生”だってことは、マリリンが断言する前から何となく気づいてた。
でも、毎回にんじんを持ってきてくれるし、声をかけてくれるし、僕たちには優しいからまあよしとしよう。
背中は、相変わらず重いけど。
(あのテンションで2鞍連続は……なかなかの重労働だよ、ほんと)
そう思いながら、僕は放牧場の木陰で草を噛んでいた。
そこに、のそりとやって来たのが――
「……なあ、オリヴィエ。
おまはん、フランスから来たんやろ? ほんなら、なんか知らんか?」
放牧場の木陰で、プリンじいさんがのんびりと声をかけてきた。
「え?」
「デカルトって人、フランス人らしいやん。昨日な、見学に来てた大学生の子らが喋っててん。
“動物は機械”やって、デカルトっちゅうおっさんが言うてたらしいんや」
「……機械?」
「そうそう。“魂はなく、痛みはただの反射”やと。
なんちゅうか、馬を歯車みたいな道具って思うてたんやな、きっと」
オリヴィエは黙って草を噛んだ。味がしなかった。
(……僕たちは、そんなふうに思われてるんだろうか)
「まあ、わしもむずかしいことは知らん。けど、“動物機械論”いうらしいで。ずいぶん偉い哲学者らしいけど……ちょっと冷たすぎるわなあ」
そのときだった。
「馬や動物たちを”機械”だなんて、ひどい話だな」
背後から、低く、静かで、響く声がした。
「……カスパルさん!」
振り返ると、いつの間にか、そこにカスパル先生が立っていた。
「ついに来た」「“禅の老師”モードや……!」
いつものように落ち着いた瞳で、オリヴィエをじっと見つめながら、カスパルは言った。
「デカルトの話だね。
彼は“自分で考えていること”だけを信じるって決めた人だった。
でも、“考えているように見えないもの”……つまり動物や自然には、“心がない”と決めつけてしまったんだ」
「……ひどいですね」
「うん。
彼にとっては、それが“科学的”だったのかもしれない。
でも……自分とちがう生き物の中に、心があると認めなかった。
それは“考えること”が得意な人間の、ちょっとした落とし穴かもしれないね」
カスパルは静かに、空を見上げる。
「でも今、人は少しずつ変わってきているよ。
“アニマルウェルフェア”という言葉がある。
動物を、感じ、考え、尊重される存在として扱おうという考え方だ。
ドイツでは法律にもなっている。
“動物はモノではない。感覚と感情を持つ存在”と定義されているんだ」
「……そういえば、日本に来る前、日本について勉強してたんですけど、江戸時代、“生類憐れみの令”っていうのがあったって。ちょっと極端な法律だったけど、命あるものを大切にするっていう、そういう精神だったって」
「その通り」
しばらく、沈黙があった。
ーーオリヴィエが、ゆっくりと口を開いた。
「……僕らは“機械”じゃないって、僕はぜったい信じられるんです。だって…….」
カスパルとプリンが、そっとオリヴィエを見る。
「僕、背中に乗ってる人がうれしい時、わかるんです。
楽しそうなとき、焦ってるとき、怖がってるとき……ぜんぶ、背中から伝わってきます。
言葉で何かを言われなくても、馬って、気づくんです。
……感じるんです、相手の気持ちを」
プリンが、少しだけ頷いた。
「あるな……それ。あるあるや」
「この前、江間夫人がなぜだか知らないけどすごく落ち込んでて、でも笑ってたんです。
でも、背中がずっと重たくて……ああ、無理してるんだなって、わかった。
そういうのって、僕らには、見えないけど……見えてるみたいな感覚で、伝わるんですよね」
カスパルは目を細めて言った。
「だからこそ、”馬は人の心を映す鏡”とも言われる。
言葉を交わさなくても、心と心を照らす鏡のように、人の本当の気持ちが、君たちには見えるんだ」
オリヴィエは、小さく笑った。
「だったら、“機械”なんかじゃないですよね。絶対に。
むしろ……人より、人のこと、わかってるのかもしれません」
カスパルは、そっと鼻先でオリヴィエの額に触れた。
「君の背中には、いつも誰かの気持ちが宿っている。君は、それに耳をすましながら、今日も生きている。」
沈黙が流れる。
そのあと、プリンが小さく鼻を鳴らした。
「……わし、ちょっと言いすぎたなあ。
デカルトの話もそうやけど、こう、“おもろそうやな”って思ったら、つい話してまうんや」
「でも、ありがとう。プリンさんのおかげで、カスパルさんの話、聞けました」
「おう、それならよかったわ。……ほんなら、わしが道具やなくて、“導火線”やったってことで」
「……うまいこと言ったつもりですか?」
「うん」
オリヴィエは思わず吹き出した。
その日、オリヴィエの背中は――
ほんの少し、軽くなっていた。
風が、やさしく草を揺らす。
その風が運ぶにおいは、
遠い山の木々や、だれかの心の奥の、なつかしい気持ちかもしれなかった。
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