第8話 木曽馬プリンさん、昔 武士だったってよ。
人間の世界は今日もにぎやかだ。
午前のレッスン時間、高峯先生の周囲には“高峯ガールズ”がキャッキャしてる。
その視線の中心にいるのは、例によって江間夫人。
騎乗しながらもテンション高め。
下馬してからも、声が高め。
“高峯ガールズ”とは何かって?
ちゃんと説明するからちょっと待ってて。
(今日も午前・午後の2鞍コース……背中、頼むから耐えてくれ)
オリヴィエは、放牧場で肢を軽くほぐしながら、ため息をついた。
このところちょっと変化があった。
江間夫人がひとつ上のクラスに進級したのだ。
それにともなって、なぜかオリヴィエも一緒にクラス変更。
僕は1番下のクラスの担当で、江間夫人とはここでお別れになるはずだった。
なのに「オリヴィエはスーパーホースだから大丈夫」ってユウナ先生がオーナーに言ったらしい。
それで、僕も江間夫人と一緒にクラスが上がり、担当インストラクターも、ユウナ先生から高峯先生に変わった。
高峯(たかみね)先生は、元・障害飛越の選手で、今はクラブの常勤インストラクター。
初対面の印象。
座る位置も安定、指示も明確。
でも……それがなんか怖い。
言葉にトゲはない。でも、無言の時間が刺さる。
「あの子、ちょっとペース遅いですね」
その一言で、隣の馬が一瞬で緊張状態になるレベル。
だから僕の担当が高峯先生に代わってからというもの、どういうわけかラクが何度も何度も
「……大丈夫?」
と聞いてくる。
「高峯先生、大丈夫そう?ちゃんと自分守れてる?」
「僕はサラブレッドじゃないから、ラクほど心配性じゃないよ」
その言葉に嘘はない。高峯先生との関係は今のところ悪くない。
理不尽なムチもないし、もちろん暴力を振るわれたこともない。
たぶん、うまくやれてるのは――僕がけっこう“察しのいいタイプ”だから、かもしれない。
高峯先生の指示はけっこうハードだから、
「え、それやるんですか?」って一瞬思うような、ギリギリの要求がくることもある。
でも、僕はそういうのを先回りして察して、できるだけスムーズに応えるようにしてる。
そうすれば、イヤな思いをしないで済むから。
結局、乗ってる人より、インストラクターの出す空気を読むほうが大事なのかもしれない。
……正しいかどうかは、わかんないけどね。
それより気になるのは、あの熱視線だ。
(あれ……乗馬レッスンというより、まるでアイドルの撮影会……?)
そう、“高峯ガールズ”のことである。
全員、年齢層高め。目つきは鋭め。
初めて彼女たちを見た時は、好奇心でレッスン中、何度もガン見してしまった。
何しろ女性会員たちが大勢、高峯先生のレッスンを見に来るのだ。
ベンチに座って、手に持ってるのはスマホか望遠レンズ。
高峯人気がこれほどまでとは。
そういえばクラブの更衣室でこんな会話を聞いたことがあった。
「高峯先生ってさ、反町隆史にそっくりよね。かっこいい」
「え〜? 玉木宏じゃない?」
「そうそう! あのクール系でちょっと影ある感じ!」
「ハンサムよね」
どうやら、高峯先生の“あの雰囲気”は、マダムたちに刺さっているらしい。
(……そりゃ、レッスン見に来るわけだ、てか、推し活)
そして、オリヴィエは、ふと思った。
(もしかして……エンマ夫人って、“乗馬が上手になりたい”からじゃなくて、“高峯先生のレッスンを受けたい”から来てるんじゃ……?)
放牧中、ふとしたタイミングで、僕は小声でマリリンに聞いてみた。
「ねえ……エンマ夫人って、ほんとに乗馬上手くなりたくて通ってるのかな?」
マリリンは顔を上げて、少しだけ意外そうにこちらを見ると、すぐ鼻で笑った。
「なに言ってんの、オリヴィエ。目的は“かっこいいインストラクター”に決まってるでしょ。乗馬クラブあるあるじゃないの」
「え、あるあるなの……?」
「あるある。私たち馬のこと、カワイイカワイイって言ってたくせに、本当はそこまで興味ないのよ。会えて、喋れて、教えてもらえるアイドル――それが彼なのよ」
「……なんか、馬としては複雑です」
「まあね。だけど女って、そういうものよ。覚えておきなさい、坊や」
ちょっと暑苦しい日だったけど、マリリンは涼しげな顔でそう言った。
(……そういうものか)
強い風が吹き始め、汗ばんだ首筋が心地よかった。
* * *
「おーい、オリヴィエ! まだバテてへんか〜? 連チャン騎乗でヘロヘロになってんちゃうか〜?」
プリンじいさんがのんびり近づいてくる。
続いてマリリンとラクもやってきて、自然と小さな馬たちの輪ができた。
「もうちょっとで背中から蒸気出そうです……」
「まーた午前も午後も乗られたんか」
「ええ……“専用馬”ですから」
「うわぁ、それは“ローズガーデン名物・連続騎乗地獄”やな」
「……正式名称やめてください」
ラクがちょっと気の毒そうにオリヴィエの背中をのぞく。
「でもさ、見てるとやっぱり……江間夫人、楽しそうではあるよね」
「楽しいなら、せめて軽く乗ってください……」
そのとき、プリンがぽつりと呟いた。
「……まぁ、わしも昔は“乗っとった”側やしなあ……」
「えっ?」
「武士やったからな。坂東の。馬を駆けて、戦場を駆け抜けて……信玄公の密命でな……」
「きたきた」
マリリンがすっと目を逸らし、ラクが優しくうなずいた。
「はいはい、プリンさんの昔話ですね」
「昔って戦国時代とかですか?」
「いや、“加賀美 左馬之助”ちゅうてな。地形にも詳しゅうて、甲斐国には信玄公の”棒道”っちゅうのがあってやな」
プリンが語り出すと、ラクは「うんうん」と素直に聞いているし、マリリンは器用に片耳を閉じている。
オリヴィエはちょっと遠くを見た。
(もしかしてこの話、みんな聞き慣れてる……?)
「せやけどな、ワシは思うねん。馬として生まれ変わったいうことは、これはこれで、意味のあることなんやろうって」
「……それって、つまり前世の記憶があるってことですか?」
「あるような、ないような。風の匂いとか、土の踏みごこちが時々なつかしく感じるだけや。……せやけど、時々“使命”みたいなもんが、ふっと心に宿る時があるんや」
マリリン(ぼそっ)
「出た、“使命”」
ラク(こくり)
「出ましたね、“使命”」
プリンはちょっとだけ不満げに鼻を鳴らした。
「ま、ええわ。そのうちおまはんらにもわかる日が来るかもしれん」
沈黙。
オリヴィエは少しだけ笑った。
「なんだか……そういうのも、悪くないですね」
夕方の風が、草をやさしく揺らしていた。
どこか遠くの山の匂いがした。
それは、プリンだけでなく、彼ら全員にとって――
ちょっとだけなつかしい“どこか”の匂いだったのかもしれない。
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