第4話 カワイイって言っときゃ何でもゆるされるって、ホント?

火曜日は馬休日ーつまりは馬たちの休日ーなので、お客さんは来ない。


ローズガーデン乗馬クラブは、どこもかしこも、のどかな風が流れている。

いつもすましたクラシックがかかってるスピーカーから、今日は軽やかなJ-POPが聞こえてくる。


馬房の窓から顔を出して、僕、オリヴィエはそのメロディに思わず耳を傾けていた。


「……初めて聴いたけど、なんか好きかも。ねえ、この曲、知ってる?」


馬房のお隣さん、元競走馬のラクに話しかける。

「ミセス、かな」

ボソリと、すぐに返事がきた。


「ミセス?ということはフランス語ではマダム、という意味だね。つまり”エマ夫人”の“夫人”っていう意味かな?」

ちょっと得意げに返したフランス出身の僕に、ラクはあきれたように鼻を鳴らす。


「バンド名だよ。Mrs. GREEN APPLE」

「……」

「……」


僕はちょっと照れながらも、この音楽が胸にしみる理由を考えていた。

“カワイイ”とか“癒し”とか、そんな記号じゃなくて、もっと奥のところに届く何か。


それからしばらく僕とラクはミセスの音楽を静かに聴いていた。


スピーカーから音楽が消え、正午のチャイムが鳴った。


そのタイミングで、僕はまたラクに話しかけた。


「……あのさ、ちょっと言っていい?」

「なに?」


「僕、日本に来てから、というかここに来てからずっと“カワイイ”って言われすぎて、ちょっと複雑なんだよね」


ラクは一瞬きょとんとした後、くすっと笑った。


「ああ、人間の言う”カワイイ”は、油断ならないよね」


「油断ならない」ってどう言う意味?って聞き返したかったけど、僕はその言葉をのみこんで代わりにこう言った。


「……なんかわかる気がしてきた」

「わかってくれる?なんかちょっと嬉しい」


ラクははにかみながら、鼻先で藁をいじった。



***



その時、ふと気づいた。

──あれ、そういえば、プリンじいさんの声がしない。


いつもなら、何かと口をはさんでくるのに。

「ミセス言うたら、ワシらの時代は…」とか、

「その歌はな、草の味と同じくらい奥が深いで」みたいな謎の名言が飛んでくるはずなのに。


今日に限って、あのちょっと古びた関西弁も、軽口も聞こえてこない。


僕はそっと後ろを振り返って、馬房の列を見やった。


……いない。


もしかして装蹄師さんが来てるのかな? それとも、獣医さん?

いや、ただ昼寝中かもしれないけど……。


(ため息ひとつ)


口数の多いプリンじいさんがこの場にいない。

――なんだか、ちょっと物足りない。


不思議だよね。

あれだけ喋ってうるさいと思ってたのに、いないと、ちょっと寂しい。



***


昨日──月曜の午後。

江間(エマ)夫人の初レッスンに、僕は呼ばれた。


「じゃあ、鞍にあがってみましょうか」

僕のことを担当してるインストラクター、ユウナ先生のやさしい声。


江間夫人とみんながひそかに呼んでるその女性は僕の背にまたがった。

ゆっくりと、慎重に。


でも……その直後に背中に来たのは、「ズシン」という衝撃だった。


「かわいい……ほんとに、かわいい……」

「オリヴィエ、ありがとうね……」


……うん、気持ちは伝わる。ほんとうに感謝してくれてる。

でも僕の背中は正直だ。


座骨がピンポイントで沈んでくるし、速歩ではリズムがズレてピストン式衝撃。

ごめんねって言われても、背中が地味に鳴る。


「ありがとね、オリヴィエ。やっぱり初めての人には、あなたが一番頼りになるわ」


ユウナ先生はそう言って僕を褒めてくれた。

けど、正直ちょっと、疲れた。


これから僕はずっとこんなふうに人を乗せなくてはならないのだろうか?


当たらない予感であってほしい。


***


翌日。放牧中。

僕が草を食んでいると、マリリンがブロンドのたてがみをなびかせながら、すっと近づいてきた。


「どうだったの? “エマ夫人”の乗り心地は?」


「んー……気持ちは優しい。でも……ズッシリ系だった」


マリリンはふっと笑った。


「……気持ちはラテ、背中は餅、みたいな?」

「それそれ!」


マリリンはフフフと笑いながら、ふいに視線を外して、尾を軽く振ると、そのまま草のほうへ歩いていった


代わりに我らが老哲学者こと、ドイツ出身のカスパル先生がゆっくりと近づいてきた。


「マリリンのこと、知ってるか?」

彼は僕にだけわかる声で、ぽつりと続ける。


「彼女は、オランダから来たすごい馬場馬だ。全盛期は過ぎてると人間たちは言うがね。それは一面的なものの見方にすぎない。それに馬場馬術っていうのはな、ただ技を見せるんじゃない。“気品”が動くんだよ」


僕は、向こうの木陰でたたずむマリリンのシルエットを見つめた。

秋の光のなか、金色に輝く美しい栗毛。


──いつか、彼女の演技をこの目で見てみたい。


それがどんなにすごいのか、いまはまだわからないけれど。


でもたぶん、僕の“カワイイ”とはまるで別の次元で、

マリリンは華麗に踊るのだろう。


(第5話につづく)

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