滲む足跡──濡れた影が囁く夜

naomikoryo

第1話 スーパーでの怪異

「よろしくお願いします」


深々と頭を下げながら、由美は背筋を伸ばした。


久しぶりの仕事。結婚してからというもの、家計を支えるために節約に励んできたが、そろそろ娘の教育費を考えなければならない。旦那の収入だけでは不安があった。そこで見つけたのが、家から徒歩圏内のスーパーのパートだった。


仕事内容はレジ打ち。単純作業ではあるが、久々の仕事復帰に少し緊張していた。


「こちらこそ。何かあったらすぐ聞いてね」


店長の佐藤がにこやかに笑う。50代半ばの穏やかな男性で、長年このスーパーに勤めているらしい。他のパート仲間もほとんどが主婦で、みんな親切だった。


──けれど、初日から少しおかしなことがあった。


◆レジに立つ女

慣れない手つきでバーコードをスキャンしていると、ふと、視線を感じた。


レジの列には何人かの客が並んでいたが、その中に、妙な女がいた。


30代くらいだろうか。細身で、色の抜けたような白っぽいワンピースを着ている。髪は長く、顔がよく見えないほどにうつむいていた。


「……いらっしゃいませ」


由美が声をかけると、女はわずかに顔を上げた。


その瞬間、心臓が跳ねる。


目がない──いや、黒く潰れている。


まるで目の部分だけが影になっているかのようだった。


由美は思わず手を止めた。何かの見間違いか? 目をこすり、もう一度見ると──女の顔は普通に戻っていた。


(気のせい……?)


そう思いながらも、ざわざわとした不安が胸の奥で広がっていった。


◆ロッカー室の囁き声

シフト終わり、ロッカー室で荷物をまとめていると、どこからか声が聞こえた。


「たすけて……」


耳元で囁くような、かすかな声だった。


びくりと身を固くする。ロッカー室には誰もいない。風か何かの音だろうと自分に言い聞かせ、ロッカーを閉める。


ふと、壁にかかった鏡が目に入った。


──そこに映る自分の肩のあたりに、誰かの手の影が伸びていた。


咄嗟に振り向く。でも、何もない。


「……気のせい……だよね?」


そう呟いて、急いでスーパーを後にした。


◆自宅での異変

「おかえり」


帰宅すると、娘の美咲がテレビを見ながら迎えてくれた。旦那はまだ帰宅していない。


「今日、初日どうだった?」


「うん……まあまあね」


妙なことがあったとは言えず、適当に流した。夕飯を作りながら、やっぱり気のせいだったのだろうと考える。


──しかし、その夜、違和感は家の中にも広がっていく。


夜中、ふと目が覚めた。隣では旦那が寝息を立てている。喉が渇いたので台所に行こうと布団を抜け出した、そのとき。


ギシ……ギシ……


廊下の先、娘の部屋の前で、何かが動いている気配がした。


(美咲? トイレにでも起きたのかな)


そう思い、そっと襖を開ける。


──誰もいない。


娘は布団の中でスヤスヤと眠っている。


では、さっきの音は何だったのか。


背筋がぞくりと冷たくなる。


そして翌日、由美はスーパーでまた、あの女と出会うことになる。

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