スカー・レッド

清水 臥龍蛇

スカーレッド

――昔々、とある村にて。


少女と祖母は、狼に食べられた。

喰われたはずの少女は、血に染まりながら腹の中から這い出した。

それは奇跡と呼ばれたが、違った。

呪いだった。


彼女は言葉を話し、泣くことも笑うこともできた。

けれど、人間ではなかった。

目は夜を見通し、耳は草の上を這う虫の音を聞き取った。

噂はすぐに広がり、少女の家族は村人に“人狼の一味”として殺された。


あの日から、少女は名を捨てた。

代わりに得た名は、スカーレッド――紅く、傷ついた、獣狩りの名。



その日、小さな村に旅人が訪れた。


背は低く、丸眼鏡に白髪まじりの三つ編み。

猫背で、無言で歩く、冴えない女だった。


村人たちは眉をひそめた。


「こんな婆さんが……ハンター?」「冗談だろ……」


だが、村の外れでは数日前から家畜が消え、夜毎に遠吠えが聞こえた。

“奴ら”の気配が近い。

村長が訊ねる。


「……あんた、本当に狼狩りの人間かね?」


「記録係ってとこですね」

女はぽつりと答えた。

「書くだけです。でも、撃つのも嫌いじゃないです」



その夜、霧が立ちこめる村外れ。


森から現れたのは、一匹の人狼だった。

だがそれは、よく見る形ではなかった。


両腕の代わりに、鳥のような翼。

滑空し、屋根の上から急襲する。


「翼か……でも手を捨てたか。馬鹿ね」


冴えない女は、懐から銀の回転式拳銃を抜いた。

一発。

獣の脳天が爆ぜ、翼は羽音を残して崩れ落ちた。


「変異型。しかも失敗作」


そのとき、背後から咆哮が響いた。


別の人狼。

今度は巨大な体躯に、猪のような牙。

突進とともに、地面が揺れる。


彼女は、静かに銀の散弾銃を構えた。

二発。


咆哮が止み、牙は地面に刺さったまま崩れた。



村の子供が、背後からそっと声をかけた。


「……あなた、本当にハンターなんですか?」


彼女は小さく笑った。


「そう見えないなら、今のうちに寝なさい。

 ――夜が満ちる前に」



その夜は、満月だった。


月光が差し込むと、冴えない女の姿が変わる。


髪は金に煌めき、背筋はすっと伸び、

ローブは鮮血に染まり、瞳は紅玉のように輝いた。


丸眼鏡は砕け散り、彼女は紅き狩人へと変わった。


“スカーレッド”――その姿こそ、伝説の狩人。


彼女は森へと歩を進める。



群れがいた。

十数体の人狼。

中には声を重ねて発する個体もいた。


「たすけて……ぼくだ……こっちにいるよぉ……」


声真似。**“マザーズ・ヴォイス”**と呼ばれる模倣型。


だが、スカーレッドは表情ひとつ変えず、声の主の頭を撃ち抜いた。


「騙すなら、せめて懐かしい声を選びなさい」


一体、また一体と撃ち倒し、裂き、焼き、血を浴びながら彼女は進む。


人狼たちはやがて、恐れ始めた。

伝承の“紅き女”が、今まさに自分たちを狩っていると理解した。



そのときだった。


彼女の背後に、あの少年が立っていた。

震える手で、彼は言った。


「おねえさん……どうして、ぼくに銃を向けるの?」


彼女は冷たい声で囁いた。


「昨日の夜、他の人狼は君に牙を剥かなかった。

 匂いで、君が“同族”だと気づいたからよ」


少年は叫んだ。


「ぼくは人狼じゃない! 家族は人狼に殺されたんだ!」


「……そうよ。

 君の家族は、人狼に殺された。

 そのあと、君も喰われた」


「……え?」


「君はもう死んでた。

 今ここにいるのは、君の声と顔と記憶を真似た怪物」


少年の顔に、苦悶の表情が走る。


その体が、ゆっくりと変化を始める。


毛が生え、骨がきしみ、目が紅く染まる。


「いや……やだ……ぼくは……」


人間のふりをした狼は、本性を露わにした。


その瞬間、銀の弾丸が額を貫いた。


少年は人狼の姿で崩れ落ち、やがてその顔は、人間の少年の顔に戻っていた。


安らかな顔だった。



満月が沈むころ、スカーレッドはふたたび冴えない女へと戻った。

猫背で、丸眼鏡の、何の変哲もない旅人の姿。


彼女はふと振り返り、月の名残に呟いた。


「……どっちが本物だったのか、私にも分からないのよ」


そして、彼女は歩き出す。


銀の銃と、血に濡れたローブを抱えて。

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スカー・レッド 清水 臥龍蛇 @taka1549

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