これも夫婦の幸せだ!

 裸エプロンに近い格好って、そうだなTバックビキニはあるかな。あれも物凄いもので、体を隠してくれるのは、股間と胸の申し訳みたいな最小限の布だけだ。あんな格好になりたいと千草は思わないけど、それに比べると裸エプロンの布面積は比較するのもアホらしいぐらい広大だ。


 そりゃ、本物のエプロンだから、前からの視線は余裕で遮ってくれる。そうでなくてはエプロン本来の機能は果たせないからね。サイドだってそうで、後ろになってやっと互角ぐらいだろ。


 それでも、どちらが恥ずかしいかと言えば裸エプロンだ。だってだぞ、Tバック水着で海やプールに行くのはいるじゃないか。その手の変なデモとか、パレードに繰り出して来る女すらいる。


 そんな女でも裸エプロンで外を歩いたりしない。そんな事をすれば猥褻物陳列罪になるのだよ。人としての一線を越えてしまうのが裸エプロンなんだ。だから千草もいくらコータローに頼まれてもそうは簡単に応じられなかったし、今だって抵抗感はバリバリある。



 さて裸エプロンになるには、まずすべて脱がないといけない。そうするしか無いのだけど、この時に怒涛のように押し寄せる恥ずかしさは他に例えようがないんだよな。素っ裸になるし、そこにエプロンなのはもちろんある。


 でもそれだけじゃい。とにかく恥ずかしさの極みに達してしまう。この感覚は薄まるどころか日に日に強くなってるとしか思えないんだよ。今だって最後の一枚に脱ごうとしてるけど、手も震えて来てるし、足もそう。


 千草の体は全部見られてるし、全部愛されてるし、コータローに思う存分開発されまくってる。つまりすべてをとっくに知られてしまってる。夫婦だから、それがどうしたって話だけど、それなのに途轍もない羞恥心の中に今だっている。


 見られるのは夫であり、妻である千草の体のすべてを知っているコータローなんだ。もっと言えば昨夜だって旅行最後の夜だからコッテリ可愛がってもらってる。なのにだ、たかが裸になるだけでここまで緊張、それもガチガチの緊張状態になってしまうんだよ。


 これもコータローは千草にそうなるマジックをかけたと言ってたけど、そんなマジックがこの世にあるものか。催眠術を使っても無理のはず。クスリだってあるはずないもの。たとえあったとしても作用は逆だ。


 エロ小説の定番アイテムに催淫剤なるものがある。現実にはそんなものは存在しないとされてるけど、あれが呼び起こす効果は感度の極度の上昇とか、それにともなう性欲促進効果だろ。一部のドラッグにそういう効果のあるものはあるとも聞くけど、とにかく千草に起こっているのはまったく逆の作用だ。


 これはもう毎度毎度経験させられまくってるから、どんな効果かの説明は簡単なんだ。今の千草の心と体は、男を知らない処女がこの恥ずかし過ぎる格好させられてる感覚なんだ。こんなものいくら恋人相手でも羞恥心と緊張しか起こらないだろうが。


 着替え終わったからコータローに見せないと行けなんだけど、これにどれだけの勇気が必要な事か。はっきり言うよ、顔なんて真っ赤になってると思う。いやなってる。コータローによるとこの感覚って一生続くとか言ってたけど、なんかそうなりそうな気がする。


 覚悟を決めてコータローの視線に晒したけど、とにかくコータローは喜んでくれる。ただコータローからの視線は強烈なんてものじゃない。その中には千草への煮え滾る劣情はもちろん含まれてる。裸エプロンの日はとにかく激しいからね。


 ただね、それ以外のエッセンスもあるのは気づいてた。あれはなんだと思ってたけど、この格好だから、心が幼かった時代に戻るで良いのかな。これって、どう説明したらわからないのだけど、どこかでこうでいたいの気持ちがあるんだもの。ええい、聞いてやれ、


「オレにしたら、千草はやっぱりエプロンやねん」


 話ながら、やっとこさ思い出した。あのオヤツに裸エプロンのその後だ。その格好のまま、おママごとになったんだった。コータローの実家には、あれなんて言うんだろ。


「オレらは渡り廊下って言うとったけど、あれってホンマの渡り廊下やないな」


 そうなんだよね。コータローの実家は母屋と、あれって離れだったの?


「洋館って呼んどったわ」


 その間をつなぐような屋根付きのところがあったんだ。だったら渡り廊下になりそうなものだけど、入口同士を繋いでいるわけでなく、床はコンクリートだった。もっともかなり大きなもので、


「畳にしたら、一畳半か二畳ぐらいあったんちゃうか」


 それと屋根が高いのよ。だって渡り廊下の下で餅つきやってたはず。プールもそこに置いてあったのだけど、暑いからおママごともその下でやったのよ。だったら、だったらだよ、コータローだって、


「千草さえ良かったらいつでもなるで」


 遠慮しとく。そっか、あの時のシーンがコータローの記憶に鮮明に残されてるのか。人の記憶ってそんなもんだよね。


「あん時に千草に『あなた』って呼ばれたんが頭にこびりついてるで」


 おママごとだからそう呼ぶよね。あれだな、夏の日の楽しかった時間の記憶だね。


「おいおい、ウソやろ、千草、まさか忘れたんか」


 コータローとの最後の日は悲しかったのは覚えてるけど、


「あん時に千草は、急にエプロン姿になって、結婚してって言うたやんか」


 それはコータローの記憶違いだ。さすがに四歳だぞ。女の子の方がおませだけど、せいぜい、またおママごとをしようと言ったぐらいのはずだよ。もっとも三十年も時が経ってしまったから、それぐらい記憶が変わってしまうのは仕方ないけどね。つうかさ、それを思い出したのはあの同窓会での再会の後だろうが。


「それはそうやった。千草と会ってるうちに、だんだんと思い出して来てん」


 あの別れはとにかく悲しかったから、色んな事を口走ったとは思うよ。けどね、さすがに結婚はなかったはず。そういう言葉をそもそも知ってなかったと思うし、結婚ってどういうものかも知らなかったはずだもの。


「千草やったら言いそうやねんけど」


 そこまでおませじゃなかったはず。保育園も行ってなかったし、コータローとしか遊んでなかったもの。


「そいでも、楽しかったよな」


 それは認める。もちろん喧嘩もしたはずだけど、三十年は長いよ。嫌なことはすっかり忘れ去って、楽しかった記憶しか残ってないもの。だからと言って裸エプロンをさせるかよ。


「そやからオレにはエプロン姿の千草が焼き付いてるねん」


 あははは、そうだったかも。冬になって外で遊ぶのが寒くなってもエプロン着てたものね。コータローと赤い糸を結んでくれたのがエプロンだったとは、こうやって思い出してみると微笑ましいな。あのエプロンって捨てられちゃったのだろうね。


「どうやろ。婆さんはとにかく物を捨てる人やったけど、爺さんはなんかんだと置いとく人やってんよ。それに千草のもんやろ。というか、持って帰ってへんのか」


 おママごとセットは持って帰ったかもしれないけど、エプロンはもらったとは言えコータローの実家のものだから、


「実家もだいぶ変わってもたが・・・」


 そうなんだ。母屋は大きかったけど、あれからガタが来て、住むには問題が出て来たとか。そう言えば、汲み取り式の便所だったはず。だから離れの洋館って方を取り壊し、大きくして住んだそう。それって、


「洋館建て直した時に渡り廊下も潰してるわ。そやけど、あの納屋は健在のはずや」


 とにかく大きな納屋だったのよね。そう言えば今はお爺さんお婆さんも亡くなって、叔母さん夫婦が住んでるはずよね。


「そうや。今度行って、探してみよか」


 懐かしいな。コータローの実家に行くのなんてあれ以来のはずだもの。

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