阪九フェリー

 門司港レトロを巌流島まで含めてフルコースで観光したのは、見たかったのもあったけど、時間つぶしの意味もあったんだ。それもこれも下道魂のためになる。


「高速使わんで帰らなあかんからな」


 そうなのよね。山口に来るだけで三泊も費やしてるじゃない。帰るとなれば同じぐらいかかってしまうのが下道の宿命みたいなもの。それもだよ、同じ道を避けたりしたら、


「西国街道になってまうやん」


 大雑把に言えば国道二号で、瀬戸内海沿岸を神戸までひた走る地獄が待ってるってこと。それはいくら下道魂を燃焼さても辛すぎるから、新門司から阪九フェリーで神戸に帰ることにしたんだよ。ただなんだけど、これが十八時四十分発。


 フェリーにしたら使いやすい時刻ではあるけど、山口からなら近すぎた。別府まで行ってさんふわあも考えたけど、これ逆に遠すぎる。だから門司港レトロで遊び倒してたんだ。でなんだけど、門司港から新門司港だけど北九州カニカキロードで十キロないんだよね。


 この道も四車線あるからスムーズと予想してたら、やっぱりスムーズだった。だから門司港レトロにあれだけいたのだけど、こんな事だったら下関も観光したら良かったかも。こればっかりは欲張って乗り遅れたらシャレにならないからしょうがない。もうそろそろ新門司に着くはずなんだけどトンネルか。それを潜ると、


「次の信号左や」


 新門司港って出てるものね。次の信号も直進だな。フェリー発着場ってなってるものね。


「次は右折や」


 それ合ってるの? いやここは夫たるコータローの判断を信じよう。その代わり間違っていたらタダでは置かないからな。前に橋みたいなものが見えるからそっちだな。橋を渡って、


「ちょっとストップ」


 ほら見ろ。やっぱり間違ってたんだ。言わんこっちゃない。さっきのところは直進だって。スマホを取り出してナビを見てるけど遅いんだよ。ちゃんと確認しておけよな。


「ターンするで」


 妻たる千草の言葉を蔑ろにするからだ。橋を戻って、


「ここを右や」


 はぁ、なんにも案内なんかないじないの。こんなところを曲がってどうするの。うん、なんだよあれ。こっちから見たら阪九フェリーの案内看板が出てるじゃないか。あんなものどうやって見つけるって言うのよ。なんて不親切な。


 曲がると、あれはフェリーだ。ちゃんと案内看板出しとけよな。いくら道慣れたトラックの運転手が相手だといっても、こうやって初めて乗る客もいるんだからな。それにしても向こうに見える建物はなんなんだ。神社と言うより大陸風の御殿みたいだけど、


「イメージは鴻臚館ちゃうか」


 なんだそれ。大陸からの使節とかが来たらもてなす迎賓館みたいなものらしい。だからあんなに派手なのか。そこに行こうって言うみたい。はぁ、これってフェリーのターミナルビルだったのか。案内係がいてくれて、バイクはこっちの駐輪場に停めたら良いみたいだ。


「ターミナルビルに行くで」


 中に入れば普通のビルだ。当たり前か。阪九フェリーは予約券と乗船券をここで交換するシステムで、良かった窓口が空いてる。


「泉大津に行くのが一時間ぐらい早いからやろ」


 阪九フェリーは二航路あって、神戸に行く便と、泉大津に行く便があるのだよね。近そうだけど二航路維持できるぐらい乗船客がいるって事だよね。無くなってもらったら困るから商売繁盛を願っておこう。


 チケットをもらって二階の待合室に。定番のお土産物売り場はあるけど、後は椅子が並んでいるだけか。ここも内装は普通のビル。待合室だものね。こういう待ち時間って一人と二人では全然違うのよね。


「一人やったらスマホぐらいしか時間の潰しようがあらへんもんな」


 でも二人だとこういう時間さえも楽しいもの。うだうだしゃべってるうちに館内放送でバイクの乗り込み開始のアナウンスだ。親切じゃないの。バイクに戻ると案内の人も近くにいて、すぐに乗れるみたい。


 阪九フェリーって船の真正面から乗り込むんだ。船内に入ると、すぐに駐輪場所に案内され、どこから船室に上がるんだと思ってたらあそこか。フロントがあるのは五階みたいだけどルームキーはチケットと一緒にもらってるから六階に。


 じゃ~ん、デラックス和洋室だ。参ったか。ツインでトイレまで付いているデラックスなんだけど、これのどこが和洋室なんだ?


「わからんな」


 そうこう過ごしてるうちに出港となり、一日足らずの九州の地ともお別れだ。ということで風呂だ。このフェリーの風呂も綺麗だな。脱衣場の清潔感は女の子にとってはポイントだ。浴槽は半分がジャグジーになってるのが嬉しいな。


 それとだけど、このフェリーの浴室にはスペシャルがある、なんとなんと露天風呂付なんだよ。今日の汚れをしっかり洗い流しておこう。女の魅力に清潔感が常に求められるのは常識だ。コータローに嫌われたら大変だもの。


 すっきりしたらメシだ。ここはカフェテリアスタイルだな。もちろんビールもそろえて乾杯だ。色々あったツーリングだけど、今夜で終ってしまうのよね。レミのクソ女に絡まれたのがコンチクショウだけど、コータローは本当に頑張ってくれたと思うもの。


 なんかあれだけ走り回ったのが夢だったみたい、湯村温泉でしょ、出雲大社でしょ、津和野でしょ、湯田温泉でしょ。こんな時間を最愛の夫と過ごせるなんて幸せ以外にないでしょうが。


 コータローとの結婚は成功、いや大成功、いやいや大大大成功だ。生まれ変わっても絶対にコータローと結婚する。他の相手との結婚なんか考えたくもない。これほどの男が他にいるものか。


 でもね、ここまで刻み込まれたブサイクのコンプレックスはどうしたって拭えないのよね。だってさ、レミはまだしも石川ジョージにも情け容赦なしでブスってされたもの。わかってるよ、わかってるけど、やっぱり悔しい。


 コータローの千草への愛は痛いほどわかってる。言葉にも、態度にも、体にもしっかり証明してくれている。でもね、どうしたって不安があるの。いつか捨てられないかって。結婚して夫婦になってもその不安はどうしたって残るのよ。


「もう一杯、どうや。旅の終わりに乾杯や」


 ああ、良いよ。コータローは優しいだけじゃなく、逞しくて強いんのよ。千草のためだったら、いつでも頼もしいナイトになってくれる。ほんじゃ、改めて、


「カンパ~イ」


 ところでさ、やっぱり藤島監督は永遠の閃光の仕事を受けないの。あれこれ問題はあるだろうけど、それでも魅力的な仕事に見えるけど。


「キミノセカイを引き合いに出したから、まず受けへんやろな。あれは駄作になってもたけど、最大の原因を知ってるやろ」


 とにかく酷評されてたけど、原作から変えた部分がボロクソ言われてた。この原作からの変更だけど、基本的にありはありなんだ。キミノセカイは小説だからとくにだけど、たった二時間程度の映画に原作一冊分をすべて盛り込むなんて不可能だからね。


 だから原作のエッセンスを拾い上げてストーリーにするし、映像化しやすいところを強調したり、逆にしにくいところを省略どころかカットしたりもある。


「脇役なんかそうされてるのは多いな」


 さらにみたいな話だけど、映画的に収めるために創作部分を加える事だってある。そうしないと話のつながりが悪くなってしまう時があるのもわかる。


「場面設定を微妙に変えたりも多いよな」


 それもあるあるだ。この辺もあれこれ意見や批判が出てくるところではあるけど、キミノセカイの改変は大幅なんてものじゃなかったんだ。だってだぞ、原作に無い外国の登場人物が無理やりみたいに現れて、まるで主役みたいに大きな顔をして、


「挙句の果てに、その新たに付け加えられた登場人物の国でのシーンがゴッソリやったやんか」


 原作は国内が舞台の日本人だけの話なんだよ。見たものの感想として、無理やりみたいに付け加えられた登場人物がひたすら話をかき回して、なんの話だったかサッパリわからなくなってしまってた。


 そういうのを原作レイプとか言うらしいけど、あそこまで行けば集団レイプだなんてのもいたぐらい。そうだな、題名と登場人物の名前だけが原作通りで、内容はまったく別の話になっているってボロクソぐらいにされたのよね。


「脚本家も火達磨になってたな」


 脚本にも批判が集まったのだけど、当の脚本家があんな原作を映画になるようにどれだけ苦労しているか、何も知らない素人が口を出すなってやらかして大変な事になっていた。そこまで言うなら原作なんかに頼らずに、自分のオリジナルで魅力的な作品を書いてみろって集中砲火浴びてたものね。


「お前があんだけの本を書いてみろってのも多かったで」


 思いの外の炎上に焦ったのか、


「コケたのは監督が悪いと頑張ったものだから、手が付けれんようになってたもんな」


 でもさぁ、キミノセカイは度が過ぎてたけど、ああいう傾向の改変は多くなってる気がするのよね。


「監督も日東メディアグループって段階で受ける気もあらへんでエエと思うわ」


 そうだった、そうだった。田口プロデューサーは日東テレビだった。あそこはキミノセカイの新日放送よりあの手の改変は露骨だって評判だもの。なんでもかんでもこじつけようとして、いつもSNSで取り上げられてるぐらい。


「あの話やけど、もうババ抜きになっとる気がするねん」


 映画化にあたりパトロンとして日東テレビが口を出すのはミエミエだし、口を出せばキミノセカイの二の舞になるのは見える人には見えるはず。そうなると残るのは大失敗の責任問題になるのが社会だ。


 田口プロデューサーが今のところジョーカーを握らされてるけど、ジョーカーを握ったまま全責任を負うのが嫌だから、少しでも責任を減らそうと動き回っていると見るみたい。そっか、そっか、だからあそこまで藤島監督の担ぎ出しにこだわっているって事か。


「そんな感じやろ。実際に撮影するのは監督や。あれだけの監督にメガホンを取らせたのやから、プロデューサーとして、あれ以上はどうしようもなかったと弁明の余地が出来るやんか」


 すまじきものは宮仕えって言うけど、こんなものそもそも論になるじゃないの。どうして大失敗するのがわかってるのに手を出すんだよ。


「船頭がそう思うてへんし、誰も船頭に逆らえへんだけのこっちゃ」


 どっかの軍隊の負けた論理みたいだ。負けに不思議の負け無しは故野村監督の名言だけどまさにそんな感じ。だってさ、ヒットすると期待するから映画化権を買ってるのに、そこから寄って集って失敗するように足を引っ張りまくってるだけだもの。


「世論が読めへんメディアって吉本のギャグみたいや」


 それは吉本に失礼過ぎるぞ。

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