湯田温泉
今日の予定もだいぶ変わってしまったんだよね。本当は津和野を堪能し尽くして、ついで程度に山口市の観光もやっておこうのはずだったんだよ。なのに妙なトラブルに巻き込まれて津和野観光が尻切れトンボになってしまい、代わりに山口市観光をしてたようなものだ。
どこまでレミは祟りやがるんだ。そりゃさ、山口市なんかそうは来れないところだから観光したって良いのだけど、津和野だってそうだろうが。二泊もかけて延々とモンキーで走って来てやっとたどり着いたのだぞ。
「また来る楽しみが出来たやないか」
そうとも言えない事ないけど、きっとだぞ。どれだけ津和野を楽しみにしていたことか。そういうことで今日の宿に。山口市って大雑把には亀山公園で東西に分かれてるぐらいの感じかな。
東は観光で回ったところだけど西には湯田温泉があるんだよ。ここも歴史ある温泉ではあるけど、古湯とは言えないかも。大内氏の二十代目の弘世っていつの時代の人間なんだよ。
「観応の擾乱ぐらい人や」
余計にわからんだろうが。どうも室町時代初期と言うより南北朝時代の人らしい。湯田温泉では白狐が傷ついた足を治しているのを見たのが発見伝説らしいのだけど、その後に栄えた理由はわかりやすいな。
室町時代の大内氏は山口を根拠地してただけでなく、ここを西の京とまで呼ばれる都市にまで育て上げてる。その頃の山口は亀山公園の東側が中心街だったと思うけど、湯田温泉ならお隣だもの。雪舟だって入りに来てたはず。
維新志士の連中だって湯田温泉に来てたはずだ。そんな伝承がこの宿にも残ってるとか、残っていないとか。ついでに言えば今だって山口市は県庁所在地だものね。これで栄えなければウソでしょ。この宿も風格があり過ぎて怖いぐらいなんだけど、どうして付いて来てるの。
「せっかくやから、もうちょっと話をしたいそうや」
どんだけヒマ人なんだよ。人気どころか、日本映画界の至宝とまで呼ばれてる大監督なのに、どうして一人でほっつき歩いてるんだ。だいたいだぞ、あれだけの大監督ならお付きの人とかがゾロゾロいるものでしょうが。
「なんかそんなイメージあるよな」
あるんじゃなくて、普通はそうでしょうが。それにケチだ。どこに行ってもきっちり割り勘なんだ。
「あれはそうしてもうてる」
どういうこと?
「オレと監督は友だちや。友だちの間でカネの貸し借りはせえへんのがマナーや」
それはわかるけどさ。徹底し過ぎだよ。一円まで割りそうじゃない。それにさ、山口の観光では先導してもらったけど、さすがに時間がかかり過ぎてるじゃない。
「ああ、それか。なんか乙女峠の構想がちょっと変わったらしくて・・・」
どう撮っても宗教臭くなるとのコータローの指摘を素直に・・・受け入れるのかよ。世界的大監督だろうが。プライドちゅうもんが無いのかよ。だからみたいだけど、津和野とか山口ぐらいを舞台にしたラブロマンスに変更って・・・根本的に違う映画じゃないか。それで、あれだけ熱心に見て回って収穫はあったの?
「山口は、なんか使い難そうとか言うとった」
まあね。地方ロケをメインにする時は、その地方の色を押し出すのが基本のはず。山口も良いところだとは思うけど、ラブロマンスの舞台としたらどうかはあるかも。この辺はロケ地への思い入がどれだけのものかもあるはずだよね。
それはさておき、この旅館は新館と本館があって、本館の方は明治どころか幕末の頃からあって、維新志士も湯治や密談に使ったとか、なんとか。そんな建物が今でも残ってるぐらいだからバリバリの高級宿。
一方の新館はぐっとリーズナブル。昭和の頃に団体客対応で作ったとかで、ごくごく普通の宿。もっとも最近リニューアルしたみたいで、その分だけ高級感の演出が入ったぐらいかな。千草たちはもちろんリーズナブルな新館だ。でもさぁ、でもさぁ、藤島監督なら、
「ああそやったな」
どうも泊ったことがあると言うか、かつて良く使っていた時期もあったみたいで、宿の人が新館って知って慌てていたもの。そうだよ、あれほどの有名人なら次の間付きの豪華客室でふんぞり返るもんだ。なのにだよ、どうして千草たちの部屋に割り込みなんだよ。
「急やったから、ちゃうか」
急なのはそうだけど、旅館の人もすぐにでも部屋を用意しそうな勢いだったじゃない。こっちは夫婦旅行なんだから、ちいとは気を使えよな。こうなってしまっては仕方ないから風呂だ。
さすがは温泉だから気持ち良いな。日本人なら旅行と言えば温泉が黄金コンビみたいなものだものね。それにさ、温泉ってたいがいは美人の湯じゃないか。少しでも美人になりたいのが女心ってもんだ。
「おい、ブスの千草」
この声はレミ。なんだよ、湯田温泉の旅館まで一緒なのかよ。太鼓谷稲成で厄除祈願したのにな。それと今の千草にブスは禁句だって石見銀山で学習しただろうに・・・ああそっか、ここは女風呂だからコータローはいないの計算か。アホだろ、どうして千草が告げ口しないと信じ切ってるんだ。
「どうして千草みたいな人間除外のブスが藤島監督と知り合いなんだ」
ホント性格悪いよ。千草が人間除外ならレミは人間失格だろうが。よくこれまで生きて来れたものだ。そこから聞きたくもないのに一方的に捲し立てられたんだけど、津和野の後は大変なことになったみたいだな。
あれはテレビのミステリー番組の撮影だったみたいで、その責任者が池尻って人で良いみたいだ。ここのとこもわかりにくいのだけど、テレビでは現場で撮影にあたる人をディレクターとすることも多いけど、これを演出と呼ぶことも多いとか。
ディレクターと演出は同じような役割だけど、番組の性格によって使い分けたり、時にディレクターと演出が別にいたりもあるとか、ないとか。じゃあ、監督と呼ぶことはないのかと言えばそうでもないぐらいかな。
池尻って人が監督と呼ばれていたのは映画畑出身だからで良いみたいだ。それも津和野トラブルでわかるのだけど、藤島監督のスタッフとして働いた事のある人なのは間違いない。助監督ぐらいをしてたのかな。
とにかく池尻って人と藤島監督は師弟関係にあって、池尻って人は藤島監督に頭が上がらないのだけは見てるだけでわかるよ。そんな藤島監督からの頭ごなしの叱責を喰らったのだから、あれだけ大慌てになったはず。
千草たちが津和野を出た後も撮影は続けられたみたいだけど、そこに事態をさらに悪化させる人物が登場したのか。
「田口プロデューサーがいらっしゃたのよ」
レミの口調だけでわかると思うけど、テレビ局のとにかく大物プロデューサーとされる人。千草だって名前ぐらいは聞いたことがある。プロデューサーが現場まで顔を出すのは多くないそうなんだけど、なんで来たんだろ。
その辺はわからないけど、田口プロデューサーは藤島監督とのトラブルを聞いて烈火のごとく怒ったのだとか。撮影中のトラブルは良くないし、それを注意するのはわかるけど、そこまで怒ったのは。
「永遠の閃光をどうしてくれるんだって大変だったんだから」
永遠の閃光は社会的現象を起こすほどのベストセラー。そこまでヒットしたら映画化の話が出てくる。つうか映画化権の激しい争奪戦があったとか、なかったとか。獲得したメディアグループは、それこそ社運を懸けてのビッグプロジェクトにすると宣言してたのは知ってる。
その責任者が田口プロデューサーで良さそうだ。社運を懸けるぐらいだから莫大な資金が投入されるのだけど、コケたらどれだけの責任を負わされるかなんか誰でも想像できるものね。左遷で済めばラッキーぐらいで最悪クビになっておかしくないぐらい。
そこで監督として白羽の矢を立てたのが藤島監督みたいだ。日本でこれ以上確実なヒットメーカーはいないと思う。だけど交渉はスムーズとは言いにくい状態で良さそうだ。だって未だに誰が監督をするかの発表がないものね。
交渉が難航してる理由もわかったかな。だってさ、藤島監督はどう見ても永遠の閃光の映画化に興味がありそうに感じなかったもの。そりゃ、シナリオハンティング兼ロケハンで乙女峠の悲劇とか、津和野とか山口を舞台にしたラブロマンスに熱中してるとしか見えなかったものね。
「あんたのお蔭でこっちまでトバッチリ喰らったんだから」
田口プロデューサーはスタッフから情報を取ると言うより尋問状態になったみたいで、藤島監督が大事な人を接待中であることを知り、その大事な人をレミや石川ジョージが石見銀山で侮辱した事まで聞き出したようなんだ。
レミも石川ジョージも大目玉を喰らったぐらいかな。でもそれはトバッチリじゃなくて自業自得だ。余計な事に自分からクビを突っ込んだからそうなっただけだ。それでも番組に穴を空けるわけには行かないから、お通夜のような状態で津和野から山口にロケ撮影をして今に至るぐらいかな。
「千草に藤島監督をとりなさせてあげる。ブスだってそれぐらい出来るでしょ。感謝しなさい」
てめえは日本語を小学校からやり直して来い。ついでに禅寺で躾直されろ。頼みごとをしてるのはレミだろうが。頼む方がふんぞり返ってどうするんだよ。なにが『あげる』だ、なにが『感謝』だ。やなこったよ。
「友だちでしょ」
アホか。レミは短大こそ一緒だったけど、断じて友だちじゃない。どこの世界に友だちのヴァージンを罰ゲームの罠にかけて散らすやつがいるって言うんだよ。てめえの尻はてめえが拭きやがれ。
「見捨てるって言うの」
見捨てるもクソも最初から見てないよ。
「ブスがエラそうに。何様のつもりだ」
そっくりそのまま返してやる。いつまで学生時代の女王様気取りなんだよ。
「覚えてろ、このブス。タダでは置かないんだから」
レミは怒りまくって出て行ったけど、千草も上がろう。思わぬ長風呂になってしまって茹だりそうだよ。さて晩御飯、晩御飯。千草たちはツーリングに来てるだけで、レミなんかに関わる義理はこれっぽっちもないよ。
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