宍道湖
米子で定番の早めのランチにしたけど、さっき出雲そばの話が出たせいか、おそば屋さんにしてくれた。とはいえここは出雲じゃないから、
「大山そばやそうや」
どこにでも蕎麦はあるものだと思ったけどこれも歴史ある蕎麦みたいで、八百年ぐらい前にいた大山寺の偉い坊さんが、大山の裾野を利用して、牛馬の放牧やそば作りを奨励したのが始まりとかなんとか。
そば定食のザルにしたのだけど、十割蕎麦ってなってるな。なんか蕎麦気分だったから美味しく頂いた。米子を抜けるとドジョウ掬いで有名な安来市に入るけど、ここからがやっと島根なんだって。
中海を右手に見ながら走って行くと松江だ。ここは歴史キチガイのコータローのたってのリクエストで松江城に寄り道。
「あんな、歴史好きやのうても松江城は島根観光の定番やぞ」
さして期待せずに見に行ったのだけど、立派な天守閣なのに驚かされた。これだったらみんな見に来るはずだ。その天守閣から見えたのが、
「宍道湖や」
何度言えば覚えるんだよ。こういう時のセリフは妻たる千草が言うものだって決まってるでしょうが。今夜のタンデムは九頭龍閃でも許してやらないぞ。
「どんだけ欲しいんや」
ダブル九頭龍閃だ。
「殺す気か」
それが千草の夫にしてあげた男のセリフか。妻が望めばそれを満たすのが夫の仕事のすべてみたいなものだろうが。ダブルであろうとトリプルであろうが、妻が望めば天の声だ。もう飽きたのか、それとも倦怠期に入ってしまったのか。なんてことだ、
「アホ言え、千草が望むならそれぐらい・・・」
やっぱりやめておこう。前にマジで九頭龍閃喰らったことがあるのよ。でもさぁ、あそこまでになれば人の限度をどれだけ超えることか。そりゃ、良かったのは良かったけど、良かったを遥かに飛び越えて堪忍してくれだった。
あんなものがダブルになったら絶対に殺される。運が良くて発狂で、もっと運が良くて色情狂になるのは間違いないけど、その程度で死なずに済めば神に感謝するよ。それぐらいコータローは千草の体に性欲を滾らせまくるのだもの。
自分で言うのもなんだけど、千草のどこにあれだけ欲情できるか不思議でしようがない。そりゃ、夫が妻の体にどれだけ欲情しようが問題なんてあるはずないけど、あそこまで行けば異常だ。ホントに変態性欲煮え滾り野郎そのものなんだよね。
でもさぁ、すっごく嬉しいし、ひたすら幸せなんだ。千草にあれだけ欲情できるって、それぐらい愛してくれてる何よりの証拠だもの。その証拠を千草が欲しいだけ与えてくれるって、これ以上の幸せがどこにあるって言うんだよ。
松江からだけど、松江城まで来たから、このまま宍道湖の北岸を走ろうって。もちろん賛成した。これは良いよ。空いてるし、まさに宍道湖のレークサイドロードそのものだ。宍道湖って内海と言うより湖だから堤防が低いから良く見えるのよ。へぇ、こんなところにもJRが走ってるのか。
「あれはJRやのうて一畑電鉄や」
今は会社名が変わって一畑電車になってるとか。島根にも私鉄が走ってるとはね。電車が見えたけど、たったの二両じゃない。
「あのな、故郷かって私鉄やけど三両しかあらへんぞ」
それでも一両勝ったぞ。宍道湖も大きいよな。そりゃ、琵琶湖にくらべればどこだって小さいけど、それでも日本で七番目の大きさなんだって。東北ツーリングの時に訪れた十和田湖より小さいけど、十和田湖なんかじゃ足元に及ばないものがある。
それは宍道湖が美味しいからだ。十和田湖なんて明治になってから、やっとこさ、ヒメマスが棲むようになったぐらいだけど、宍道湖には七珍と呼ばれる美味の宝庫なんだよ。十和田湖にスズキの奉書焼も、シジミの味噌汁も、ウナギの蒲焼もないだろ。参ったか。
おぉ、どうやら宍道湖の西岸に着いたみたいだぞ。ここは平野って感じがするな。コータローに聞いたら出雲平野だって。だけど平野と言うには狭苦しい気もしないでもないかな。この辺は島根というか出雲の中心部で良いはずなんだ。
地形的には北に島根半島があって南には中国山地で、その間に中海と宍道湖がある感じ。ここは宍道湖の西側だから出雲平野と言っても南北は宍道湖の幅ぐらいになるのよね。でも変わっているというか、あんまり見たことがない地形かも。
平野ってだいたいは川の河口部に向かって広がるものだよね。だから山から海に向かってが多いはず。だけど出雲平野って東は宍道湖で西は日本海なんだよ。他にもこんなところはあるかもしれないけど千草は初めて見るような気がする。
「そうなったんは・・・」
出雲平野を形成したのは東に斐伊川、西に神戸川が流れ出してそうなったとか。それってもしかすると、
「千草の考えてる通りかもしれんわ」
太古は出雲平野も海の底で宍道湖も海に開いていた気がするのよね。それとあるんじゃない。
「今日の千草はどないしたんや。日本海側には出雲砂丘と砂山砂丘があるわ」
たいした想像じゃないけど天橋立とか久美浜湾を思い浮かべただけだよ。宍道湖からの湾口に砂の堤防みたいなものが出来上がって、その内部を川が埋め立てて出雲平野の西半分が出来たんじゃないかって、東半分は斐伊川が宍道湖に流れ込んでるから、宍道湖を埋め立てて出来たはずだよね。
「たぶんそんな感じやろな」
そうなるとだけど、
「そうやないと話が合わんやろ」
先に陸地が出来上がったのが西半分で、東側はそれに引き続いてみたな状態かな。こういうところってさ、稲作適地になるはずよね。
「明日は雨かいな」
心配しなくても千草は日本一の晴れ女だから心配しないでね。原初の稲作って沼地みたいなところに稲の種を撒いてたって言うじゃない。こんな地形だから往時は湿地帯みたいな状態だったはずだもの。
「それに加えて宍道湖の水産物も獲れたから食べ物が豊富だったと考えるのか」
そうだよ。古代文明が栄える要因は食べ物じゃない。食べ物が豊富だから人が増えるのじゃない。食うや食わずみたいなところで人なんか増えるものか、
「出雲大社のHPに縁起みたいなものが書いてあったんやが・・・」
大国主命はこの地に国を建てたんだけど、豊葦原瑞穂国と呼ばれていたとかなんとか。この呼び名は出雲だけの呼び名じゃなく日本の古い呼び方の一つだけど、弥生人が好んだ地形の描写じゃないかって。
葦原が豊かに生い茂るところって川の岸辺を指すはずよね。その川の流域に広がる湿地帯に稲作を営む様子が国名だろうってね。湿地帯だから、もっと後世の田んぼのように灌漑なんて考える必要もなかったはずだって。
今は完全に平地になってしまってるけど、大国主命が率いる出雲人が王国を立てた頃には、そんな感じだった気が千草もしてきた。
「川が適当なんも良かったんかもしれん」
こういう平野を作るような川は、緩やかなところを流れているから氾濫を起こしやすいのか。大きな川なら大氾濫となってすべてを流し去ってしまうけど、出雲平野を流れる川ぐらいなら、
「だいぶイメージがちゃうけどナイル川と古代エジプト文明の関係かな」
なんちゅう壮大な喩えだ。ナイル川は世界屈指の大河で、ナイルデルタに大きな氾濫を起こしていたけど、それを利用していたぐらいは知ってるよ。洪水は畑を呑み尽くすけど、その代わりに豊かな土壌も運んできて、そこにエジプトなら麦を育てていたはずなんだ。
出雲も斐伊川と神戸川が氾濫を起こしていたはずだけど、今のように灌漑設備が整った田んぼじゃないから、流されたって、新たな稲作用の沼地が出来たぐらいで対応してたのかもだ。
「出雲は縄文文化の匂いがあるとするのもその辺かもしれんな」
縄文文化と弥生文化の差はあれこれあるけど、今なら狩猟文化が主なのが縄文文化で、稲作文化が主なのが弥生文化ぐらいでも分けられるとかなんとか。出雲は稲作文化が大きく取り入れられてはいたけど、やっぱり川の氾濫に弱いと考えるのか。
米が十分に獲れなくても、それを補うための宍道湖の漁業も盛んで、国を支える両輪みたいな状態になっていたっておかしくないよね。その辺の食糧分配とか、陸と海の諍いを治めるために大国主命が君臨していたぐらいかな。
はっと気が付いたのだけど、千草はコータローに心まで毒されてしまっているのが良くわかる。だいたいだぞ、中学の時も、高校の時も地理も歴史も大嫌いだったんだよ。中学ぐらいの定番の県庁所在地を書けだって、
「山梨県は山梨市、沖縄県は沖縄市ってやった口か」
やったよ。栃木県は栃木市だし、茨城県は茨城市だ。言うまでもないけど石川県は石川市だ。
「島根県は島根市にしたんか」
当然だ。そもそも栃木県や茨城県、島根県すら日本に存在するぐらいは知ってたけど、それが日本のどの辺にあるかなんて完全にお手上げ状態だったもの。なのにだぞ、コータローのクソ歴史妄想に付き合ってしまってるじゃないか。ここまで毒されてしまったら、もう完全に手遅れ状態だよ。
「不満か」
宍道湖に飛び込んで死ね。これこそ夫唱婦随、亭主が好きな赤烏帽子の化身だ。これほどの妻を得られたのを、地面に頭をめり込ませて土下座して感謝しやがれ。千草はそうなれて嬉しいに決まってるじゃないか。
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