第47章「視線の温度」
横浜の夜は、潮の匂いがした。
南関東ブロック二日目のステージを終え、フロアの熱がまだ廊下に残っている。
《Break the Loop》がSNSで噴き上がり、通知音が鳴りやまない。
ことねはスマホを伏せ、両手でマイクを包むみたいにして深呼吸した。
「震えてる?」
彩葉が笑う。
「……ううん、たぶん、燃えてる」
ことねの声はかすかに掠れていた。裏拍で踏み切った足が、いまだ宙にある。
芽依はミキサーのノブをひとつ、ふたつ戻してから、短く言う。
「明日、決勝。三曲勝負。――一曲、増やす?」
「やろう。町田で始めた音を、横浜で仕上げる」
彩葉の目が、いつになく鋭い。
決勝は三楽曲の総合審査。
《Killer Candy》《LIME SQUAD》《Lady Bass》――
ここまで肩を並べた女子ユニットたちが、最後は準備してきた曲でぶつかる。
フリースタイルじゃない。楽曲で勝つ。最初から決めていたやり方で。
廊下の先、薄暗い非常口のそばに、長身の女性が立っていた。
黒のキャップ、目元に落ちる影。
MC REINA――女子ラップシーンの女帝。
(※昔のステージ名が“KURENAI”。噂でだけ知っていた名前が、目の前の温度を持つ)
「視たぜ。《Answer》も、《Break the Loop》も」
REINAの声は、低く、乾いていた。
「粗い。だけど、粗さは色だ。磨いて消すな。形にするんだ」
ことねは頷いた。言葉のかわりに、喉の奥で息が跳ねた。
「明日、三曲目は?」
「……タイトル、まだない。でも――」
ことねは芽依と彩葉を振り返る。
芽依がノートを開き、短い線を三本書いた。
町田 → 横浜 → その先
「『ライン(Line)』――かな」
彩葉が笑って指を鳴らした。
「町田から引いた線。ここで太く濃くする。全国に届く太さで」
「いいじゃん」REINAが口角だけで笑う。
「お前らの線、明日、太くなるか、途切れるか。……それだけだ」
彼女が踵を返すと、廊下の奥からわさわさと影が押し寄せてきた。
「Silent Riot〜〜!!」
東雲りなと鮎原やよいがポスターを抱えて走り込み、
その後ろで響と詩織が手を振る。
極めつけに猫丸とみのた、首輪のべすまで揃って、楽屋口はもはや縁日だ。
「べす、顔はダメ、顔は!」
彩葉が笑いながら抱きしめると、べすは律儀にことねの頬を一舐めして満足そうに座る。
「リコリスの弁当、差し入れ持ってきたから!」やよいが袋を掲げ、
「糖分は大事!」東雲がどら焼きを押し付け、
「震えたら深呼吸。音は呼吸で戻るよ」詩織が言い、
「……大丈夫。今日の“揺れ”は良い揺れ」響が短く頷く。
猫丸はムーを小脇に、にやり。
「線ってのはな、つなぐためにある。切るためじゃない。……走れ、女子」
ことねは思った。
町田で始まった音は、人に触れて、線になった。
横浜まで引いてきたこの線を、明日、もっと遠くに伸ばす。
「タイトル、決めた」
ことねはリリックノートを開き、太い字で書く。
『Line(町田→横浜→未来)』
芽依が即座にBPMを打ち込む。92。
彩葉がメロのフレーズを口ずさむ。
ことねはペンを走らせ、最初の四小節を刻む。
「町田で拾った声、横浜で鳴らす
まだ名もない熱を 未来に渡す
線は私たち 線は鼓動
ランウェイじゃない これは道路」
目を上げると、REINAがまだいた。
さっきより、少しだけ近い距離。視線の温度は、先ほどより柔らかい。
「その粗さ、そのまま行け。……消したら、たぶん終わる」
「消さない」
ことねははっきり言った。
「 Silent Riotは、粗いまま、太くなる」
夜は更けていく。
横浜の海風が、廊下の紙コップをかすかに鳴らした。
三人の筆圧が、ビートの上で同じ方向に向きを揃える。
明日、決勝。三曲勝負。
《Backstage Riot》《鼓動 -KODOU-》《Line》――
町田から引いた線の先で、彼女たちは立つ。
べすが小さくあくびをして、ことねの膝に鼻先を寄せた。
「大丈夫。行ける」
ことねは笑って、マイクを握り直した。
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