第38章「BPMと心拍と」


無音の空間に、重く刻まれるドラムパッドの裏拍。


「……またズレた」


ことねは、マイクを下ろした。


芽依がリズムマシンで示したBPMは88。

ソウルドアウトを意識した緩急のあるスウィングビートだった。


「なあ、ことね。これ、裏に入れてるの分かる?」


彩葉が拍手でリズムを取るが、ことねは首を傾げた。


「表……裏……?」


芽依がホワイトボードに「タ・タ・タ・タ」のマーカーを書き、

その間に「ウラ・ウラ・ウラ・ウラ」と書き足す。


「……ズレてるようで、気持ちいいリズム。それが“裏拍”」


「……そんなの、できないよ……リズム感ないし……」


ことねの声が揺れる。

鼓動が乱れ、目の前の拍がすべて“敵”に見え始める。



「JKとJCってなんであんなに尊いんだろうなぁ……」


隣のテーブルで揚州商人の制服を着た男が、ミラノ風ドリアを頬張りながら語っていた。


「……おい、北山。昼間っからそれ言ってると、通報されるぞ」


「いいんだよ詩織ちゃん、あれは“文化”だから」


彼女は呆れながらコーラを飲み干す。


「てかさ、お前Silent Riotって知ってる?」


「知ってるもなにも、俺の推しはことね様だからな。

もうあの子のリリック、耳から離れないっすよ。マジで。

この前、夢に出てきたもん。校舎裏でフリースタイルしてた。俺のために」


「……引くわ、マジで」



ことねは布団の中で、ヘッドホンをぎゅっと握っていた。


「裏拍って……“自分の鼓動をずらすこと”なんだ……」


その瞬間、自分の中の何かが“ビート”としてズレるのを感じた。


それは、過去――いじめられていた自分が黙っていたときに、心の中で鳴っていた“音”。


「……もしかして、わたし、ずっと裏で鳴ってたのかも」



一ノ瀬響が、Silent Riotの曲が流れるスマホを見ていた。


「……この音、震える。まるで、心を揺らすみたいに」


隣にいた詩織がふっと笑う。


「きっと“彼女たち”も、自分と戦ってるんだろうね。震感者じゃないけど、魂は同じだよ」



ことねは再びマイクの前に立った。


「……もう一回やる。今度は、ちゃんと自分の鼓動を聴いて」


芽依がビートを刻む。


彩葉が手拍子を入れる。


そしてことねが――ズレながら、ピタリとハマった瞬間


音と、ことねの鼓動が、完全に一致した。


芽依がサムズアップをする。

彩葉が笑って言った。


「やったじゃん、ことね! “裏”が、味方になったね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る