第二章「16小節の衝動」

窓を開けると、町田の空に涼しい風が吹き込んできた。

 放課後の部屋。畳の上に散らばるノート、イヤホン、筆ペン。

 その真ん中で、姫咲ことねは深く息を吐いた。


 「……書こう。ちゃんと最後まで」


 あの日、町田駅前のサイファーで踏み出しかけた一歩。

 あの続きを、今度こそ自分の言葉で刻む。


 ことねの部屋には、所狭しとCDケースが並んでいる。

 NITRO、RHYMESTER、KREVA、ZORN――

 言葉の刃を持つ詩人たち。

 彼らの16小節が、ことねの中に“武器”をくれた。


 ノートを開き、ペンを握る。

 心の中の鬱屈、不安、叫び。

 それらを“言葉”という鎖に繋げていく。


耳ふさがれて黙った日々も

心ん中じゃずっと叫んでたっしょ?

伝わらない? じゃあ rhyme で刺しにいく

無言の刃、16でcutする


制服の下 隠した痛み

誰にも見せずにしまった願い

でも今は違う 震える手ごと

ぶつけてやるよ この言葉の炎


 16小節。

 たったそれだけの世界に、ことねの全部を込めた。


 次の日、学校の屋上。

 いつものように、結城彩葉が元気よく駆け上がってくる。


 「来た来た来たー!ことねーっ!呼んだらマジで来るとはね!」


 ことねはちょっとだけ笑って頷いた。


 「……あの、ノート……完成した」


 「マジ?見せて!いや聞かせて!」


 彩葉は目をキラッキラにさせてことねの前に立つ。


 風が吹いた。

 ことねは、胸ポケットからノートを取り出し、ページを開く。

 深呼吸――目を閉じ、ゆっくりと言葉を放つ。


目立たず過ごした教室の端

だけどこの言葉、誰よりマジ

リズム刻めば世界が変わる

沈黙から生まれた一撃が鳴る


誰も気づかない視線の先で

私は私を探してただけ

でも今ここで 名前を叫ぶ

K・O・T・O・N・E――覚悟決める


 言い終わると、彩葉がしばし黙ってから――


 「やば……めちゃくちゃ鳥肌立った」


 ことねの顔がふわっと赤くなる。

 だが、どこか誇らしげでもあった。


 「ねぇ、ことね」

 彩葉が真顔になって言った。


 「やっぱさ、ちゃんと始めよ。ラップユニット。Silent Riot」


 ことねは迷いなく頷いた。「……うん」


 その日の放課後、二人は再び町田駅へと向かった。


 改札を抜けて、あの日と同じ広場へ。

 だがその日はサイファーは開かれていなかった。

 かわりに、駅前の脇――東急横の壁沿いにひとり、リズムを刻む少女がいた。


 イヤホンを片耳だけにして、MPCを膝に置き、ビートを叩いている。


 「ねえ、あの子……」


 彩葉が指さす先の少女は、ショートカットでパーカー姿。

 目つきは鋭く、何かを睨んでいるように集中している。


 少女はフンッと鼻で息を吐くと、唐突にリリックを口にした。


ノイズまみれのこの街角

Beats叩くのはこの指先だけ

言葉はいらねぇ 音があればいい

響け my way、私だけのpeace


「うわ、かっけ……」彩葉が声を漏らす。


 その声に気づいたのか、少女が顔を上げた。


 目が合った。

 無言。だが、明確な「気配」が交差した。


「……なんか、やばいの見つけちゃったかも」

 彩葉が囁く。


 少女はことねの方を見て、ただ一言だけ呟いた。


 「……あんた、声、持ってる」


 そう言ってMPCを仕舞うと、そのまま立ち去っていった。


「えっ!?名前くらい教えてってばー!」彩葉が追いかけようとするが、少女は手を挙げただけで角を曲がって姿を消した。


 ことねはその場に立ち尽くし、胸を抑えた。


 ビートと一緒に、心臓が踊っていた。


 「芽依――柴田芽依って名前、聞いたことある」

 彩葉がスマホを見ながら言った。

 「去年の文化祭のビート部門で優勝してた子。MPCぶっ叩いて会場湧かせたって有名だった」


 ことねは目を見開いた。


 「また、会えるかな」


 「絶対また出てくるでしょ、あの子。だって――なんか“運命”ってやつでしょこれは?」


 ことねは小さく笑った。「うん」


 その夜。

 ことねのノートには、こう記されていた。


“次のVerse、3人で作る”

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る