『16barsの鼓動』

猫師匠

プロローグ「声を出せない私が、叫んだ日」

教室の窓から、町田の夕陽が射していた。

 赤い光が、無機質な黒板を照らしている。


 静まり返った放課後。

 その隅っこで、姫咲ことねは、独り、ノートを開いていた。


 ページには、びっしりと手書きの言葉。

 詩でも、日記でもない。


 ラップのリリックだった。


「また…“しゃべれなかった”」


 ことねは自分の声を、小さく呪った。

 伝えたいことがあるのに、言葉が喉の奥で詰まってしまう。


 “おはよう”も、“ありがとう”も。

 他の人には、きっとなんでもない言葉。

 でも、自分には、まるで刃物みたいに尖ってる。


 だけど――


 ノートの中だけは違った。


 ことねのリリックは、激しかった。

 **苦しみも怒りも、ビートの中でだけ叫べる“声”**だった。


 その日も、校門前のサイゼリアで時間を潰してから、帰り道を歩いていた。

 イヤホンから流れていたのは、NITROやRHYMESTER、ちょっと前の般若や鬼。


 町田の駅前にさしかかる。


 ……と、そこで、耳に飛び込んできたのは――


 「Yo!こっからが本番!叫べ町田ッ!」


 若者たちが集まり、路上サイファーをしていた。

 駅前の柱を囲み、リズムに合わせてフリースタイルでラップを回している。


 人混みの外から、ことねはそっと見つめた。


「Yo、タチ悪いほどフローは滑らか

 お前のライム、まるで水なしカラカラ!」


 「フン。口ばっかなら黙っとけ

 俺のヴァースは爆弾、今から爆発オーケー?」


 ことねの心臓が、ドクンと跳ねた。


 これだ――これが、わたしの言葉のかたちだ。


 そのときだった。

 ふと、視線が交わる。


 輪の中にはいないが、柱の影でメモを取っている女の子がいた。


 結城彩葉。

 クラスでも明るくて、でもどこか“距離感のある”子。


 その子もまた、ことねと同じように――

 輪の外側から、この音に惹かれていた。


 二人の視線が交差する。

 一瞬だけ、世界が止まった。


 ことねは、そっと微笑んだつもりだった。

 けれど、唇はうまく動かなかった。


 だけど彩葉は、ニコッと笑って、こう言った。


 「……カッコよかったね。やりたくならない?」


 その一言が、ことねの心に火をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る