第三話:標語あれこれ
「……安全運転ならぬ、安全詠唱か……」
教習所の講義教室の壁に貼られている魔法教訓をぼんやりと眺める。
騎士団の教官が緊急の任務で遅れるという連絡があり、授業開始時間が過ぎているものの、未だ教官の姿はない。
かといって何をするでもなく、教室のあちこちに貼られている教訓を今更ながら目を通していた。
『酔ったら詠唱するな。詠唱するなら酔うな』
飲酒運転ならぬ飲酒詠唱も問題になるだろうが、これは冒険者全般に咎められるべきことではないだろうか。
ドワーフのような例外はともかく、飲みすぎで羽目を外したり、トラブルを起こしたりするのは、前世も今世も変わらないようだが……。
「ちょっと一杯のつもりが、つい飲みすぎて、うっかりと意図しないで魔力を込めて火球を……」ってそんな言い訳、ちょっと無理筋じゃないか? まあ生活魔法の暴走とか色々あるのだろうけれど。
あるいはここでは習わないし基本禁止されている、無詠唱の魔法行使できる魔法使いがやらかしたりしたのもあるのかもしれない。
「軽い気持ちで唱えた魔法で、街中が大騒ぎに……」なんて事件が多発したのかもしれない。
基本講習で教わっているのだが、正確な詠唱が、魔法の発動には大きく関わってくるだけに、呂律の回らない酔っ払いの詠唱は魔力の霧散だけ、で終わると思うのだが、わざわざこういう風に記述してあるということは正確でない詠唱でも発動することだってあるということなのだろう。
しかも、予備詠唱は基本段階詠唱で、広範囲になればなるほど詠唱時間は長くなる。
ちなみに段階詠唱は、前世の感覚で言えば車のギアのようなものだ。
ローギアから始めて、速度を出すにつれてギアを上げていくように、魔力を練り上げていく。
予備詠唱第一でまず魔力を込めて動かし始める。そして、放ちたい魔法に必要な魔力総量や、魔力のめぐりの速度を考えて、第二、第三と予備詠唱を繋いでいく。
繋ぎが上手くいかなくてエンスト、ならぬ魔力霧散で台無しになるところも同じだろうか。
そこまで考えて、ふとそういえばと思い出す。
魔法使いの予備詠唱の研究が進んだのか、その予備詠唱を杖内部の構造に組み込んだものが出てきているって教官が言っていたな。
予備詠唱を自動でするような杖……いわゆる、オートマ杖と呼ばれている。
前世の奴と同じで魔力を杖に込めるだけで、簡単に必要な予備詠唱をこなしてくれるすぐれものである。
最初の受付ではそういう説明はなかったが『オートマ限定魔法免許』なんてのも、そのうち出てくるのかもしれない。
ただ、まだ出来たての技術らしく、通常の人が行う予備詠唱より段階の進みが遅い。
それでも結構な勢いで普及を見せているのは、その連続性が評価されてのことである。
どうしても人の口での詠唱となると何度も繰り返すと、口も疲れるし、口内はぱっさぱさになり、喉だって枯れてくる。
そうなれば、実際に発動する段階での本詠唱への影響だって当然出てもくる。
そのため、予備詠唱だけとはいえ、一部肩代わりしてくれるようなオートマ杖は重宝されているらしい。
単純な繰り返し魔法が必要な環境というのが、そうそう思いつかないが、……たとえば訓練時の軽微な怪我が多く出る騎士団とかだろうか。
回復魔法を連続でちょっとずつ掛けるとなると、魔力が持っても喉が駄目、みたいなこともあるのだろう。
ともかく、喉と精神の疲労を軽減してくれる画期的な杖なのだろう。
だからこそ、オートマ杖が普及している以上、本詠唱が唱えられる段階まで魔力を込めるだけ込めておいて、酔っ払いが暴走させてしまった、なんてことも考えられるか。
などと魔法教訓を見ながら想像の翼を広げていく。
『ダンジョンで、角から魔物が出てくるかもしれない。かもしれない詠唱を考えよう』
いや、そんな常に魔力練りこみしてたら魔法使い潰れちゃうよ、とも思うのだが、角待ちの襲撃もたまにあるから注意して気を引きしめて探索をしようってことだろう。
杖に込められた魔力は、込めすぎると暴発の危険があるし、継続性はあまりない。
集中を切らすと霧散することもあって、なかなか予備詠唱のタイミングといい考えものなのだが、この魔法教訓はそういうことを踏まえた上で注意しろってことだろうか。
今一つ、どう捉えるべきか悩ましいところだ。
おそらくは冒険者の経験からの教訓なんだろうけど、もう少し掘り下げてくれないと魔力の無駄遣いを進めているだけにも思えてくる。
さすがに「右よし! 左よし! 魔力充填よし!」とか、いちいち指差呼称でもする訳にもいかないし、そんな冒険者仲間の魔法使い居たら嫌だ。
何より、声出し確認は大事だけれど、魔物にその声で気付かれてしまうから、したらかえって不味いのだ。
ただ、かもしれないという想定だけは理解できる。
魔法使いというのは特に精神面が重要なのだから、不意打ちにはめっぽう弱い。
予備詠唱も含めて、実際に攻撃が出来るまで時間が掛かるだけに、そういうもしかしてそこの角で魔物が待ち構えているかもしれない、みたいな心構えは大事だろう。
……とそんな風に強引に解釈する。
『無理な詠唱、事故の元。休む勇気も魔法のうち』
……魔力切れで意識を失ったりもあるから、これはまあ解る。
暴発した魔法に体内魔力を根こそぎ奪われて死んだという話も聞いたことがあるし。
でも、現場……というか冒険者だと、功名心とかからきっちり休まずに進んだりするんだろうな、というのも含めて容易に想像できる。
遊びで魔法唱えてるんじゃないよ、とか怒られそうだ。
あー、やだやだ、ブラック企業での無茶な仕事の押し付けを思い出して嫌な気分になる。
特に長時間の単純労働作業に借り出されるような詐欺まがいの仕事に引き込まれないように注意しないと。
せめてオートマ杖は支給される職場といいな……ってそれは違うな。
そして、いくら疲れているとはいえ、さすがに「居眠り運転」ならぬ「居眠り詠唱」はないと思うが……ないよね。
そういう事故とかの危険な事例も色々教えてもらっている。
壁の教訓は、そういう事故を経て生まれたものが多いのだ。
「イライラ詠唱」で制御を失い、詠唱対象ではないものまで巻き込んだとか、「ながら詠唱」でうっかり自分の足元に火球を落としちゃったとか。
集中を阻害するようなものはなるべく排除するというのが基本なのだ。
「どこも変わらないなぁ」
大きな力は大きな責任を伴うとはよく言ったものだ。
この世界にそんな言葉あるかは知らないけれど、魔力という大きな力を振るうにはその制御を含めてしっかりとした管理が求められる。
そういうことなのだろう。
そうこうしている内に、廊下から足音が聞こえてきた。
どうやらようやく教官が到着してきたようである。
「遅れてすまなかった……それでは授業をはじめるぞ」
ガラリと教室の扉が開き、騎士団の教官が入ってくる。
今日は朝から、とあるダンジョンで、魔法使いによる「盛大な暴発と誤爆」があったらしく、その現場に駆り出されていたらしい。
彼女の鎧には、薄っすらと土埃のようなものが付着しており、顔にはわずかな疲労の色が見える。
教官が来て今日も始まる。
今日も一日頑張ろうと前を向いた。
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