蛇の短慮
とぼとぼ、という擬音がこれほど似合う帰り道もそうはないだろう。
クーネルは肩を落とし、うなだれながら、夜のタヴロッサをとぼとぼと歩いていた。
その手にはもちろん、ティアラはない。
あるのは明日、強制参加させられるアイドル対決とかいう、意味不明な催し物の招待状だけだ。
「……なんじゃ、これは。なぜ、こうなったんかのう?」
あごに手を当て、首をひねる。
彼女はただ、美味そうな「魂の
それがどうして、歌って踊る見世物に出るなどという、罰ゲームのような展開になるのか。
全くもって、理解不能であった。
「まあ、よい。明日、適当にやって、さっさと負ければそれで終わる話じゃ。ティアラはその隙にいただければ良い」
クーネルは持ち前のポジティブシンキングずさんな けいかくで、無理やり自分を納得させると、重い足取りで、宿屋へ戻った。
部屋の扉を開けると、風呂桶に身をつけたままのメロがいた。家の中で待てと言われれば、いつまでも待っていられる。それが引きこもり体質の強みである。
メロは濡れた髪を絞り、そのタレ目がちの瞳を向けた。
「おかえりなさいませ、クーネル様」
「うむ。ただいま戻ったぞ、メロ」
その尋常ならざる雰囲気にクーネルはたじろいだ。
「して? 首尾はいかがでした?」
ねっとりとした、嫌味たっぷりの口調。
クーネルは気まずそうに視線を逸らした。
「……いや、その……ティアラは盗んでおらん」
「ほう! それは賢明なご判断で!」
ぱあっと、メロの顔が一瞬、明るくなる。
だがクーネルの次の言葉で、その表情は再び、氷点下へと急降下した。
「……その代わり、明日、あのティアラを賭けて、持ち主の小娘と、アイドル対決することになった」
「…………」
沈黙。
しん、と静まり返った部屋に気まずい空気が流れる。
やがて、メロ大きくため息をついた。
「……このッ、おバカ、ばかばかっ」
メロはドでかい溜息をついた。
「だから、やめておけと申し上げましたではありませぬか。なぜいつもそうなのですか。ちょっと美味そうだから、というそれだけの理由で、後先考えずに厄介事に首を突っ込む。その蛇の
「なっ、蛇の短慮とはなんじゃ! 失敬な!」
「悪いのはクーネル様の方ですよ、たまには反省しなさい」
ぷんすか怒りながら、メロは再び、浴室のドアを閉めて引きこもってしまった。
一人、部屋に残されたクーネルはむすっとした顔で、ベッドに腰掛ける。
「メロのやつめ、好き勝手言いのって……」
クーネルがはぁ、と、本日何度目か分からぬため息をついた、まさにその時だった。
バンッ!!!
部屋の扉が凄まじい勢いで、蹴破るように開かれた。
そこに立っていたのは目をギラギラと輝かせ、鼻息荒く、肩で息をしている、ラクレスだった。
「クーネルッ!! 聞いたぞッ!!」
その手には既に街のゴシップ売りから買ったのであろう、『号外』と書かれた一枚刷りの新聞が握られている。
『謎の聖女、トップアイドルに挑戦状! 明日の対決、波乱の予感!』
そんな扇情的な見出しが、でかでかと躍っていた。
「い、いつの間にそんな話を……」
「噂は風より速いんだ! それより、本当なのか!? 君がメルティ・キス・メロディと、対決するっていうのは!」
ラクレスはクーネルの肩をがしっと掴んで、激しく揺さぶる。
その目はもはや、いつもの死んだ魚のような光を失い、狂信者のような危うい輝きを放っていた。
「ああ、もう! 分かった! 分かったから、揺するでない、頭がぐらぐらするではないか!」
クーネルがうんざりした顔でそう言うと、ラクレスははっと我に返り、慌てて手を離した。
がその興奮は全く収まる気配がない。
「……やるんだな。やるんだな、クーネル! 大丈夫だ、俺に任せろ!」
「は?」
「俺が君を最高のアイドルの星にしてみせる! めざせ、アイドルマス――」
「いらんというておるじゃろ」
「い、一度でいいから、俺、アイドルのマネージャーをやってみたかったんだ!」
ドン、と。
ラクレスは自分の胸を叩いた。
「俺は長年、メルティ・キス・メロディを研究してきた。彼女たちの魅力、ファンの心理、そして、勝利への方程式! その全てがこの頭に入っている! 君をトップアイドルに押し上げるのはこの俺だ!」
(……こやつ、完全にイッておる)
クーネルは心底、引いていた。
その時、風呂場から、ひょっこりとメロが顔だけを出す。
メロは上だけなら人にしか見えなかった。
「……あのう、クーネル様。このやけに早口で、テンションの高いお方はどなたです……?」
「ん? ああ、こやつか。こやつはラクレス。妾のまあ、なんだ。飯炊き係じゃ」
クーネルが適当に紹介すると、ラクレスはびくっと、体を硬直させた。
そしてメロの姿を認めるなり、さっきまでの饒舌さが嘘のようにしゅん、と、いつもの陰キャモードへと逆戻りする。
「……あ……ど、どうも……」
視線は合わず、声は蚊の鳴くよう。
そのあまりの落差に、クーネルとメロは顔を見合わせた。
「こちらはメロ。妾のまあ、同郷の知り合いのようなものじゃ」
「……そう、なんだ……」
深くは聞かない。
だって知らない女性とおしゃべりしたくないから。
それきり、会話は途絶えた。
気まずい沈黙が三人の間に流れる。
これぞ、陰キャ・ラクレスの真骨頂であった。
◇◇◇
一方、その頃。
華やかなライブを終えた、メルティ・キス・メロディの楽屋では別の意味で、不穏な空気が渦巻いていた。
「ねえ、聞いた、レイラ? 明日、なんか、変なシスターがいきなり、対決に割り込んでくるらしいわよ」
妹キャラのミミが不安げにクールビューティー担当のレイラに話しかける。
「ええ、聞いたわ。なんでもルルに挑戦状を叩きつけた、謎の新人だとか。プロデューサーが独断で決めたらしいわね」
レイラは鏡の前でメイクを落としながら、やれやれと、肩をすくめた。
そんな二人の会話を楽屋の中心で、笑顔で聞いていた少女がいた。
ルルである。
「まあ、大変ですぅ♡ わたくし、そんな、怖い方とは存じ上げませんでしたぁ♡」
彼女は上目遣いで、周りのスタッフにこてん、と首を傾げてみせる。
その完璧なぶりっ子ムーブに男性スタッフたちはでれでれと、鼻の下を伸ばしていた。
「だ、大丈夫だよ、ルルちゃん! 君が負けるわけないさ!」
「そうだそうだ! ぽっと出の新人に我らがルルちゃんが負けるはずがない!」
だがその笑顔の裏で、ルルの瞳は一切、笑っていなかった。
(……聖女クーネル、ねぇ)
彼女は内心で、その名前を冷たく反芻する。
(どうも冒険者の間では少し名前が知れているみたいだけど、……あたしのこのトップアイドルの座を脅かそうなんて、百万年、早いのよ)
ルルのアイドル人生は戦いの歴史だった。
同期を蹴落とし、先輩を出し抜き、時には汚い手も使って、ようやくこのセンターの座を掴み取ったのだ。
それをどこの誰とも知れぬ新人に、易々と脅かされてたまるものか。
(面白いじゃない。久しぶりに潰し甲斐のあるオモチャが現れたってわけね……)
ルルの唇の端がほんのわずかに三日月のように吊り上がる。
それは獲物を見つけた、飢えた獣の笑みだった。
「明日の対決、楽しみですぅ♡ そのクーネルさん? どんな素敵な方なのか、お会いするのが今から、待ち遠しいですわぁ♡」
彼女の甘い声が楽屋に響き渡る。
しかしその声を聞いたレイラは背筋にぞくりと、冷たいものが走るのを感じていた。
長年の付き合いで、彼女には分かるのだ。
これはルルが本気で「新人潰し」にかかる時のサインであることを。
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