人が集まるマジシャン

ただただ生きたくて

第1話:マジシャンの裏の顔



夜の帳が降りる頃、街の広場に人だかりができていた。

その中心にいるのは、黒い外套をまとった一人のマジシャン――エル=アマネシス。

中性的な顔立ちと涼しげな瞳は、どこか掴みどころがない。


「さあ、お立ち会い。

ほんのひととき、夢と魔法の時間をお届けしよう」


その声は穏やかで、静かに響く。

右手をひらりと振ると、手のひらから花が咲いた。観客たちは思わず息を呑む。


光と影が交錯する手品の数々。

布を翻し、カードを空に舞わせ、炎を鳩に変える。

それはまるで魔法のようで――けれど、どこか“本物”めいていた。


誰も気づかない。

その柔らかな笑みの奥に、狂気が潜んでいることなど。


──彼女の本当の舞台は、もっとずっと、暗い場所にあるのだから。


---


暗がりの路地裏。

埃と血の匂いが入り混じる、裏通りの一角。


エルはそこにいた。

誰にも見られぬよう、闇に紛れ、静かに立っていた。


「今宵は……特別なマジックを見せてあげるよ」


声色は先ほどと同じく落ち着いている。

けれど、そこに宿る感情はまるで違った。


目の前にいるのは、裏で薬と人を売る悪党。

罪状は列挙するまでもない。

依頼人は名乗らなかった。ただ「消してほしい」とだけ。


敵が無言で剣を抜き、殺気を向けてくる。

エルは黒布を風に踊らせながら、ふわりとステップを踏んだ。


「おやおや……そんなに急いでる剣じゃ、楽しめないよ?」


一撃、二撃、連なる斬撃。

それらを紙一重でかわすたび、布が舞い、靴音が路面を鳴らす。

まるで舞台の演者のように、流れるような動きで敵翻弄する。


その時敵の剣がエルにあたった

だがそれはわざと、エルは布ごしに剣を受けた。


「ッ……ふっ、あはは!いいね……」


痛みが腕を裂いた。血がにじむ。

だが、彼女の瞳はそれを悦ぶように、細く笑んでいた。


「ちょっと……ゾクッときた」


その声の調子がどこか上ずり、笑いを含んでいる。

アドレナリンが全身を支配し、皮膚の裏側が燃えるようだ。


「これじゃあ舞台は、楽しくならないよ??」


敵がたじろいだ。

そして、それが合図だった。


エルの布が翻り、その中に淡く脈打つ“心臓”が現れる。

実体のない、それでいて確かに生きている心臓。

敵のものとシンクロして鼓動している。


「さて……これは誰のだと思う?」


彼女は微笑んだ。

冷ややかで、美しく、残酷に。


「正解は。君のだよ」


その瞬間、刃物が心臓を貫く。

現実の痛みと幻が重なり、敵は崩れ落ちた。


あたりに再び静寂が戻る。

広場の喧騒も、今のやり取りも、何もかも遠い幻のようだ。


エルは深く息を吐き、興奮の熱が引いていくのを感じながら、

手首の傷を見つめる。


「……ふぅ。今日も、一仕事終わり、だね」


朝。

まだ太陽が本気を出す前、街は石畳の隙間から温かな光を吸い上げるように目覚めていく。


エル=アマネシスは、細身のシルエットを黒い外套に包みながら、広場の端の古い噴水のそばに立っていた。


今日の演目は、カードと花束、それから鳩と炎。

決して特別ではない、けれど確実に“驚き”と“笑顔”を与える、いつものルーティンだ。


「さて、皆さん。

今日も“ほんの少し”だけ、世界を忘れていただきましょうか」


彼女がそう呟くと、ちらほらと集まり始めた通行人たちの目が自然と吸い寄せられてくる。


---


掌に浮かぶ一枚の赤いカード。

それが指先で弾かれ、空へ舞う。

すかさずもう一枚、そしてもう一枚。

まるで風に乗った蝶のように、次々とカードが宙を舞った。


最後の一枚がふわりと空に溶けたとき、彼女の手の中に残ったのは――

一輪の白いバラ。


「さあ、よく見てて。」

彼女はそう言って、何もない空間に手を伸ばすと、小さな鳥かごの中から鳩が現れた。


「……ふふ、種も仕掛けも、あるようでないような」


観客たちはどこか夢を見ているような顔で見つめていた。


---


そんな中に、一人だけ立ち尽くしたまま動かない老人がいた。

彼の眼差しは、笑顔の裏の何かを探るように、じっとエルを見ていた。


エルは視線に気づきながらも表情を崩さない。


(……ああいう目、好きじゃない、、、)


けれど、別段気にするふうもなく、演目は続いた。


---


正午を過ぎた頃、演目は終わりを迎える。

硬貨を投げていく人々の中に、子どもたちの笑顔と、大人の猜疑心が混じっているのが見えた。


「今日の収穫は……まあまあ、かな」


小さく呟いて荷物をまとめると、エルは人混みを抜け、いつもの路地へと姿を消した。


---


路地裏の小さな屋台風の喫茶店。

店主のサーシャは、エルが来るとすぐに水を差し出した。


「血の匂いがするよ。昨日も何かあったのかい?」


「まさか。ただの擦り傷さ。舞台は時々、危ないからね」


「……あんたさ、演者のくせに、嘘が下手なんだよ」


エルは肩をすくめるだけだった。

この店には言葉の裏を探る人間が少し多い。それが落ち着く時もあるし、煩わしい時もある。


---


窓の外では、今日もまた街が流れていた。

誰かが何かを失い、誰かが誰かを騙し、誰かが笑い、そして誰かが死ぬ。


そのすべてを横目に、

エルはただ、今日の収穫と、次の“演目”の準備を考えていた。


「さて、次は――どんな悪を、消しましょうか」


淡々と、けれどどこか楽しげに。

静かなマジシャンの声が、カップの向こうで小さく響いた。


---


喫茶店を出ると、街はすっかり暮れなずんでいた。

提灯の灯りがぽつぽつと点り、石畳の影に長い尾を引いている。


エルは黒い外套の襟を整え、静かに歩き出した。

誰とも視線を交わさず、音も立てず、まるで街に溶け込む影のように。


向かう先は、街の片隅にある小さな宿――《夜鳴き鳥亭》。

宿主の女将は無口で、干渉もしてこない。

何より、“必要な時に黙って鍵を渡してくれる”。


---


部屋に入ると、エルは外套を脱ぎ、トランクを隅に置いた。

カーテンは引かれている。

部屋の灯りは、仄かな橙色。

壁の棚には、魔力で温まる簡易風呂が備えられていた。


エルはシャツを脱ぎながら、鏡の中の自分と目を合わせる。


「……血、ちゃんと拭いておくべきだったかな」


腕の包帯がじわりと滲んでいる。

戦闘の際に受けた傷。わざと受けた、興奮と痛みの代償。


湯気が立ちのぼる湯船に身を沈めると、途端に全身の力が抜けていった。

肩まで浸かって目を閉じる。

一日の熱と冷気、がゆっくりと薄れていく。


「……ああ、これ、気持ちいいな」


誰にも聞かれない独り言は、とても落ち着いていた。


---


壁越しに、どこかの部屋から笑い声と足音が聞こえる。

まるで遠い異国の劇場の音のように、現実感がない。


「人は、笑って……それで騙されて、そして忘れる」


呟きながら、エルは湯の中で指を動かす。

指先が水面をすべり、仄かに魔力が流れる。


──ふ、と。


何かが視界の端で動いたような気がした。


「……誰か、いるの?」


返事はない。

宿の中、誰の気配もしない。

けれど、“何か”が、確かに自分を見ていた気がした。


(……また、あの感じ)


時々感じる“気配”。

それは敵意でもなく、監視でもない。

ただ、何か懐かしい――けれど正体の掴めない“影”。


エルは目を閉じた。

温い水の中で、心が静かに沈んでいく。


---


湯上がり。

髪を乾かしながら、エルは窓の外をぼんやりと見つめていた。


外はもう完全に夜だった。

どこか遠くで、鐘が三つ鳴る。


「さっさと寝て明日に備えるか、、、頑張れよ明日の僕、、、」


そう言って、エルはベッドに身を沈めた。

黒い布のように静かに――夜が彼女を包んでいった。


---


翌日、エルはいつものように広場で簡単なマジックを披露していた。

群衆の歓声も、硬貨の音も、昨日と大して変わらない。


ただひとつ違ったのは――

客の中に、明らかに様子の違う一人の子供がいたことだった。


彼はボロを着て、顔色が悪く、両腕を固く抱えて震えていた。

それでもずっと、エルの演技を見つめていた。

目を逸らさずに、まるで、**何かを“確認する”ように**。


演目が終わり、群衆が散り始めたころ。

その子供はエルに歩み寄った。


「……あなた、マジシャン、なんでしょ?」


「うん。見てのとおり。……それだけじゃないかもしれないけどね」


エルは腰を屈めて、子供と目線を合わせた。

近くで見ると、男の子はまだ十歳にも満たないほどだった。

左目の下には、くっきりと青い痣。

首元に覗く無数の古傷が、すべてを物語っていた。


「僕、お金はない。でも……お願いがあるんだ」


「願い、ね。たいていの子供の願いは“もっとマジック見せて”とかだけど――君は、違う目をしてる」


エルの声色は静かだった。

その目には、観客を見る演者の眼差しではなく、“同業者”を見るときのような冷静さがあった。


「……義父を、殺してほしい」


その言葉に、一拍の沈黙が落ちた。


子供の声は震えていたが、目は一切逸らさなかった。


「毎晩、殴られるんだ。妹にも……手を出そうとしてる。

誰も信じてくれないし、村の大人たちも黙ってる。

だから、お願い。……“マジック”で消してほしい」


エルは、少しだけ目を細めた。


「僕はね、殺し屋じゃない。“演者”だよ」


「……それでも、できるんでしょ。昨日の夜、あれ……見てたんだ」


――背筋に冷たい何かが走った。

あの路地での“演目”を、この子が?


「影みたいに隠れて、ずっと見てた。

……だから、お願い。あの人も、あんなふうに……」


子供の手が震えながら、服のポケットから何かを取り出した。

それは、手作りの革袋。

中には、わずかな銀貨と砕けた魔石の欠片。


「これ、全部。これで足りないなら、僕……なんでもする」


声は震えていたが、目だけは決して揺れていなかった。

それが、本当の絶望に生きる人間の眼だった。


エルは袋を手に取らなかった。

ただじっと子供を見つめた。


「名前は?」


「ヨア。妹はミーナ。……村の北の廃井戸の近くに住んでる」


「……わかった。すぐには返事しない。

でも、一度君の村を見に行く。それで決めるよ」


「……うん」


エルが立ち上がると、子供は深く頭を下げた。

その背が去っていくのを見送りながら、エルは小さく息を吐く。


「……子供の目は、嘘をつかない。

でも、真実がすべて善とも限らない。難しいよね、こういうの」


彼女の声は、いつものように落ち着いていた。

けれどその胸の奥に、何かが微かにざわついていた。



---



翌朝。

空が白む頃、エルはすでに街を離れ、小さな村へ向かっていた。

昨日、ヨアと名乗った少年が言っていた「北の廃井戸近くの家」――その場所へ。


陽は昇り切らない。

けれど山間の道はすでに暑く、蝉のような鳴き声が森にこだましていた。


エルは淡々と歩き続ける。

黒外套の下に仕込んだ布と、トランクの中の数枚のカード。

魔道具も、護身用の針も、いつも通り。


(……さて。子供の言葉が、どこまで“本当”か)


彼女は嘘を見抜く目を持っていた。

だがそれは、あくまで“舞台上の嘘”に限る。

心からの願いや、恐怖に染まった言葉は……往々にして“演技よりも巧妙”だ。


---


小さな村に入ると、空気は一気に淀んだ。

昼間だというのに、人の姿が少ない。

年寄りばかりが小さく縮こまっており、子供の姿はほとんどない。

通りすがりの老婆が、エルに目もくれず家の戸を閉めた。


「……陰湿、というより何か隠してるな、いや怯えてる?」


低く呟きながら歩いていくと、村の奥、廃れた井戸の横に、目的の家があった。

屋根は崩れかけ、壁はひびだらけ。

庭先には干からびた洗濯物が揺れている。


軋む音を立てて、玄関の扉が開いた。


出てきたのは、骨ばった体に無精髭を生やした男。

その目は濁りきっていて、酒臭さが遠くからでもわかる。


「なんだテメェ。誰に断って人の家の前でウロウロしてやがんだ」


エルは一瞬、表情を変えなかった。

だが心の奥で何かが冷たく沈んだ。


「……道に迷って。村の人にも聞けなかったから、ちょっと見させてもらってただけだよ」


あだやかな声で、柔らかく返す。

男は胡乱げにエルを睨み、鼻を鳴らして家に戻っていった。


扉が閉まる直前、エルは家の奥、薄暗い廊下の先に――怯えた子供の瞳を見た。

女の子。年齢は七つか八つ。

髪はボサボサで、口元には青い痣があった。


(……ビンゴやっぱり、ここか)


確信が、ゆっくりと固まる。


---


その日の夕方、エルは村の酒場に立ち寄った。

名もなき村の、さらに裏通り。

地元の男たちが昼間から酒をあおり、くだを巻く場所だ。


目的は一つ――「この村の噂」を拾うため。


エルは一つ芸を披露し、自然な流れで会話に入り込んだ。


「なあ、あの廃井戸の家の男、なんていうの?」


「ん? あぁ、あのクズか。名前はグンター。昔は木こりだったが、今じゃ酒と暴力しか能がねぇよ」


「でも村の連中、何も言わないの?」


「はっ……あいつに何か言える奴がいたら、とうの昔にあのガキども助けてるっての」


「ガキ?」


「妻は逃げた。残ったのは義理の子供二人。……いっぺん役人が来たが、グンターが賄賂握らせて、すぐ帰っちまったよ」


「……なるほど」


すべてが、ヨアの言葉を裏付けていた。

だがそれ以上に――“村全体が、それを知りながら見て見ぬふりをしていた”ことが、エルの胸を冷たく撫でた。


(子供に依頼させるような“仕組み”が、もうできあがってる、最悪だ)


---


その夜、宿に戻ったエルは窓辺に腰かけて、月を見上げた。


「さて……殺す理由は十分。

けど――それだけじゃ、少し寂しいな」


彼女の声は静かで、どこか微笑んでいた。


「……せっかくだし、“舞台”にしよう。

彼が“どう死ぬべきか”――ちょっとだけ、考えてあげる」


ゆっくりと布を取り出し、その裏で指を弾く。

布の中に、小さく震える心臓が浮かび上がった。


「君の最期を飾る“マジック”。

期待してて、グンターさん」


---


夜。

村の外れにある古びた納屋。

その中には埃と黴の匂いが染みつき、誰も近寄らなくなって久しい。


エルはそこに、ロープと木箱と布を持ち込み、静かに“舞台”を整えていた。

小道具はすべて大道芸のものに偽装され、どれもが「遊び道具」の顔をしている。

だがその中身は、完璧に“処刑”のために作られていた。


中央に置かれたのは、人が一人入れるほどの大きな長方形の木箱。

天井に向けて吊るされた銀糸。

仕掛けられた封印魔法。

そして布。切断の瞬間、それを被せれば「マジック」にしか見えない。


「……さて、客人の登場を待とうか」


エルはロウソクに火を灯すと、口元に微笑を浮かべた。


---


グンターを連れてくる役目を担ったのは、ヨアだった。

彼はエルの話に従い、「隠した金貨を見つけた」と嘘をついて父を誘導した。


「ほんとか貴様……クソガキ、どこにあんだ!?」


怒鳴るグンターに、ヨアは静かに言った。


「こっち、納屋の中だよ」


その目は震えていなかった。

もう二度と、怯えることのない“目”だった。


納屋に足を踏み入れたグンターが、ロウソクの灯りに気づいた瞬間、エルは布をふわりと被せる。


「ご登場ありがとうございます、“本日の主役”様」


「は? テメェ、またあの……」


言い切るより早く、魔力の糸がグンターの手足を縛り上げた。


「な、なんだこれ、動け――」


「これからマジックを披露します。

一夜限りの、切断芸。ご安心を、命に別状は――あるかも、ね」


口調は淡々としていた。

けれどその目の奥に宿るのは、戦闘時と同じ“アドレナリンの笑み”だった。


---


グンターを箱に押し込め、布を上から被せる。

魔術と仕掛けが動き出す。


糸がピンと張る。

箱の中で、グンターの体が“断ち切られたように”分かたれる。


――見た目には、完全なマジック。

だが、切断された箇所には魔術の封が張られ、彼の身体を「生かしたまま切り離している」。


呻き声。

血は流れず、だが痛みだけが伝わってくる。


「ふぅん……意外と強いんだ、君の体。

これなら少しぐらい“動かして”も平気そうだね」


エルは指を鳴らすと、箱の蓋が開いた。

そして――ヨアを手招きする。


「ほら、“君の番”だよ」


少年の手には、一本の鉄杭と小さなハンマー。

それは“とどめ”の道具。

命を奪うためのもの。


ヨアは一歩、また一歩と近づいた。

そして、切断された胸元――動く心臓を見た。


「……これが、あいつの命?」


「そうだよ。君の“願い”の核。

壊したいなら、壊してもいい。

やめたければ、やめてもいい。

でも、これは“君の依頼”だ。決めるのは、君だよ」


ヨアは少しだけ目を伏せた。

そして、真っ直ぐに杭を握り――


「……ミーナを、もう泣かせたくない」


――振り下ろした。


鋭い音。

そして、箱の中から音が途絶えた。


沈黙。

空気が凍り、月が淡く照らし込む。


ヨアはただ黙って立っていた。

その横顔に、涙はなかった。


「……よくできました」


エルは静かに、切断マジックの布を取り除いた。


そこにはもう、血も、命もなかった。

ただ一つ、終わった命と、始まる“新しい生”が、そこにあった。


---


処理は済んだ。

あの男――グンターは、もはやこの世にいない。


それでも村は静かだった。

この夜に何があったのか――決して語られない。


---


エルは納屋の道具を片づけながら、少年の背中を見ていた。


ヨアは床に膝をつき、しばらく動かなかった。

殺した罪を悔いているのか、それとも虚無を感じているのか……その背中からは何も読めない。


「……終わったよ、ヨア」


声をかけると、彼はゆっくりと立ち上がった。

その顔に涙はなかった。だが、その目には、静かな炎が灯っていた。


「ありがとう……エルさん」


「別に。依頼を受けて、果たしただけだよ。お金、ちゃんと受け取ってないけどね」


「……それなら」


ヨアはポケットから、小さな指輪を差し出した。

錆びていたが、彫りが綺麗だった。


「母さんの形見。これしかないから、これで……」


エルはそれを受け取らなかった。

ただ指先でそっと弾き、ヨアの胸元に戻した。


「それは、君が持っていなきゃ。妹に、ちゃんと語り継げるようにね」


「語り継ぐ……?」


「“悪を消すマジシャン”っていうさ、ちょっと変な演者がいたって話。

そして、自分がそれを――終わらせたっていう、英雄譚を」


そう言って、エルは微笑んだ。

その微笑みは、どこか“舞台の幕引き”を思わせた。


---


翌朝。

エルは宿を出る前に、村の井戸の前で足を止めた。


そこには、ミーナが立っていた。


「ヨアの妹のミーナ?だっけ?」


ミーナの目は虚ろで、感情の焦点がどこにも結ばれていなかった。

まるで、“命令を待つ人形”のように、ただそこに立っていた。


「……ミーナ?」


エルが名前を呼ぶと、少女はぴくりと反応した。

そして、かすかに笑った。


「おにいちゃん、しずかになった。

これで、ミーナも……しずかになれる、かな……?」


「……何を、言ってるの?」


「……ミーナ、ずっと、“しずか”にするように言われてたの。

……しずかにして、だれにも、ばれないように」


エルは思わず一歩、彼女に近づいた。


その時、ミーナの目が合った。

淡い琥珀色の瞳――けれどその奥には、まったく違うものが“覗いて”いた。


「しずかに、しずかに――……ミーナの中、なにかが、いるの」


エルの背に、ぞわりと冷気が走る。


(……これは)


声も音もないその“感覚”は、かつて何度か感じたことがある。

どれも――**“この世界の外”から来たような、異物の気配**だった。


(記憶……いや、“誰か”の……?)


だがミーナはそれ以上、何も言わなかった。

ただ、にこりと笑った。まるで舞台上の操り人形のように。


---


その夜、村を発つ道すがら、エルはつぶやいた。


「……ヨアの依頼は、たしかに完了した…

 だがミーナか…」


風が鳴った。

月は静かに、黒い空に浮かんでいた。


「“記憶にないもの”が、誰かの中に棲んでいる。

それってさ――すごく、厄介なマジックだと思うんだよね」


そう呟いて、エルはゆっくりと笑った。


「ま、続きは次の“演目”で解くとしよう。

……さあ、次の舞台は――どこにしようか?」


黒外套が、夜の風にふわりと揺れた。


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最後まで読んでくださりありがとうございますm(__)m

最近熱中症になったり病気になったりで投稿できませんでした、そんな中気分転換で書いてみた作品です、今後とも応援よろしくお願いします。

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人が集まるマジシャン ただただ生きたくて @sibariri

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