第10話 再び下関へ

 翌日、結局寝つけなかったわたしは、同じくらいひどい顔をしたセイが迎えに来たのと同時に、無言で手をさしのべてられたその手を取るしかなかった。


 言葉はなくゆっくり進む門司港の朝。


 海の香りのするその道は、昨晩見た景色とはずいぶん違って見えた。


 行先はわかっていた。


 セイは何も言わなくて、わたしも何も言えなくて、やってしまった……と、同じ言葉が頭でぐるぐる回り、母とのことよりも気が重く、目の前が真っ暗になった気がした。


 セイに嫌われてしまった。


 大切な大切な居場所だったのに。


 大きく間違えてしまった。


 ごめんなさいと謝りたいのに、声がでない。


 朝日が昇り、鳥の鳴き声が聞こえ始めた頃、わたしたちはまた門司港駅の前に立っていた。


 街並みすべてが異国のようで素敵だと思えたけど、言えなかった。


 ここで大丈夫、と自分でもびっくりするほど力のない声が出たけど、セイは手を離してくれなくて、まだほとんど人のいない電車に乗り込むこととなった。


『またここへ、来てもいい?』


 そう言いたかったけど、言えなかった。


 きっと、わたしはもうここへ来ることはないだろう。


 父について家を出た母も、こんな気持ちだったのだろうか。


 いや、ここまで悲壮感が漂っていたら最初から結果なんて見えているはずだ。


 景色が少しずつ、曇っていく。


 あたたかかったオレンジ色の光は、もうどこにもない。


 





 それからのことは、よく覚えていない。


 電車からバスに乗り換え、家の前にはパトカーが止まっていて、母が捜索願を出そうとしていたことがわかった。


 わたしの代わりに頭を下げてくれたセイが、母の金切り声に攻撃されていて、ただ茫然と他人事のようにその様子を見ていた。


 謝るべきはわたしだったのに。


 その日を境に、わたしはみもすそ川公園から少し離れた祖母の家で暮らすことが決まった。


 それから数ヶ月は、すべてがぼんやりしていて、気付くと一日が経っていた。


 学校にはちゃんと通っていた。


 言われたとおりの時間に起きて、朝食を取って、バスに乗って。


 規則正しい生活はちゃんとできていたと思う。


 泣きじゃくった母に、ごめんねって思いながら、わたしは少しずつ意思を持たない人形に戻っていった。


 感情がなくなり尖った雰囲気がなくなったためか、人が寄ってきてくれるようになった。不思議なものだ。


 あんなにもみんなが遠くにいた気がしたのに。


 でも、一言言葉を交わせば、セイと話した時と同じように心でなにかが小さく弾けたように感じられた。


 そのかわりに、セイに会うことはもうなかった。


 ううん。一度だけ、一度だけ下関駅で見かけた。


 背が高いから、よくわかる。


 何度も何度も謝りたいと思っていた。


 だからこそ、戸惑いながらも声をかけようとしたとき、『ホッシ~』と彼を呼ぶ愛らしい声が後ろから聞こえた。


『なにしちょるん?』


 思わず背を向けて隠れてしまったその背後で、セイと全く同じ声で、それでも聞いたことのないイントネーションで話す彼の言葉に、また動けなくなってしまった。


 彼とは、それっきりだった。

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