33年ぶりに性教育を受けた

みとしろ

第1話 保育園での性教育

 先日、子供が通っている性教育の保育園の講習会に参加した。「乳幼児期からの大切な性のかかわり」という事で、子供達にどのように性の話をすればいいかという事など勉強をしたので聞いて欲しい。


私が小、中学校で学んだ内容と少し違った。講習会の内容はとても濃く1時間では足りない程だった。

今は学校での性教育という言葉はなくなり「性に関する指導」という言い方をするみたいだ。日本の性教育が盛んだったのは1992年から2000年頃までで、私はガッツリその時期に入っている。けれどもそこまで詳しくやったのかと言われると「うーん」と考えてしまう。男の人と女の人の体の違い、第二次性徴とその位だったと思う…というか何を習ったのかハッキリと覚えていないというのが一番かもしれない。

それを踏まえるとやはり家庭での性教育が子供にとってどれだけ大切かが分かる。


北欧の方では4歳からのカリキュラムで、生殖だけではない人間関係、家族関係、多様性、ジェンダー、性暴力、人によっての価値観の違い、自分が嫌だと思う時は嫌だと言うバウンダリー、人権ベースにした性教育を繰り返し勉強していく様だ。日本よりもだいぶ進んでる!と驚いてしまった。

そして聞きなれないバウンダリーという言葉。ネットで調べてみた。

英語の「boundary」をカタカナ表記した言葉で日本語で「境界線」や「境界」と訳されるとあった。プライベートゾーンを含めてより広範な意味を持つみたいだ。これはもっと勉強しなければならない!


そしてとても興味深いなと思ったのが、赤ちゃんは知らない人に急に触られると嫌がって泣いたりする。それはただの「ママがいいー!」ではなく自分のプライベートゾーンに入って来てる事を嫌がってるという事だ。泣くのが当たり前だと思っていたので、この事を聞いた時は改めて赤ちゃんとの接し方も考えさせられた。大人の私でも知らない人がいきなり近づいて来て触って来たら怖いもの。

毎日、愛情を込めてお世話をして愛着関係が生れて行くように、それを言語化して自分を大切にしていくという事を子供に繰り返し伝えていく。もう既に生れた時から性教育は始まっているんだ。頭では何となく分かっているつもりだったけれども、こうやって子供の性教育について知識と経験がある方にきちんと説明を受けると、ハッキリした形で子供に対してどう向き合っていくべきなのかが見えて来た。


子供が大きくなって自分の体に興味を持つと、もちろん他の子にも興味を持つようになって来る事もある。自分のはこうだからあの子のはどうだろう?なんて疑問が湧いて、嫌がっているお友達の身体を無理やり見る。こういう事が起こったりするとどう対処するのか?

その時はお友達が嫌な気持ちになったりお友達の身体を傷付けちゃうよという事を伝えて、絵本を見せて「こうなっているんだよ」と教える。それは相手が親であっても同じでお父さんやお母さんでも体は勝手に触らないよと3歳位から繰り返し伝えて行くという事だそうだ。

なるほど。この講習会に参加しなければ、子供がそんな事をしたなら叱って終わりにしてしまう所だった。子供に性教育を教える為にはまず、親が勉強しないとダメだなと痛感した。


男の子のタマタマ(陰嚢)の役割を知っている子供はほとんどいない。

「それはそうだろ」と私は思った。無意識にまだ教えるにはまだ早いと考えていたのだ。けれどそうではない。子供には体の仕組みを教えて、このタマタマの中には赤ちゃんの元がつくられるようになるんだよと教える。すると「赤ちゃんはママのお腹の中だけで育つのでは?」という質問が子供から出て来る。そこで「じゃあなんでパパにも似てるんだろうね。」と言うと子供が「あ!」と気付く。子供の気付きを大切にすれば、赤ちゃんの元が作られるタマタマにキックやパンチなどの痛い事をしなくなる。他の所よりも痛いという事は大切にしなければいけないという事なのだ。

そうなのか気付く事って本当に大切だな。“他の所よりも痛い所は大切にする”という言葉には感心した。


幼児への赤ちゃんの作り方の伝え方とは?

「赤ちゃんってどうやって出来るの?」

これは私、とても疑問に思ってた。下手すればお友達と試してみちゃおうという事にならないか心配だ。どこまで踏み込んでどんな説明をした方がいいのか。4歳、5歳になるとそう言う質問して来ても全然おかしくないと思う。コウノトリがぁ~で誤魔化してもいいのか。パパに聞いてと逃げるのか。

これは口だけでの説明よりも、絵本や紙芝居を使った方がいいみたいだ。先生は

「性器と性器を合わせてお腹の中に大切に赤ちゃんの元を入れてもらうんだよ。」

とお話しすると仰ってた。これもまたなるほど。絵本や紙芝居だと子供でも分かりやすい!伝え方も納得。為になります。変に誤魔化したりすることは止めておくべきだな。



私の母は保育士の資格を持ってたけれど、性教育に関しては全く無知だったのではないか。時代的な事もあったかもしれないけど、母自身がそう言う話を毛嫌いしていた。母は私に性教育をする機会はあったけれど、敢えてしなかったのだろう。私は母からきちんとした性教育を教えて欲しかったとずっと思っていたが、この講習会に参加して分かったのは私は母ともっとコミュニケーションが取りたかったという事なのなのかもしれない。クラスの好きな男の子の事、好きな漫画について、生理が始まって女同士としての情報交換など。色々話をしたかったなあ。

私はモテもせず異性との関りもそんなになく薄っぺらい青春時代を送っていた。自分の子供は物凄く可愛くてモテそうに見えてしまう(親バカ)ので、きっと私よりも色々な人と関りが増えるだろう。子供が自分から聞かなくとも自分の体を大切にする事、相手を尊重する事を繰り返し教えて行くという事と、どんな些細な事でもいいから子供とコミュニケーションをとるという目標が出来た。


情報化社会の中での性教育について。

上の子はまだ2歳だけど、iPadとキッズタブレットの2台持っている。キッズタブレットで動画を観て、iPadでは塗り絵などの遊び用だ。もう私よりも使いこなしているのではないかと思う。本当はいけないのかもしれないが基本的にワンオペ育児なのでどうしても頼ってしまう所がある。

そしてそこでまた初めて聞く言葉が出て来た。「エルサゲート」という言葉だ。

私は子供を妊娠した時に、育児について本を買い勉強をした。それでも「エルサゲート」という言葉は全く知らなかった。

子供が観ている動画で、子供の人気キャラクターの他の人を傷つけて血が出たり、人の身体を見ていやらしく笑うなど子供が怖がったり、子供には不適切な動画があるらしい。自分でも検索してみた。過激なものなどは観れないが、子供からしてみると怖いだろうなあと思う動画は結構あった。子供はそう言う動画が気になりまた観てしまうらしく、動画が500万回再生されていうという事実もあるようだ。それで収入を得ていると思うと腹が立つ。パパとも情報共有して話し合い管理して行きたい。

また子供にいつ携帯を持たせるかと常に考えている。私の知り合いに離婚して子供を2人育てている方がいるのだけど、躾には厳しくて携帯は高校を卒業するまで持たせないと言っていた。上のお子さんが中学に上がる時、「パパは携帯買ってくれるから。」という理由でパパの方に行ってしまった。そう。子供にとってはそれだけ重要な事なのだ。今は私と一緒に動画を観たりゲームで遊んでいるが、そのうち大きくなると一人で見る様になるだろう。もっと大きくなるとSNSで知らない人とも繋がれる。子供が何の検索をしたかなどをチェックして子供一人だけに任せてしまわずに、大人がきちんとフォローする事が大切とういう事だ。

うーん。私、この話を聞かなければそのまま子供任せで「動画見て大人しくしてくれて楽だなー。」と過ごして行く所だった。それは凄く怖い事だと気づいた。



そしてこれは絶対にあって欲しくない事で子供の性被害の話。子供が性被害で傷付くのなんて見たくない!

私が小学校2,3年の時だったか、学校から帰って妹と家にいたら電話が鳴ったので出ると何だか気持ちの悪いオジサンの声で

「あそこの毛は生えた?」

と言って来た。私の声で幼い女の子だって分かってるはずなのに、そんな事を聞くなんて…。気持ち悪いし腹立つし、そして何より怖かった。私は電話を直ぐに切って妹にくっ付いてた記憶がある。その時、妹にも母親にも父親にも言えなかった。特に母はそういう話題が大嫌いだったので尚更言えなかった。その時の嫌悪感は今でも忘れる事が出来ない程だ。電話越しの声だけでも当時はトラウマでその後、電話に出る事が出来なかった。

性被害について子供に教えると「人を怖がってしまうかもしれない」という事で、何も教えない方がいいのではないかという意見もあるらしい。まあ、その気持ちも分からなくはないけども…。でも知らないでいるのと、知っているのとでは被害にあってしまった時の子供の対応の仕方が変わって来るのではないだろうか。私があの気持ち悪い電話を受けた時に、もしも母が性教育を教えてくれていたら迷わず母に助けを求めたと思う。自分の経験からも、子供には性被害というものがある事実は事実として、きちんと伝えておきたい。

子供が小学校に入り一人で出歩くタイミングも増えて来る事を考えて、つい最近『子供は「この場所」で襲われる』という本を読んだ。実際の事件が起きた場所を検証して子供にとっての危ない場所が解説してありとても参考になった。まずは私自身が勉強して子供に寄り添える心と知識を身に付けたい。


この性被害の話で一番為になったのが、子供が性被害にあってしまった時の対応の仕方だった。私だったら子供がそんな目にあったら何が何でも犯人を罰してやる!という気持ちで根掘り葉掘り聞いてしまいそうだ。だけど子供には

「何があったのか」

「それをしたのは誰なのか」

についてのみ尋ねるだけだという。

えええええええ。そうなのかー。とちょっと驚いてしまった。それしか聞かない理由は子供は時系列で話す事が難しいからだという事だ。

交番なんかに行って説明する時に「昨日」と言ったり、また違う事を言ったりすると子供の言う事は信用できないと捉えられる場合があるらしい。なるほど。これだと二重に傷付く事になりかねない。子供が自分で自分を守るには、怖がるから教えないのではなく、きちんとした知識として子供に伝えて行きたいと私は考えた。


この講習会を受けて本当に良かったと思った。まず私自身に知識があれば子供が教えて欲しい時、傷付いた時、助けを求めて来た時に全力で寄り添ってあげる事が出来る。子供にはその年齢に合わせた性教育をコミュニケーションの一環として伝えて行きたい。また子供自身も何も知らないで成長するより、性教育を通して自分の事も大切にし、対する相手への尊重や距離の取り方だったりを学んで成長していって欲しい。


こうやって改めて性教育を学んだ今、一番に考えた事は、もう一人子供が欲しいなぁという事だ。2人目を妊娠してた時にトラブルがあり子供がNICUに入院した。担当医からは次に妊娠したら24週頃からの管理入院になりますと言われ。今の育児の環境と、高齢出産だったので体力的にも限界があり3人目は諦めた。

もうこんな気持ちにはならないかなと思っていたが、また子供が欲しいと思える位に性教育の講習は有意義な時間だった。


そして何より、今居る二人の子供にもっとたくさんの愛情を注いで育てていきたいと思えた。

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