第25話 逆転甲子園への道 決勝戦 それぞれの想い 完

 八回表、南浦部第一に、この試合最大のピンチが訪れる。

 突如、エース大江おおえのコントロールが乱れた。先頭打者に、四球。続くバッターの平凡なサードゴロを、サードが一塁へ悪送球。

 ノーアウト、ランナー一、二塁。

 なんとか内野フライでワンナウトを取ったが、続く三番・板倉いたくらに粘られ、またも四球。

 ワンナウト満塁。絶体絶命のピンチで、バッターは、あの四番・川島大地かわしまだいち


八回表 横 1-2 南

O ●        ◆

         ◆   ◆


(前日の夜、横浜市立港工業高校のキャッチャー・黒田一彦くろだかずひこは、四番の川島かわしまと密談していた)


「次の試合の大江拓哉おおえたくやだが……俺は、あいつを知っている」

「……中学の、同級生だったか?」

「県大会の決勝戦、俺が最後のバッターだったんだ。奴はピンチの時、必ずフォークボールを投げてくる。過去の成功体験に、すがるからだ。三球目を狙え。終盤で握力も落ちている頃だ。フォークを二球も続けさせれば、三球目は、半速球の〝棒ダマ〟になる。それは、絶好のホームランボールだ」

「ふん……。執念深いな、お前も。まあ、頭の隅にでも置いといてやるよ」


 遙人は、外角ストレートを要求した。だが、大江おおえは首を振る。返ってきたサインは、フォークボール。

(初球からフォークか……。川島かわしまの様子を見る。いいだろう、フォークだ)


 大江おおえの第一球。フォークボールが、ど真ん中に決まる。ストライク。

(……まずい。これは読まれている。この配球を、相手は待っている。フォークの連投は危険すぎる。ストレートのコントロールが利かないなら、サークルチェンジでもいいはずだ)


 遙人がサインを変えようとする。だが、大江おおえは再び、力強く首を横に振った。

(頼む、ハルっち! 俺は、フォークを投げたいんだ! このボールには、みっちとの想いがあるんだ! だから、フォークを投げさせてくれ!)

 

 その強い意志を感じ取り、遙人の脳裏に、ある記憶が蘇る。

(……そうか。中学の試合で、全球フォークを要求したっていう、三浦みうら直也なおやさんの話……。もしかして、相手チームに、その時のことを知っているやつがいるんだ。だから、フォークを待っている。……だが、たっくんの気持ちを考えたら、もう、ストレートは要求できない。だったら、ボールになってもいい。ストライクゾーンには、絶対に投げさせない!)

 遙人は、地面にミットを叩きつけるようにして、低めへのワンバウンドのフォークを要求した。


 第二球。フォークボールは、狙い通り地面でワンバウンドし、川島かわしまのバットが空を切る。

(今のスイングは、フェイクだ。次の、甘く入るフォークを、あの半速球になる〝死にダマ〟を、川島かわしまは待っている。……たっくんの握力は、もう限界に近い。それでも……俺は、こいつを信じるしかない。頼む、地面に落ちてくれ! フォークボールだ!)


 大江おおえは、大きく振りかぶり、第三球を投げ込んだ!


実況:「ノーボール、ツーストライクと追い込んだ! 運命の第三球を、投げた! これもフォーク! ……打ったぁー! とらえた! 打球はレフトとセンターの間、左中間方向へ! 伸びる、伸びる、そのままスタンドへ消えていった! 逆転満塁ホームラン! 土壇場の八回表、横浜市立港工業、四番・川島かわしまの一振りで、一気に試合をひっくり返しました! グランドスラム! 5対2!」


八回表 横 5-2 南


 だが、遙人は諦めていなかった。

(落ち込んでいるところを、初球狙いで来るはず。初球はボール気味のスライダーだ)

 後続のバッターを、セカンドゴロに打ち取り、ツーアウト。

(次は、ボール気味のサークルチェンジ)

 サードゴロで、スリーアウト・チェンジ。


 ベンチに戻ってくる大江おおえの目に、光はなかった。監督も、他の選手たちも、誰もがうつむいている。


「監督」

 遙人は、高坂こうさか監督の前に立った。

「生意気を言うことを、先に謝っておきます。すみません。……でも、高坂こうさか先生は、僕にこう言いましたよね。『再び光を与えられる存在に俺はなりたい。最後の最後まで決して諦めない大人であり続けたい』と。……それ、今からやりませんか? いや、今こそ、やるべきでしょう! 高坂こうさか監督!」


「……ふぅー。高橋たかはし、ありがとな。心の中で葛藤してた。情けない自分を、自分で殴りてえよ。……さあ! 円陣を組むぞ!」

 監督の、魂の叫びがベンチに響く。

「いいか! この試合も、九回ツーアウト・フルカウントの、最後の一球まで、俺は絶対にお前たちを諦めさせない! 生徒の闇夜から、再び光をその手に取り戻させる! そういう欲張りな教師で、俺はありたいんだ! まだ試合は終わってないぞ! 全力で、四番の大江おおえまで繋げるんだ! ここからだ! 逆転するぞ!」

「「「おうっ!!」」」


 しかし、八回裏は無得点に終わる。

 そして、運命の九回裏。ツーアウトから、奇跡が起きる。

 ランナー二塁・三塁の場面で、三番・高橋遙人たかはしはるとが、12球もファールで粘った末に、フォアボールをもぎとった。


 九回裏、ツーアウト・ランナー満塁。バッターは四番、大江拓哉おおえたくや

 カウントは、スリーボール、ツーストライク。運命の一球。


(なあ、みっち……いや、相棒。俺は今も、お前を信じてる。そして、今の仲間も、自分自身も。相棒、一緒に行こうぜ、甲子園に!)


(この一球で、終わりだ。最高のインコースのフォークで、俺たちが、甲子園に行く!)


実況:「九回裏、ツーアウト・フルカウント! 球場全体の視線が、マウンド上のピッチャー松尾まつおに注がれます! 運命の第8球を、投げた! ……打ったぁー! 打球は高々と舞い上がる! レフトポール際、切れるか、切れるか!?」


「お願い! 切れないで!」

「いけぇーっ!」


実況:「――ポールに、当たったぁー! 入った! 入りました! お釣りなしの、逆転、サヨナラ、満塁、ホームラーン!! 信じられません! 最後の最後まで諦めなかった球児たちの想いが、奇跡の白球となって、甲子園へと届く、美しい軌跡キセキを描きました! 5対6! サヨナラ勝ち! 優勝は、南浦部第一高等学校です!」


 バッターランナーの大江おおえが、ゆっくりとホームベースを踏み、グラウンドに深々と一礼をする。

 未来永劫、語り継がれるであろう名試合の幕が、今、閉じた。


「……よくやった! 大江おおえ!」

 高坂こうさか監督は、大江おおえを強く、強く、抱きしめた。

「ありがとうございます……監督!」


大江おおえ、この後、ちょっと時間いいか?」

「はい!」

三浦直也みうらなおや君のお母さんから、お前に渡してほしいと頼まれたものがあるんだ。これだ」

 監督が手渡したのは、黒い刺繍の入った、白い鉢巻きだった。

「『毎年、命日に、早朝から直也のお墓を掃除してくれて、ありがとう。そして、今も直也のことを忘れないでいてくれて、ありがとう』……そう、伝えてくれ、と。直也なおや君のご家族は、ずっと、お前のことを陰ながら応援していたそうだ。毎試合、家族の誰かが、スタンドにも来ていたらしい。……ありがたいよな。荷物はいいから、この後、直也なおや君のお母さんにお礼を言いに行け」


 大江おおえは、その鉢巻きを、震える手で受け取った。

 そこには、“甲子園に行こうな 相棒”と、不器用な文字が刺繍されていた。


 大江おおえの視界が、涙で、滲む。


「……涙で、はっきり文字が、見えないよ……。相棒……。指、怪我しながら、縫ったんだろうな……。相棒……一緒に行こうな、甲子園に。……ありがとう、相棒。野球を、教えてくれて、ありがとう。俺に、希望を与えてくれて……ありがとう……」


 近くにいた高坂こうさかと遙人も、うつむきながら、静かに号泣していた。


「さあ、お礼を言いに行ってこい! 大江おおえ!」

「……はい!」


高橋たかはしもだ。荷物はいいから、行ってこい。あのスタンドにいる、沢村さわむらさんにも、ちゃんとお礼を言ってくるんだ。……これは、監督命令だ。はあ、本当に、世話の焼ける生徒たちだよ」

 監督は、遙人の耳元で、優しく囁いた。

「はい! ありがとうございます!」


 夏は、まだ始まったばかり。

 様々な想いが、どこまでも広がる夏の青空に、溶け込んでいった。

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