第11話 俺は高坂先生に萌え萌えだ

 職員室のドアの前で、俺は隣に立つ大江おおえに小声で尋ねた。


「監督の名前は? あと、気難しいタイプだったりする?」


高坂こうさか監督。前の監督は気難しかったけど、高坂こうさか監督は……優しい」


「そっか。……大江おおえ、ありがと」


「……いや、別に」


 コンコン、と軽くノックをして、俺たちはドアを開けた。


「失礼します!」

「失礼します!」


「おっ、大江おおえ! よく来たな。隣にいるのが、えーっと……」


「二年二組の高橋遙人たかはしはるとです。お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます」


「ああ、高橋たかはし君か! 数学、毎回満点なんだってな。すごいじゃないか。俺は三年生の国語担当で、野球部監督の高坂こうさかのぼるだ。よろしくな」


「はい! よろしくお願いします! いえいえ、英語と数学が好きなだけで、特に日本史の成績は絶望的です」


「ははっ。……大江おおえ! 連れてきてくれてありがとうな! 今日も練習、頑張れよ!」


「はい! 失礼します!」


 大江おおえが職員室を出ていく。


「さて、高橋たかはし君、ここに座ってくれ。……二年の社会科担当の田中、マジで授業がおもんないだろ?」


「えーと……起きているフリをしながら脳は寝ている状態なので、正直よく分かりませんが。まあ、高圧的でムカつきますし、ただ教科書を読んでるだけ。授業を分かりやすく、楽しくしようという工夫も情熱も感じられません。給料さえもらえれば、普段の授業なんて適当でいい、という考えの持ち主だと思われます」


「ははははっ!! 高橋たかはし! 気に入った! その通りだ! ここだけの話だぞ、しーっ。俺もな、合わないんだよ、奴とは。教職員の飲み会でも、あの人をなめ腐った態度は、温厚な俺でさえ、むりむりむり!!」


「あの……先生、声のトーンをもう少し……」


「おっと、そうだな。ははは。で、入部する前に、言っておきたいことがあるんだ」


「何でしょうか?」


「前任の野球部監督が、生徒を殴ってな。学校側はそれを隠蔽いんぺいし、そいつは責任も取らずに他校に異動しやがった。……つーか、理不尽に生徒をボコボコに殴るようなやつは、自ら辞表を出して警察に自首して罪をつぐなうべきだ。そうだろ?」


「おっしゃる通りです!」


「で、俺が監督を引き受けたってわけだ。その前はバレー部の顧問でな。昔、実業団じつぎょうだんでバレーをやってたんだが、色々あって今は教師をやってる」


「そういうことでしたか」


高橋たかはしは、野球経験があるんだってな」


「中学二年までですが、キャッチャーをやっていました」


「ほう。じゃあ、キャッチャーやるか?」


「いえ。もし自分が高校一年から真面目に練習してきたのに、地方予選が始まるこの時期に、どこの馬の骨とも分からないやつにレギュラーを奪われたら……毎日、そいつの名前を書いた藁人形わらにんぎょう五寸釘ごすんくぎを打ち続けるでしょうね。なので、俺は相手チームのデータ分析など、裏方として選手皆様のサポートに全力を尽くします!」


五寸釘ごすんくぎて! ははは、お前、面白いな! そりゃホラーだわ。……まあ、マネージャーは雑用もあるぞ。ユニフォームの洗濯とか」


「女子マネージャーもいますよね? もし俺が『先輩のユニフォームは洗いますが、それ以外の雑用は一切しません』なんて言った日には、『何あいつ! 生意気!』って、今度は女子マネに五寸釘ごすんくぎを……」


「わかった、わかった! 女子マネとは話し合って、仲良くやってくれ! ……正直に言うと、俺は野球の経験がない。だから、試合中に俺の作戦が明らかに間違ってると感じたら、遠慮なく指摘してほしい。今のキャッチャーの山田は、リードが壊滅的にダメだ。素人の俺でも分かる。高橋たかはし、山田をサポートしてやってくれ。一球一球のサインは、お前に任せる。そう山田にも伝えておく。頼りにしてるぞ。野球部に来てくれて、本当にありがとうな」


「……! そんな……。こちらこそ、ありがとうございます! 正直、最初は気難しい監督だろうなと身構えてました。でも今、心の底から尊敬できる監督だと思いました。……ギャップ萌え、しました!」


「……はははは! 待て待て、ギャップ萌えって、俺にか?」


「はい。ギャップ萌えの、胸キュンです」


「ぶはっ! やめろ、笑い死にする! 相手は男だぞ、俺は! ははは! これが女の先生だったら、ラブコメの王道展開なのになぁ。残念、俺は男なんだわ!」


「この胸の高鳴りは、もう誰にも止められません!」


「もう分かったから! そのワードは禁止な! ……本当は、特定の生徒を依怙贔屓えこひいきしちゃいけないんだが……入部祝いだ。今日は俺のおごりりで、町中華でも行くか。偶然会ったってテイでな。ただし、1000円までだぞ」


「ゴチになります! 給料日前で金欠状態ノーマネーなんでしょ。その気持ち分かります!」


「ははは、勘のいいガキは嫌いだよ! ……ここだけの話、彼女へのプレゼントでな。指輪を、買ったんだ」


「もしかして、その彼女って、先生の初恋の人ですか?」


「だから、勘が鋭いガキは嫌いなんだって! ……ああ、そうだ。高校二年の時の、初恋の相手だ」


「ぜひ、町中華でその話、詳しく聞かせてください! ビール二杯も飲めば、気持ちよく話してくれますよね!」


「……なるほどな。お前も今、好きな子がいるんだな。わかりやすいやつめ。かわいいとこ、あるじゃねえか」


「…………っ」


「なんだよ、顔、真っ赤だぞ」


「ギャップ萌えです。高坂こうさか先生のことが、大好きなんです。だから、顔が赤くなったんです」


「だから、やめろって! ははは! 告白してくんな! 思わず惚れちまうだろが!」


 腹を抱えて笑う監督と、真顔でボケる生徒。

 そのやり取りは、職員室の周りの教師たちにも聞こえていた。ある者は苦笑いを浮かべ、ある者は必死で笑いをこらえている。


 不意に、高坂こうさかの笑い声が止んだ。彼はゆっくりと立ち上がると、俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 そして、職員室全体に響き渡るような、熱のこもった声で言った。


「一部の教師の不祥事ふしょうじで、真面目に生徒と向き合っている多くの教師まで、同じ目で見られる。その理不尽さに、日々、腹が立っていた。だが、今は違う。自分の欲望のために、子どもたちの純粋な感情を奪い、その目の光を失わせる大人がいるのなら――俺は、なりたいんだ! たとえ高校という、人生のわずかな時間だとしても、目の前の愛すべき生徒たちの心に、再び熱い灯火をともせる存在に! どんなに困難でも、最後の最後まで決して諦めない、そんな大人であり続けたい! ――ようこそ、我が野球部へ! 高橋遙人たかはしはると、お前を心から歓迎する!」


 その言葉に、俺の胸も熱くなった。


「監督、ありがとうございます! 必ず、みんなと一緒に監督を甲子園へ連れていけるよう、全力で頑張ります! そして、次の定期テストも、必ず納得できる成績を残してみせます!」


 高坂こうさか監督は、立ち上がった俺の背中に、そっと手を当てた。その力強い手のひらの感触。

 監督の瞳に宿る灯火は、まるで炎のように燃え上がって見えた。その視線は、窓の外に広がる、夏真っ盛りの青空へと向けられていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――


登場人物紹介


高坂こうさか のぼる

https://kakuyomu.jp/users/aoisorakirei/news/16818792437074396322

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