16
ミランダの話、まだジジには出来てない。
少なくとも今、ルノに知らせたら支部まで飛んできて、ミランダの事を殺しかねへんやん? ジジかてそう。あの兄弟、そういうところはよく似てると思う。
ずっと黙ってる事なんか出来ひんって分かってる。いつかはちゃんと話さんなあかん事やっていうのもちゃんと分かってんねんで。ずっと隠しとくのが、良い事って訳やないって。
でもどうやって話したらいい?
まさか自分が話したせいで家族を殺されてるなんて、今のルノに知らせる事なんか出来ひん。ジジには話せても、ルノにだけは話されへんよ。
なんであんな事したんか、なんで今もルノを狙ってんのか、どこのなんて組織にいてんのか。そういうの、全部聞くまで殺す訳にはいかんやん。だから聞き出すまでは、ジジにも黙ってる事になってる。
ヴィヴィアンのメッセージによると、ルノがなんで自分だけハミゴなんって言い出したみたいや。当たり前やと思う。オレがルノやったとしても同じ事を言うたと思う。
そのせいでジジにまた殴られてるって、ホンマかな? 今度は鼻血出して悔し泣きしてたって話や。ちょっと可哀想すぎると思う。
上手い言い訳を考えろなんて、無茶を言われた。
なんて言うたらええん? なんも思いつかへん。ジェームスは忙しそうやし、ゆりちゃんは学校に行ったから、オレが考えるしかないのに。
ルノはなんて言うたら大人しく納得してくれるやろ。ジジの別任務やったとか? でも別任務やったらそう言えばええだけやったもん。殴ってまで追い払う必要はなかった筈。ああもう、ジジはなんで殴ったりしたんよ。
ゆりちゃんを見張ってるジジは、こっちの事情も知らんとレッドブルをごくごく飲んでるところやった。車内カメラには、退屈そうに学校の建物を眺めてる姿が映ってる。
隣りで仮眠してるルークが、うんごーっていびきかいてる以外はめちゃ静か。ラジオもかけんと、ジジは真面目に仕事をしてる。
「なんでルノを殴ったん?」
「大人しくしてへんアイツが悪い」
ジジはずっとこんな調子。
ゆりちゃんからパクイプにメッセージが届く。授業が全然面白くないって内容。こっちが気になって授業に集中出来ひんって。あとルノとジジはどうしてるっていう内容。
ジジはそれに、当たり前のように喧嘩したって返事した。喧嘩したっていうか、ジジが一方的にルノを殴ったんちゃうん? 少なくとも、オレはヴィヴィアンからそう聞いてんけど。
ルノもこのままにしとくのは限界かもしれん。鼻血が出るほどって、相当酷く殴られたんやろ? おまけに知らん人達の前で悔し泣きしたって、もうボロボロやんか。あのプライドだけアホみたいに高くて、カチカチのルノがやで? また限界まで我慢してるんかもしれん。
「ホンマに鼻血が出るほど殴ったん?」
「ルノが避けんかったから、思いっきりきれいに入った。あれはちょっと流石にやりすぎたかもしれん」
「かもちゃうやろ。謝ったん?」
「謝ったよ。でもあれくらいせな、ルノは大人しくしてへんやろ」
「そうやったとしてもやりすぎやんか」
ジジは何とも思ってなさそうな顔をして、ぼうっと外を見てる。
ホンマに何を考えてるんやろ。ヴィヴィアンでも、もうちょっと話し合いで解決出来たんやけど。なんで殴んの、ホンマに。全然理由が分からんままなんやけど、ちょっと聞き出すのを諦めたくなってきた。
ふとヴィヴィアンの方の画面を見た。
何かあった時にすぐに反応出来るようにって繋いだままなんよ。ジェームスもこの画面を見てる筈。ヴィヴィアンも他の工作員もずっと暇そうに座ってるだけやけど。一応向こうの映像はずっと届いてる。
そこの隅っこに毛布にくるまってゴロゴロしてるルノが映ってた。携帯電話を放り出して、ヴィヴィアンのそばをごろごろ転がって、眠そうにあくびしてる。ちょっと寂しそうな顔をしてて、ヴィヴィアンの事を見上げてた。
オレはヴィヴィアンに、ルノの様子は?ってメッセージを送った。
返事はすぐに来て、せめて支部に戻りたいって文句を言いだしたって。当たり前やと思うけど、ルノを下手に動かすと居場所がバレるかもしれん。それに支部に戻したら、ルノに今回の作戦の事が気付かれてまう。まだ可哀想やけど我慢してもらうしかない。
今の寮の部屋にはおもちゃもないやろし、テレビすらないって聞いてる。ヴィヴィアンはジェーンと昔の話をしてるみたいやけど、そんなん全く知らんルノは面白くないに決まってる。なんか差し入れした方がいいかもしれん。
トイレに行こうと思って、オレは手伝ってくれてるラモと、やらされてるコンドルに、トイレって伝えて立ち上がった。
コンドルは椅子に縛られてて、おまけにルノのとおんなじ発信機もつけられてる。ラモはコンドル用にってスタンガンも持ってるし、二人にしても大丈夫やろ。
会議室を出て廊下に出ると、食堂でルノと同じく暇そうにしてるジャメルさんとジャンヌちゃんが見えた。仲良く同じテーブルに座ってて、何もやってる様子はない。ジャンヌちゃんはオレのパソコンを目の前に置いてぼーっとしてる。ジャメルさんはテーブルに突っ伏して動かん。
この二人も、ルノやジジがおらんかったら退屈やろな。
トイレから戻って、オレは二人のところに行った。
「なあジャンヌちゃん、ルノって小さい頃、どんなおもちゃで遊んでた?」
「お兄ちゃんが遊んでるところとか見た事ないで」
ジャンヌちゃんは不思議そうな顔をして答えた。
「そんな事ないやろ?」
「うちが知ってる限り、いつでも忙しそうに家の掃除したり料理したりしてたで」
「じゃあ欲しがってたものとか」
「ハシシちゃうん?」
流石にそんなん物、差し入れ出来ひんで。
ジャメルさんがジャンヌちゃんに何か言うた。何の話か聞かれたんやと思う。ジャンヌちゃんは優しくジャメルさんにそれを翻訳して伝えた。
「なんか、お兄ちゃんは楽器やりたかったみたいってジャメルが言うてる」
なんやそれ。ルノ、めちゃくちゃ音痴やん。正直知ってる曲をうたわれても分からんのに、楽器とか絶対無理やろ。
「楽器?」
ジャメルさんはにこっと笑ってなんか左手をぐーにして、その上で右手の指を動かして見せた。全然分からん。なんの真似やろ?
「ジャメルの部屋のトランペット、吹かれへんくせに触ってたって」
どうやらラッパを吹いてる真似してたらしい。ラッパってそんなんやっけと思いながら、オレはふんふん頷いた。
「そんでジャメルはカラオケがしたいんやって」
ちょっと考えて、オレは自分の部屋にあったiPadを思い出した。なんもないよりはマシやろ? アニメくらいは見られる筈。日本語やけど、ジャンヌちゃんおるし大丈夫やろ。ちょっとやったらマンガも入ってた気がする。好みやないやろけど。
「カラオケはないけど、iPadを貸してあげるから、アニメでも見ててくれへん?」
「うちは嫌。ジャメルの好み、古いんやもん」
「じゃあ学校の教科書はどう?」
「ホンマ? じゃあそれやる」
ジャンヌちゃんって、全然ルノに似てへん。ルノは教科書を持って歩くのも嫌がんのに。ジャンヌちゃんはあんなん読んで楽しいんかな。オレかて、あんな初歩の初歩を読んでも面白くはないんやけどな。
とりあえず自分の部屋まで教科書とiPadを取りに戻った。どっちもすぐに見つかったからよかった。閉じ込められてた間も、ルノはこれを触らんかったみたい。ついでに充電ケーブルも持って行く事にしてあげようと、オレはコンセントの前にしゃがみこんだ。
ルノやヴィヴィアンにもなんかないかなって、ちょっと考えたけどなんも思いつかん。ヴィヴィアンは話し相手がおるし、そんなんいらんかもしれん。
結局なんも思いつかんまま、オレは部屋を出た。食堂に戻って二人に教科書とiPadを渡すと、ジャメルさんは嬉しそうに笑った。ジャンヌちゃんにはJavaの教科書を渡す。ホンマにこんなんでええんかな。でも嬉しそうやったからええか。
おばちゃんにプリンと紅茶をもらって、そのまま会議室に戻ろうと決めた。
おばちゃんは忙しそうに何かを作ってるところやった。なんかお弁当みたい。大きい容器にいろいろ詰めてるのが見えた。
「ああダンテ。ルノの好きなおかず知っとるか?」
「なんでも食べるから分からんけど、サーモン好きみたいやで」
「じゃあ焼き鮭入れよか。ヴィヴィアンは?」
「エビフライ」
あの寮に持って行くお弁当を作ってるんやなって思って、オレはそのままちょっと考えた。多分夕飯や。お昼はどうしたんやろ。食べてない訳やないと思うけど、あの部屋じゃルノが料理したりも出来ひんと思うし、困ってるやろな。
「それ、誰が持って行くん?」
「キティの予定やけど、まだちょっと分からへんなぁ」
ジジが行ったって、ルノは嬉しくないんやろな。話し相手になってくれるとも思えへんし、つらいだけちゃうんやろか。またジジがルノを殴らんかったらええんやけど。
自分で冷蔵庫まで行ってプリンを出すと、適当に紅茶をマグカップに入れてお盆に乗せた。忘れずスプーンを持つと、確認してから食堂を出た。
会議室に向かうと、ちょうどジェームスがおった。
「何してんの?」
「動きがあったって聞いてな」
ジェームスはドアを開けてくれて、オレを先に中に入れてくれた。
パソコンの前でラモがジジに向かって、何か言ってるのが分かった。
オレは急いで自分の端末の前に座ると、お盆を置いてヘッドセットの電源を入れる。繋がった瞬間、銃声が聞こえた。
「何があったん?」
隣りでパソコンを叩いてたコンドルに尋ねた。
「下校したリリーを狙って、銃を撃ってきた」
コンドルは困った様子でこっちを見る。
「この端末じゃなんも出来んから、いつもの端末と変えて下さい」
ジェームスはダメだって答えると、画面を見つめた。
悲鳴を上げたゆりちゃんは、車の影でスケボーを抱えて小さくなった。ルークが銃を撃ってる姿も映ってる。ジジが大丈夫やから落ち着いてって、しっかりした声で言う。ゆりちゃんの隣りで銃を構えてる。
確か、ジジとルークが乗ってた車は防弾仕様やった筈。その陰に座ってる限りは安全やけど、多分ゆりちゃんはそんな事を知らんまま。ヘッドセットはしてなさそうやから、伝える方法がない。ジジに伝えてなんて言える状況でもない。
ジジのつけてるカメラに、ゆりちゃんの怯えた顔が映る。落ち着けなんて言うても仕方がないのは分かってるけど、どうしたらええかな。
「何人いる?」
ジェームスが尋ねた。
「分からんよ、結構いてる」
ルークが答えた。
「ゆりちゃんは乗って、うちが引き付ける」
ジジはそんな事を言うと、突然道路に飛び出して行った。
学校の建物がまだ見える位置で、電車の音も聞こえてくる。きっと環状線の高架下すぐなんやと思う。電車の音でかき消されそうになってるけど、でも確かに銃声が響いてた。
ジジはそんなところを走って行く。カメラには黒いワゴン車が映ってて、そこから誰かが身を乗り出してる。ジジはその近くにある電信柱に向かって行った。
「勝手な事するんじゃない。すぐに戻れ」
ジェームスがそう怒鳴った。
「うちがどうにかするから、早くゆりちゃん連れてって」
ジジは電信柱の影で止まるとそう言った。
そのまま上手に敵の数人を撃ち殺す。何発か外してるから、多分ルノほど上手やないんやと思う。でもヴィヴィアンよりずっと上手い。すぐに敵の数は半分に減った。
急いだ様子で車に乗り込んで、ルークはエンジンを掛けた。そのままジジのところまで行くと、車を止めてドアを開けた。
「早よ乗って」
悔しそうな顔をして、ジジは助手席に飛び乗った。
車はすぐに走り出した。
「ジジのアホ、なんて事するんよ」
ゆりちゃんが半泣きで怒鳴る。
「だって」
「だってちゃうわ。ジジが死んでもたらどうすんの? うちかてそんなんして守ってほしくない。ルノもジャンヌちゃんも悲しむやろ?」
泣きそうな顔をして、ジジの事を睨んだ。ジジのマイクまで届くほどやから、結構なボリュームで怒鳴ったんやと思う。ジジは目を見開いて、黙った。
「ルノと喧嘩したんやろ? 喧嘩してそのまま死んだら、ルノがどう思うか考えて」
「ごめん」
ジジは静かに謝ると俯いた。
「怪我無いか?」
「ちょっとかすっただけ」
「怪我してるやんか」
ゆりちゃんはまた思いっきり怒鳴った。
「とにかく一回戻って来なさい」
ジェームスはそう指示すると、溜息をついてヘッドセットを外した。眉毛の間を揉みながら、どうしようなんて珍しく自信なさそうに呟くから、オレはそれが心配やった。
戻ってきたジジは、かすったどころのケガじゃなかった。思いっきり右足を撃たれてて、ゆりちゃんもルークも、ジジの血で真っ赤やったからや。
そんなに酷くないって聞いたけど、めちゃくちゃ血を流してたから怖かった。ルークに引きずられて医務室に直行した。手は借りてたけど、自分で歩いてる姿が信じられへんかった。
ゆりちゃんは泣きそうな顔をしてて、スケボーを抱いてずっと医務室の椅子に座ってた。ジジの血やと思う。血で汚れた手を洗いもせんと、ずっと待ってんねん。
そんな血を見て、オレも怖なった。ジジが死んでまうんちゃうかって、不安でいっぱいになったんよ。だからゆりちゃんの隣りで一緒にジジが出てくんのを待った。
「痛いって先生、薬打ってよ」
「無茶したって聞いたで。もうせんって約束するまで打ちません」
「約束するから打ってぇや」
ジジと先生の声が聞こえてきた。
約束しても、ジジはまたやる気がする。ジジやもん。人の言う事を大人しく聞いてくれるとも思えへん。すぐに忘れてやりそうやない? 今回はゆりちゃんのためやったけど、誰のためにでも同じ事やるタイプやと思う。
ゆりちゃんかて、そんな事されたくなかったんやと思う。
「ゆりちゃんは怪我無い?」
「大丈夫」
赤いスケボーを抱きしめて、ゆりちゃんは頷いた。両手が乾いた血で赤いまま。リュックの事も忘れてるみたい。重い筈やのに背負いっぱなし。
オレは立ち上がると、スケボーを引っ張った。
「そこに水道あるから」
「分かった」
ゆりちゃんは大人しくスケボーから手を離すと、水道のところまで歩いて行った。手を流して、石鹸をつけると赤茶けた泡が出てくる。
スケボーにも血が飛んでたみたいで、よく見たら赤い跡が残ってた。
「スケボーって洗えるもんなん?」
「洗われへんよ」
ゆりちゃんはそう答えると、つらそうにこっちを見た。ジジが怪我したん、自分のせいやと思ってる。ゆりちゃんのせいやないのに。
なんか言うてあげやなあかんのに、何も出て来んねん。赤いタイヤのついたスケボーを抱えて、オレはゆりちゃんを見てた。
今日はジジの服を着て行ったから、ゆりちゃんはオレンジ色の丈が短めのワンピースを着てた。ちょっと大きいんかもしれへんけど、それに黒のスニーカーを履いてる。黄色いひまわりの柄やったけど、そんなん分からんようになるくらい赤い血の跡が残ってる。
いつもは動きやすそうなズボンを着てるから、スカートやったらゆりちゃんって感じがせぇへん。凄い女の子って感じがするんはなんでやろ。今日は髪の毛をくくってないから?
どうしよかと思ってたら、医務室にジャンヌちゃんとジャメルさんが飛んできた。
「お姉ちゃんが怪我したってホンマなん?」
ジャンヌちゃんに聞かれて、オレは正直に頷いた。
「ゆりちゃん、それは?」
ヤバイと思って、とっさにゆりちゃんとジャンヌちゃんの間に入ったけど、無駄やった。
めちゃくちゃ怖い顔したジャメルさんが、オレの肩に手を掛けてなんか言うんよ。フランス語やったみたいで分からんかったけど、ジジはどうしたんって言うてる事くらいは分かった。
「お姉ちゃんは? どこなんよ」
ジャンヌちゃんがオレの事を見てそう言うた。真剣な目で、ジャンヌちゃんはオレの事を真っ直ぐ見つめてくる。
またジャメルさんに大きく肩を揺さ振られて、オレは怖くなった。言いたくない訳やないけど、ジャメルさんの目が真剣やったからや。
「今、治療してる」
ゆりちゃんがそう答えて、奥のカーテンを指差した。
でもカーテンの中から、何故かジジが顔を出した。
「ジャンヌ、ジャメルもおるんか」
やっぱりなんともなさそうな顔をしたジジは、優しく笑って見せた。
「大丈夫やで。姉ちゃんは不死身やから」
元気付けたかったんやと思う。ジジは満面の笑みでそう言うた。ガッツポーズまでして見せるけど、なんか痛々しくて見てられへんかった。
ジャンヌちゃんはそんなジジのところまで、つかつかと近づいて行った。そして勢いよくその顔を叩いた。ぱーんっていい音が響く。
「このアホ女。笑ってる場合か」
もう一発、ぱーんって音がした。
呆然とジャンヌちゃんを見上げるジジが、ほっぺたを押さえて座ってる。
「お姉ちゃん、またうちの事一人にするつもりなん? お兄ちゃんも帰ってけぇへんし、ジャメルもずっと心配してたんやで」
びっくりしすぎて動かれへんかってんけど、一番最初にジャメルさんがオレから手を離して飛んで行った。なんか言いながらジャンヌちゃんを引き離す。でもそんなジャメルさんも引っぱたいて、ジャンヌちゃんはジジに向かって手を振り上げた。
「このピュタン。ええ加減にせぇよ」
「ジャンヌやめて、ごめんってば」
ジジが必死でそう謝ってるのを、ジャンヌちゃんは泣きながら張り飛ばした。
どうにかジャンヌちゃんの両手を握って、ジャメルさんは困った顔をした。どうしよってこっち見るけど、オレにはどうしていいんか分からん。
「産業廃棄物の分際で、何が不死身や。なんでこんなケガしたりしたんよ? ちゃんと答えて」
ジジはめちゃくちゃびっくりした様子で、ジャンヌちゃんを見つめる。
オレかてびっくりした。ジャンヌちゃんがそんなふうに怒ったの、はじめて見たんやもん。それにジャンヌちゃんは怒らんと思ってたから。こんなルノみたいなキレ方するとは思ってもみんかった。
「答えられへんのか、このド淫乱の売女。返事する分、下半身に忠実なお兄ちゃんのがマシやぞ」
ジャメルさんはちらっとこっちを振り向くと、大袈裟に口を動かした。多分ヘルプミーやと思う。オレなんかにどうやってって、めちゃくちゃ聞きたくなった。
こういう時の対処法を一番知ってんのは、兄弟のルノやんか。今すぐここにルノを召喚するしかないと思うんよ。
ゆりちゃんがジャンヌちゃんの顔を覗き込んで、怪我人なんやから打つのはやめようやって笑いかけた。
勇者なんちゃうかなって思いながら、そんなゆりちゃんの背中を見てた。今度はオレがスケボーを抱きしめる番やったみたい。もう怖すぎて、オレにはなんも出来ひん。ルノ、今すぐジャンヌちゃんを止めてって思いながら、泣きたくなるのを我慢してた。
「ジャンヌちゃん、深呼吸しよか?」
「ゆりちゃん。今、兄弟の大事な話してるから黙ってて」
殺気立ったジャンヌちゃんは、じろっとゆりちゃんを一回だけ睨むと、ジャメルさんになんか言うた。ジャメルさんはそれを聞くと黙ってジャンヌちゃんから離れた。ゆりちゃんも怯えた顔をすると、大人しくジャンヌちゃんのそばを離れる。
「おいコラ、返事せんか。この使えんゴミくず女」
やっぱり、ジャンヌちゃんもルノの妹やなって思った。だって、オレには罵れって言われたからって、そんな言葉は出てけぇへんねんもん。なんでそんなん一瞬で出てくるん? ルノもそうやけど、すぐにこんな言葉が出てくるのは凄いと思うんよ。それもペラペラと。ルノはジャンヌちゃんみたいに日本語じゃ言わんけど、それでも毎回違う単語で罵ってるやん。
でもこの剣幕、怖すぎてなんも出来ひん。
「ごめん。大した事ないって言いたかってんけど」
「それのどこが大した事ないんや、目が見えてへんのちゃうか? それとも恋したせいでジャメルの他はなんも見えへんようになったんか?」
「見えてるよ」
「悪いと思ってるんやったら敬語使えや、甘えとんちゃうぞ」
「はい、すみませんでした」
とうとうジジがジャンヌちゃんに頭を下げた。妹に泣かされそうになってるジジは、俯いて肩をすくめた。
ジャメルさんがこっちまで下がってくると、オレの横で溜息をついた。手に負えないって顔をして、ジジとジャンヌちゃんの様子を見てる。疲れた顔をしてて、頭を抱えてた。
「何があったんか、どんなケガしたんか、ちゃんと話せや。出来ひんねやったら、顔なんぞ二度と見とぅない」
ジャンヌちゃんはそう言い切ると、ジジの顔をじっと見つめた。
先生が困った顔でジャンヌちゃんを見てる。
「あの流石にどんなケガって」
「家族なんですけど」
「右足を銃で撃たれて、重症です」
ジャンヌちゃんの勢いに押されて、先生は答えた。先生も震えあがってて、怖かったんやと思う。ホンマは教えたらあかん筈やのに、ジャンヌちゃんに銃の事まで話した。
「アホちゃうか? 何が平気や、ふざけんな」
「ごめん」
ジジが止められへんねやったら、今のジャンヌちゃんはルノしか止められへんのちゃうん? どうしたらええんよ? 誰か助けて。
「それで、ルノはどこなん?」
ジャンヌちゃんはジジの前の椅子に座る。
「教えられへん。でも安全なところにいてる」
「それはホンマなんやな?」
「ホンマ」
ジジが頷くのを確認して、ジャンヌちゃんはこっちを見た。
「ごめんな、こんなピュタンのためにありがとう」
それからにこっと微笑んで、ジャンヌちゃんはオレとゆりちゃんを見上げてくる。立ち上がって、こっちまで歩いてくる。
「大丈夫そうやから、ジャメルに任せとこうや。お兄ちゃんの事、教えて」
そうは言われても、ゆりちゃんは寮におるって事しか知らん筈。寮の場所までは知らんのちゃうかな。ジェームスに聞くまで、オレも知らんかったもん。
それにオレかて、今のルノの様子って、ジジに殴られて悔し泣きしたってところまでしか知らん。それに、そんな事をジャンヌちゃんに教えていいとも思えへん。
でも、ジャンヌちゃんは絶対心配な筈やん。事情も分からんまま、ルノはどっか行くし、ジジは怪我して帰ってくる。絶対教えてほしいに決まってる。絶対不安な筈やん。ちょっとくらいやったら教えてあげてもええんちゃうかなって思ってん。
「ちょっとしか教えてあげられへんけど、それでもいい?」
オレはジャンヌちゃんに尋ねた。
「それでもいいから教えて」
ジャンヌちゃんに手を引かれて医務室を出ると、ゆりちゃんはとりあえずお風呂に行って着替えてくるって言うた。
オレもその方がいいと思ったから、ジャンヌちゃんに手を引っ張られながら歩いた。
食堂に出て行くと、ジェームスが頭を抱えてるところやった。
「なあジェームス、寮の回線にちょっとだけジャンヌちゃんを混ぜてあげてもいい?」
「はあ?」
「ルノの事、心配してんねん」
ジェームスはめちゃくちゃ悩んだ顔をしたけど、オレの横に立ってるジャンヌちゃんを見て決めたらしい。笑顔でその顔を覗き込んだ。
「ルノにはジジの事、絶対に話さないって約束出来るかな?」
「それはお兄ちゃんが心配するから?」
「そう。向こうでルノに騒がれたら困るんだ」
「分かった」
ジャンヌちゃんはにこっと笑って頷いた。
嬉しそうな顔をしたジャンヌちゃんを見て、オレはめちゃくちゃホッとした。もう怒ってないみたいやったから。
一緒に歩いて会議室まで行った。
カードキーをパネルに押し当て、ドアを開けるとジャンヌちゃんを先に中に入れた。足だけ椅子に縛られたままのコンドルがおるけど、見えてへんやろ。ラモがめちゃくちゃ焦った顔をしてオレを見る。
「ダンテ、その子は連れてきたらあかんやろ」
「ジェームスに許可は取ってきた。ルノと話したいって」
「ホンマに許可とってんの?」
「とった」
オレは自分のパソコンのところまで行った。ドア側に近い方の椅子を一つ近寄せて、横にジャンヌちゃんを座らせると、オレはパソコンの前に座った。ジェームスが使ってたヘッドセットをジャンヌちゃんに渡すと、オレは自分のヘッドセットを耳につけた。
「もしもし、ヴィヴィアン。いてる?」
「はーい」
もしかしたら昼寝してたんかな? たった今飛び起きたって感じのヴィヴィアンがカメラを覗き込んでくる。退屈するくらいには平和やったって事にちょっと安心して、オレはヴィヴィアンに言うた。
「ジャンヌちゃんがルノと話したいって」
「ダーリンはええって?」
「うん」
それからジャンヌちゃんの分もオンラインにすると、パソコンをジャンヌちゃんの方に向けた。
「ジャンヌちゃん、久しぶり。この通話、一応うちも聞いてんで」
「うん。お兄ちゃんは?」
「ちょっと待ってや」
ヴィヴィアンはパソコンを床に置くと、ベッド横の毛布の塊を揺さ振った。
「ルノ、こっちおいで」
「なにぃや。頭やったら絶対染めへんからな」
めちゃくちゃ不機嫌な顔をしたルノが、ヴィヴィアンの事を見上げてる。
「ジャンヌちゃんやで」
「ホンマに?」
ルノは嬉しそうに飛び起きると、パソコンの前に座った。ヴィヴィアンに渡された有線のイヤホンをつけて、ニコニコ笑う。元気そうに笑ってて、オレも安心した。
「お兄ちゃん」
ジャンヌちゃんはにこっと笑って、ルノに手を振る。
「ジャンヌ! 元気か?」
「めっちゃ暇やけど、元気やで。お兄ちゃんは?」
「俺も暇。なんもやる事ないねん」
そこから、急にジャンヌちゃんはフランス語を使い始めた。
ヴィヴィアンが困った顔をして、ルノの後ろからこっちを見てる。ヴィヴィアンやったらちょっとは分かると思ってんけど、もしかして分からんの? オレには聞き取られへんから英語やない筈。って事はフランス語やと思うんやけど。
でもニコニコしてたルノが、急に真剣な顔をした。どんどん顔色が悪くなっていって、小さい声でしか返事をせぇへんようになる。
おかしいとは思ったけど、オレはついさっきのジャンヌちゃんを見てた。だから怖くてよぅ止められんかった。怖いやんか、ジャンヌちゃんにあんなふうには怒られたくない。どうしたらええんよ、オレ。
「ちょっと待って、ジャンヌちゃん。日本語使って」
ヴィヴィアンがそう言うて、ルノから自分にカメラの向きを変えた。
ジャンヌちゃんは最後に一言、ルノになんか言うてからごめんごめんと笑った。
「ごめん。お兄ちゃんの恥ずかしい話をしたかってん」
でもそれにしてはルノの顔色が悪い。
「それ、ホンマなん?」
オレはジャンヌちゃんの横から顔を出して、ルノに尋ねた。
「ああうん。昔の話や」
ルノは嘘丸出しの顔して、こっち向かって微笑んだ。これは嘘ついてるなって、一瞬で分かったから、オレはジャンヌちゃんを見下ろした。
「お兄ちゃんがド変態の女の人に、お尻の穴触られて切れ痔になった時の話やで」
「ちょっと、やめてぇや。絶対秘密にするって言うたやんか」
「聞かれてんもん」
ルノの顔を見る限り、切れ痔は嘘やないらしい。なんでそんな事したんか気になるけど、聞いてもきっと教えてくれへんやろな。そこまで知りたい訳やないから別にええけど。
ヴィヴィアンが出来るフランス語って、日常会話って言うてたからしゃーない。そりゃ切れ痔なんて単語を知ってる筈ないやろ。ルノかて、そんな事を周りのいろんな人に聞かれたくなんかなかったやろし。
「お兄ちゃんが元気そうでよかった」
ジャンヌちゃんはそう笑うと、もういいよって笑ってヘッドセットを外した。立ち上がったから、オレも一緒に立ち上がってドアを開けた。会議室のドアはお客さん用じゃ開けられへんかった筈やから。
廊下に出て、ジャンヌちゃんはにこっと笑った。
「ありがとう、ダンテ」
ジャンヌちゃんはニコニコしながら食堂の方に歩いて行った。
あんなちょっとでよかったんかな。もっといろいろ話したい事とかなかったんかな。ルノの事も心配してた筈やのに。
オレもちょっとルノと話そうと思って、パソコンのところまで戻った。
「ルノ、調子は?」
「めちゃくちゃ暇やけど、それ以外はなんともないで」
ルノはちょっと恥ずかしそうな顔をして、周りをちらちら見る。全然関係ないところで、面白そうな顔をしてるコンドルとラモが声を殺して笑ってた。ルノには見えへんやろけど。ヴィヴィアンが真っ赤な顔して笑ってるけど、ルノはそれを見てもなんも言わんかった。
「今の、ゆりには言わんといてや」
「言わへんよ」
言えるもんなら言いたいけど、流石に可哀想やから言わへんよ。それにジャンヌちゃんがそのうちもっと面白い事をゆりちゃんに話そうやし。
ヴィヴィアンが大笑いしながら、床をバンバン叩いてるのが見える。
「ジャメルは?」
「ジジと一緒にいてるよ」
「姉ちゃんは?」
「さっきジャンヌちゃんに叱られてた。ジャンヌちゃんって、あんな怒るんやな」
「ジャンヌは怒らせたら姉ちゃんより怖いで」
ルノは溜息をついて、パソコンを抱えた。
画面の隅っこに、まだ笑ってるヴィヴィアンが映ってる。真っ赤になって、苦しそうになってた。そこまで笑うほどの事でもないと思ったんやけど、ヴィヴィアンは下ネタ大好きやもんなってちょっと思い出す。
「ジャンヌちゃんが怒った時はどうしたらええん?」
「そんなもん放っとくしかないやろ。どうせ姉ちゃんが悪かったんちゃうん?」
「それはそうやけど」
「じゃあジャンヌの気が済むまでさせたってぇや。俺ら年下にも怒る権利くらいある」
ルノは年下代表なんやろか。
何を言うてんかなと思いながら、うんうんって頷いた。ルノの気晴らしになればそれでええんやもん。意味の分からん事を好き勝手言うてたとしても、好きにさせたろうと思ってん。
「ルノはジャンヌちゃんに本気で怒られた事ある?」
「下着勝手に洗って、殺されかけた事あんで」
「なんで勝手に洗ったん?」
「生理やと思うんやけど、血がついてたから。時間が経ったら落ちひんやろ」
ルノってやっぱり、お兄ちゃんっていうか、お母さんな気がする。オレには分からんけど、そういうのって勝手に触ったらあかんもんなんちゃうの? ジジはともかく、そんなんしたらあかんってオレにでも分かんで。
それを聞いてたラモが、飲みかけのコーヒーを吹き出してむせた。ゲホゲホいうてんのを、コンドルが半笑いで見てる。よぅ見たら、ヴィヴィアンもめちゃくちゃ笑ってた。
「今笑ったん誰?」
「ラモって、ハッカー」
「笑い事ちゃうんやからな」
ルノはめちゃくちゃ真顔で画面に向かって言う。
「俺、どうすんのが正解やったんよ? おいラモさん、お前には分かるんか?」
ラモはめちゃくちゃ苦しそうにこっちを見て、それからうーんって悩んだ。
「そうやな。そっと注意するとか」
「言うても放っててんもん」
ルノは頭を抱えた。
「俺、女ちゃうもん。分かる訳あれへんやんか」
お姉さんと妹やったら、そういう悩みないんかと思った。ジジはともかく、ジャンヌちゃんはしっかりしてそうやと思ってんもん。意外やった。そういうのはジジだけがやってるんかと思った。
ひとしきり笑ってから、オレはルノに尋ねた。
「なんかほしい物ある?」
「何もいらんから、ダンテが話し相手なってぇや」
「時間のある時やったらええよ」
ちょっと残念そうな顔をして笑ったルノは、ヴィヴィアンに言われてヘッドホンを外した。
「夕飯来たわ」
「よかった。今日はエビフライ入ってんで」
「マジか、最高やんか」
ヴィヴィアンは嬉しそうに手を上げて、ドアの方に向かって行った。
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