第2話
放課後の部室には、私しかいない。
パソコンに表示された、書きかけの原稿と私は向き合っていた。
外から聞こえてくる野球部の掛け声と、どこからともなく流れてくるブラスバンドの音色が私の創作意欲を少しは刺激してくれるかな、と思ったけど、現実はそんなに甘くないみたいだ。
一文字も進まなかった。
というか、気に入らない一文を、何度も消した。
「やほ」
びくっとして、私は顔を上げる。
扉はいつの間にかに開いていて、にんまり顔の翔太がいつの間にか、背後に立っていた。
せっかく冷房キンキンだったのに、生ぬるい風が私の頬をくすぐった。
「何よ。邪魔しに来たの?」
「カオリの小説、そろそろ読ませてよ」
「見せれたら、見せてるっつうの。てかあんたは? 一応文学部、部長なんでしょ。先に自分の進捗状況を報告しなさい」
「訊いてくれたね」翔太はニーと笑って見せると、後ろに隠し持っていた(バレバレ)の分厚い原稿用紙の束を、ボンと机の上に置いた。
「それを言いに来たんだ。素晴らしい物が出来上がってしまったよ。こりゃ、芥川賞は硬いな」
出来たんだ、という感心の思いと、その尋常じゃない厚みを、私はうげーッと眺める。
「ぶあつッ……。てか、凄いね。あんたぐらいだよ。まだ紙に書いてる人………」
「当たり前だ。太宰も芥川龍之介も、桜の下の加治木基次郎も、みーんな原稿用紙とにらめっこしてたんだよ。それに比べると、現代の若者はパソコンなどという……」
「はいはい。んで、どんな話なわけ?」
私はその分厚いのを掴み取って、ペラペラめくってみるけど、まるで内容が頭に入ってこない。翔太独特の言葉遣いが難しいのもあるけど、何かが私に合っていないのだ。
一言でいうと、気持ちが悪かった。吐きそうだった。
「ほお、カオリ~。いいことを訊くな。題材はな、ずばりッ。夢と現実の境界が分からなくなった少女が、苦しみながらも、世界の真実を求めて彷徨うそんな………」
その時、突然ガラガラっと扉が開かれた。
「文学部の部室とは、こちらで合っていますでしょうか?」
扉の隙間から、半分覗かせた顔。
私ははっとして、立ち上がった。
「あ、あなたっ。マ……、高坂さん!?」
扉越しに、高坂さんと視線があった。
彼女も私に気が付いたらしく、姿を完全に表す。
「田中先生に、部活動の見学を進められました。ここは文学部の部室でしょうか?」
「そうです! 何々? もしかして新入部員かな? それとも体験入部? どれでも大歓迎!!!」
その食いつき様に、私はちょっと引いた。「あからさまに、勧誘するなよ……」
「いや、だって……。わが文学部は今、廃部の危機なんだぞ。今年のコンテストで結果出せなかったら廃部をにおわされてしまった部長の気持ちにもなってみろ。ということで、どうぞ。入って入って~」
翔太はまるでセイルスマンのように、高坂さんを部屋に招き入れる。
彼女は不思議そうに、部屋を見渡した後、取っ手つけたお世辞のようにいった。
「素敵な部室」
彼女のその言動に、私は正直違和感しかなかった。
「別に変に気を使わなくても、いいから」
「ありがとう」
「それで、ええと……」
さりげなく目配せしてきたら、私は素っ気なく答えてあげる。
「高坂さん、高坂マミさん。最近学校に雇われたアンドロイド」
翔太はマジかよ、といった視線を一瞬だけ私に向けた後、再び営業トーク調に話し始めた。
「もしかして、ちょっとでも文学部に興味を持ってくれた感じかな? 僕たちは主に小説を書いてコンテストとかネットに投稿する活動をしています。部員は、ええと……、カオリと、僕と、あと幽霊部員の子が一人と……茶道部と兼部している子が一人いるから………今四人? です! たまに奉仕活動とかあるけど、とにかくアットホームな部活です!」
なんて決まり文句を翔太が言うと、高坂さんは、静かに一つ頷いた。
「ショウセツ?」
「知らないの?」私は驚いて訊く。
「はい」
「ショウセツってのは……」翔太は少し考えた後、「昔々王子様が~みたいな感じのお話? のことだよ」
「いやニッチすぎ。ぜったい違うでしょ」
「なるほど」けど私の予想に反して、高坂さんは熱心に頷いた。「童話の類でしょうか」
「まあ、そんな感じかな」
「興味深いです」
「でしょ! あ、そうだっ。もしよかったら、今日体験入部してみたり……」
「ふん。ショーセツも読んだこともないような、アンドロイドごときに執筆なんて勤まるのかしら」
「っておい!! カオリ、おまえなんてこと……」
「ごときじゃない」
「……え」
私は目を見開いた。
高崎さんは、まっすぐと私のことを見ていた。
淀みない視線で、私の目を見ていた。
「書けるかは、分からないけど、書いてみることはできる。あと、カオリ。私の呼称をマミと呼ぶ約束を果たしてください」
「わ、分かったから。わたしが悪かった」
「え、君たち知り合い?」
「うん」
すると翔太は脱力したように、私のことを見た。
「なら話が早いじゃん。僕なんかがしゃしゃり出で話すより、カオリに話してもらった方がいいじゃんか。同じ女の子同士なんだし」
「うんそうだよ。私もそう思ってた」
そう平然と私が答えると、翔太はなんだよそれ、といった感じで私のことを見てくる。
そんなことにも目もくれないで、「マミおいで。見せてあげる」
「ありがとうございます」
私は席に座って、私は画面が消えていたパソコンのマウスを動し、再び起動させる。
画面には、私が紡いだ文字列が表示された。
「横、座りなさいよ。ちょっと恥ずかしいけど、こんな感じだから………」
「これが、ショウセツですか?」
「そう。これが、小説」
「ええと、じゃあ僕は家で推敲作業とか諸々あるから……。あとはカオリよろしく」
「うん。分かった。ばいばい」
「じゃあね。あッ、カオリぃ。今度僕のも読んでね。感想聞かせてね。ぜったいだよ」
どこぞの営業セイルスマンは足早に撤退していった。
ふと高坂さんを見ると、私の原稿を熱心に読んでいた。
そんな横顔を見ていると、ちょっとこそばゆくなってくる。
「これ、カオリが書いたのですか?」
「ん、まあそう……、だけど……」
「読み終わりました」
「は、早いわね。で、どうだった?」
「いいと思いました」と、暖簾を手で押したような返事が返ってくる。
「そ、そう。どの辺が?」と私は一応聞いてみる。
「分かりません。どの辺が良いのでしょうか」
「何それ。馬鹿にしてんの」
「いいえ、していません」
「あっそ。まあ、今のでわかった。あんたにショーセツ書くのは無理。諦めなさい」
少しでも期待した自分が、馬鹿らしくなってきた。
私はさっさと荷物をまとめ、パソコンをバックにしまい込む。
「待って、カオリ」
「何よ」
「カオリの小説、とても良かった。どこが凄いのか、説明できないけれど、とてもよかった。だから、私も書いてみる。だからもし……、上手くいったら、完成したら、読んでくれる?」
「あっそ、好きにしたら」
その一言を残し、私は部室を後にした。
その、帰り道。
どこまでも澄んだ青空を見ながら、どうして私はあんなこと言っちゃったんだろ、とポツリと思った。
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