第7話

 向かい合う私に、やっと彼の重い口が開いた。


「何か言うことはないか?」

「お待たせしてすいませんでした」

「そうじゃないだろう」


 あえて私は気づかないふりをする。

 気に入らないのだ。私が彼女を断罪しなかった事が。

 王族であるからこそ、自らに刃を向けた者を許してはならない。

 その不文律が理解できるからこそ、私はあえて彼を無視する。


「戦場では、そんなに甘い女ではなかったはずだが?」

「ここはもう戦場ではありませんし、戦い方にも色々ありますから」

「俺は掌握しろとは言ったが、無条件で取り入れろとは言っていない」


 腕を組み、指先でトントンと苛立ちを隠さない彼を私は睨みつける。


「そんなに甘いようで、俺の妻が務まるとでも?」

「なら、他をお探しください」


 間髪いれずに言った私に、一瞬彼は口ごもった。


「あなたの命令により、偽りとはいえ婚約者として認めさせるために頑張りました。わからないままに、頑張ったと自負しております」

「そうだな、お前は人の機敏に鈍感な所がある」


 痛いところを突かれて、今度は私が口ごもる。


「そ、それでも、私は必死に彼女達から学ぼうとしています」

「そうだな、アナ。君は元々心優しい女だからな」

「いえ、だからそういう冗談は……」

「最初に会った時に一目ぼれだと言っただろう。忘れたのか?」

「覚えておりますよ」


 まだ互いの国が辛うじて国交があった昔、幼い私達は引き合わされた。

 私の生まれ育った城の庭園に現れた少年は、キラキラとした銀の髪が眩しい少年だった。

 私は天使だと思ったのだ。

 何も知らされず、ただ同じ年の子供が来るから仲良くしろと言われただけ。

 初めてみる美しい少年に、私は花冠を作って差し出して天使に頼んだのだ。


「天使様、どうかお母様と弟が元気になりますように」

「ええっと、病気か何かなのか?」

「毒を盛られてしまったの。私の代わりにお母様が、そしておっぱいを飲む弟まで少し毒が回ってしまって」

「そ、それは辛いね」

「だから天使様、私の命を差し上げますから、どうか助けて下さい」

「ごめん、僕は天使なんかじゃないんだ。だけど、これは使えるかな……」


 幼い彼は胸元からブローチを取り出して見せた。

 小さなロケットブローチで、蓋を開けると中から粒を二つ取り出した。


「早く見つかるとダメだから、隠して」

「これは?」

「僕の家の内緒の薬だよ。どんな毒も消してしまうから、効くといいけど」

「ダメです王子、それを戻してください」


 見えない場所から、見えない声が聞こえて、幼い私は怯えてしまった。

 けれど慣れた様子で彼は怒鳴った。


「黙れ、これは他言無用だ」

「それは我が国の……」

「お前の主人は僕だ。逆らうな、黙っていろ」


 幼いながらも、既に王者の風格で彼は自らの影を黙らせた。

 そんな事もわからない私は、ただ差し出された粒を見つめる。

 優しい笑みを浮かべて、彼は言った。


「天使に出会っても、君はまず自分の家族の事を願うんだね」


 そう言って、私の小さな手を握る。

 手のひらの中に白い薬を隠すように、私の拳が固められた。


「さお急いで、すぐには効かないかもしれないが、毒になるものではないから大丈夫だよ」


 きっと今なら、内容物のわからない物など警戒しただろう。

 せめて、お礼をしようと、私は彼の頬にキスをした。

 赤くなる彼に、私は元気に約束した。


「ありがとう! 大好き天使様!」


 *****


「大好きって言ってくれたのに」

「幼い頃のたわいもない言葉を、あなたは本気にしたんですか?」

「ともかく薬が効いて良かったよ」

「それに関しては、感謝している」


 心からだ、それに偽りはない。

 母も弟も、あれからすぐに回復した。

 私は薬の出所を父や重臣達に問われたが、彼が怒られると思って絶対に言わなかった。


「次に会ったのが戦場だったよな」

「それに関しては、なるべくしてなった。後悔はしていない」

「まさか王女の君が、戦場にいるなんてね。初めて聞いた時は驚いたよ」

「父は病で伏せていたし、弟は幼いならば、私が命をはるのが当然だ」


 彼は窓に肩肘をついて、意地悪そうに私を見つめ目を細める。

 その瞳に、いつもの温厚な彼ではなく、鋭い鷲の気配を感じて、私は緊張した。


「君が常に自分以外の者の為だと知っているよ。だから俺が戦場に出たんだ」

「互いに戦った事に言い訳も後悔もない」

「君は死ぬつもりだっただろう?」


 ドキンと私の心臓が止まる。

 その一瞬を彼が見逃すはずもなく、更に私を追いつめた。


「自分の代わりに毒を飲んだ母親と弟を守るために、今度こそ自分の命を差し出しても構わない。そう思っただろ?」

「……戦場で命を惜しむ事はできない」

「いいや、本来の指揮官ならば、後方で指示を下すものだ。なのに君は常に前線に出て剣をふるった」


 彼の言葉が、馬車の静寂に静かに響く。


「君は、最後は死ぬつもりだった。俺にはわかったよ、君と再会して剣を交えた時にな」

「そ……そんなつもりじゃ」

「剣は口よりも語る、だから俺は君を死なせないために戦場で戦ったんだ」


 何を言っているんだ。やめろ、やめてくれ。

 奥底に隠していた傷をむしるように、彼は容赦なく入り込んでくる。


「誰よりも仲間を助けるために、君は死にたがっていた」

「やめろ」

「でも、俺は誰よりも君だけは生きていて欲しかった」

「だから、やめろ!」

「俺は君の眼に、まだ生きる幸せをもっと与えたかったら」

「いい加減……」


 いつの間にか、接近した彼の身体が私にかぶさって、そして叫ぶ声は彼の唇で封じられた。

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