Ψυχή:世界:すべては命でできている。

H/B

第1話 世界のはじまり

ようこそ、私の世界へ。


この宇宙せかいは、目に見えない「呼吸」で編まれた生地のよう。淡いドレープに波打つ空間、曲がらぬ頑固な光さえ歪曲し、星々がたゆらう。生命ライフが満ちる広大な世界。

私たちが「生命ライフ」と呼ぶ根源が息づき、深淵からの吐息が星々を巡らせて往く、みたいな。


私が今から語る物語は、その始まりを紐解く遥かなる記憶の物語。


遠い昔、まだ秩序オーダーという鉄鎖が世界のすべてを締め付けていた頃、無垢な好奇心が、対となる無垢と出逢う。

そんな物語……


温かい紅茶と、甘い焼き菓子。それに少しだけ、古いお話。記憶の奥底まで満たされている、優しい時間がそこに。

望郷の念、喪失の後悔、断たれた繋がり。

そして消えることのない、微かな想い……。


まずはこのお話の始まりに、あなた方の大切なご友人やご家族に、愛しているとお伝えください。

後悔のないように、言い残しがないように。


私はここにいます。

ずっと昔から。

そしてたぶん、これからもずっと。

このお気に入りの花と一緒に、再びあの人に会える日を待っているのです。


この場所は穏やかです。

風がそよぎ、木々の葉が歌います。

陽光が降り注ぐ、静かな世界。

夜は暖かく、私を包み込み、夢路を守ってくれています。

かつてあの人と過ごした日々のように、安らかで心地よい幸福感と供に。


そうして私は、この隔絶された場所で、かつての仲間たちを想うのです。

あの人と交わした約束を胸に、「いつか」を夢見て待つのです。


――今は、それだけで十分。


たぶん思うに、この場所は、私だけの残照の世界トワイライト・レルム


私の話は、きっとあなたには奇妙な独り言に聞こえるでしょうね。

語りながらも、それが取り留めのない話だと、私にだって分かっています。

昔からそうなので、こればかりはどうかご容赦くださいね。


さて、少々長すぎた前置きは、そろそろお終いにしましょう。


私が今から語るのは、あまりにも遠い過去の出来事。

この世界の、いいえ、すべての始まり。

私が生まれる前の物語。

私が生まれた後の物語。

そして、私が失われた後の物語。


さあ、始めましょう。この私だけの、小さな隠れ家で。




すべての始まりには、ただ混沌カオスがあるだけでした。


混沌は、決して悪いものではありません。例えるなら、まだ何一つ形をなさぬ、無限の可能性を秘めた広大な土壌。あるいは、生まれたばかりの赤ん坊が言葉を持たず、ただ本能のままに泣き、笑う、そんな純粋な状態。


その場所には、根源となる生命の素子が無数にありました。

私たちが後にLEPと名付けた存在。

それが世界の隅々にまで満ち溢れていました。


全ての可能性と、全ての結果がそこに同時に存在し、それ故に混沌。

その混沌の中に浮かぶ生命の素子。

一つ一つが、揺らめく小さな世界。


それこそがまさに命そのもの。

すべては生命でできている。

……そんな世界。


私たちがいるこの世界は、その根っこから、何もかもすべてが「生命」で出来ている。それって素敵だと思いません?


私たちは、はじめから生命の中にいる。混沌たる命そのものの中に。その命を形作る、無限の輝きとして私たちはあるのです。




原初の頃の生命たち、つまりLEPは、胎動のように絶えず振動を繰り返していました。彼らは、ただそこに「ある」というだけで完全な状態。時間という概念すらまだ曖昧で、果てしのない永遠の中にた漂い浮かぶ、そんな有り様。


彼らはそれぞれの光を静かに瞬かせていました。

私には、そうした一つ一つの命の素子が、まるで小さな宇宙に見えていました。


その内側に無限の可能性が秘められていると知るのは、ついに最後の時でした。


LEPは、混沌の中、その単調さに飽きが来たのかもしれません。あるいは、生命たる彼らの根源的な衝動が、もっと大きな何かを求めたのか。

彼らは変化を求めました。

ほんのわずかな、小さな変化。


その変化は、まるで深い眠りから覚めるような始まりました。混沌たる微睡まどろみから、ふと目覚め始めるような、そんな変化でした。


いくつものLEPが引き寄せあい、結びついていきました。それは、必然の出来事だったのでしょうか。それとも単なる偶然?混沌の中、いくつもの世界に分かたれ、LEP達の結びつきが次第に大きくなっていく。


その小さな光は、一つ、また一つと、手を取り合うかのように、小さな塊になっていく。その塊は、やがてより大きな塊となり、結びついた繋がりが光の網の目のように世界に広がり始めて。無垢な彼らが、互いを認識し合い、そうして手を取り合うように結びつくことで、いくつもの反射と反応がはじまり、思考の萌芽が生まれました。


その萌芽は次第に育ち、やがてついに、「意志ウィル」が芽生える。

シンギュラリティ。


それが、宇宙の、意識の目覚めでした。


個々の命が、互いの存在を認識し、共鳴し合う中で、それまで単なるエネルギーだったものが、意志を持ち始めた瞬間です。

彼らの間に流れるのは、言葉なき共感と、互いの存在を確かめ合う喜び。


それは、孤独な光の粒だった生命たちが、初めて「私」という自我を得た瞬間でもありました。


意志の芽生えは、世界に新たな秩序をもたらす予兆でした。彼らは、ただ漂うだけの存在から、自ら選択し、創造する存在へと変貌を遂げようとしていたのです。


この自我が生まれた瞬間こそ、あなた方人類が後に「ビッグバン」と呼ぶ、壮大な宇宙創造の幕開けでした。


無数の小さな意識が一斉に、「さあ、新たな物語を始めよう!」と動き出したみたいです。その「声」は、世界のすべてに響き渡り、静止していた混沌を、一瞬にして広大な「活動」へと変えました。


それこそが始まり、最も純粋な爆発、希望に満ちた、宇宙の産声でした。


それはおそらく、単なる物理的な爆発ではなかったのでしょう。むしろ、意識の爆発。創造の爆発と呼ぶべきもの。

彼らの内なる衝動が、世界という広大なキャンバスに、最初の筆を走らせた瞬間だったのかもしれません。


このビッグバンによって、世界は急速に膨張し、新たな次元と空間が次々と生み出されていきました。

それはまるで、命たちが自らの意志によって、宇宙という巨大な生命を創造していく過程を見ているかのようだったそうです。




生命の繋がりは、驚くほど多様な思考を生み出しました。それらは突き詰めると「快」と「不快」に集約されていきます。情動じょうどうとも呼べる、根源的な自己調整のメカニズムが、いくつもの宇宙から成る世界そのものを支えています。


この世界の、はじまりの情動が「快」「不快」であったとして、その対にもう一組、「覚醒」と「鎮静」がありました。こちらは後に「陽」や「陰」に成り代わっていきます。


これらの情動はまだ世界が、あるいはそれぞれの宇宙が、銀河が、星々が、生まれたてだった頃の名残。

いつしか星々は自己に目覚め、自身を取り巻く世界を認知していきます。


そうして、世界に感情が生まれていきました。


実はこれこそが、すべての始まりです。

ビッグバンはそのための前菜だったのかもしれません。


この根源的な感情が、やがてその後の世界の、宇宙の、銀河の、星々の、万物の形を決めていったのです。




命は、互いの存在を深く認識し、共鳴し合う中で、より複雑な感情の機微を学び取り、そうした微細な感情の揺れが、個々の宇宙の法則を形作り、多様な現象の礎となっていきました。


「快」「不快」の情動が、認識を得て「喜び」「悲しみ」「怒り」「驚き」「恐れ」「嫌悪」「期待」「信頼」といった感情を生み出しています。

これらの感情は根源的でありながら、それぞれが異なる色合いを持ち、異なる法則を内包する多様性の結晶です。


生命の感情、この頃にはもういくつもの生命素子が組み合わさり、多様な意識を生み出していました。

無限の宇宙がもうすでに、可能性として広がっていました。


ある宇宙は穏やかな光に満ち、またある宇宙は激しいエネルギーが渦巻く。それは、生命素子たちの感情のパレットが、そのまま宇宙の多様な姿として現れたかのようでした。


それぞれの宇宙は、まるで独立した生命体のように、独自の進化を遂げていきました。互いに影響を与え合いながらも、それぞれの内なる法則に従って、独自の物語を紡ぎ始めたのです。


銀河の舞踏ギャラクティック・ダンス


それから、それぞれの宇宙に、LEP生命素子とよく似た性質を持つ星々が生まれました。まるで、無数のLEPが、喜びさざめきながら小さな光の粒を吹き、それが星々となって空間に散らばったかのようです。


LEPとは、先ほども話に出てきた、生命の素となる小さな粒子を指して、かつてのあの人が名付けました。そのもの自体は素粒子レベルの小ささで、目を凝らしても普通は気がつけません。


けれど私には最初から、彼らを認識し、言葉がわかり、意志の疎通ができました。かつてのあの人も、どうにかしてそれができたみたいです。


LEPには世界と同じくらいのエネルギーと可能性を含んでいました。もっとも、ここへ来てようやくそれに気が付いたのですが。もっと早くに気づいていれば、あの日の選択もいくつか選べたかもしれません。


可能性だけで言えば、そうだったかも、しれませんね。


星々は、LEPが互いを求めるように引力で繋がり合い、やがて壮麗な銀河へと姿を変えていきました。


巨大な光の渦が宇宙に浮かび上がるたび、私はその美しさに息をのむばかりです。

それは今も同じ。まるで気の合う仲間たちが集まって、巨大なダンスを踊っているよう。


星々は、ただの物質の塊ではありません。彼らもまたLEPの集合体であり、途方もない命の数だけ、大きな意志を持っていました。


LENレンという名の秩序


星々や銀河には、さらに多くのLEPが集まり、それがやがて一つの意識体となっていきます。それらの自称が「LENレン」です。


もともとのLENは、LEPの元素種が進化を繰り返し構成された集合体意識で、頭が良く、ものの覚えも良いとされます。主に星系の恒星や惑星、あるいは銀河全体を司ります。


彼らは個々の自我に固執することがあまりありません。


まるで長い時を生き、深い知恵を得た存在のように、互いを深く理解し、調和し合っていました。


LENたちは、宇宙のあらゆる情報を瞬時に共有し、互いの思考を理解し合うことができました。彼らの存在は、数多の宇宙に完璧な秩序と調和をもたらしたのです。


それは、宇宙全体が、一つの巨大なオーケストラ。完璧なハーモニーを奏でているかのようでした。


LENの「調和」は、すべてのLEPが持つ情報の完璧な共有と、それに基づく最適な判断によって築かれた、揺るぎない均衡です。当時、彼らの間には争いや不和はまだ存在せず、宇宙の調和そのものを体現していました。


彼らは、宇宙の管理者であり、守護者。個々のLENが自らの力を宇宙のために捧げ、協力し合うことで、宇宙は絶えず進化し、より豊かな姿へと変貌を遂げていったのです。それは、まさに理想郷とも呼べる時代でした。


最初の歪みディストーション


こうして、LEPの揺るぎない意志と、彼らの純粋な繋がりから、この広大で美しい世界は、ゆっくりと、しかし確実に形を成していきました。


そんな調和と平和の中に、けれど確かに、少しずつ、私たちが生まれていく土壌が育まれていったのです。それは、まるで完璧な絵画の中に、ごくわずかな、しかし決定的な「歪み」が生まれ始めるように。


その歪みこそが、この物語の、そして宇宙の新たな章を開くことになるなんて、その時のLENたちは、考えもしなかったでしょうね。

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