なまけの短編集 

@namakesaru

ちょっと重めのストーリー

恋する妖精     ホラー

「うふふ。ありがとう」

 柔らかな笑顔を僕に向けてくれた彼女の名前は、れい。


 まるでキューピッドみたいな幼いイメージと、女神のような凛としたイメージが共存する美人だ。あどけなさと大人っぽさがくるくると入れ替わる。彼女の周りだけ明るく輝いて見えるような、誰もが認める美人。僕には高嶺の花だった。


 僕たちは図書館で出会った。

 歴史が好きな彼女は、いつも奥のテーブルにいた。ただ本を読んでいたり何かを調べていたり。僕が手に取る漫画とは違って、ハードカバーの分厚い本を広げていることもしばしばだった。

 ふと顔を上げた拍子に見える表情が僕を虜にした。なぜ?というように小首をかしげているかと思えば、厳しい表情で物思いにふけっている。眉を下げ泣きそうに見えるときもあれば、微笑んでいることもある。僕は彼女の姿を探すようになった。


 その日の彼女は、分厚い本を数冊抱え書棚へ向かっていた。そのまま帰るつもりだったのか、大きな荷物を肩にかけている。本を一冊ずつ棚へ戻していたけれど、最後の一冊の返却先が高いところにあり、苦戦していた。棚には引っかかるのに背表紙を押せなくておさまらない。諦めて踏み台を探し始めた彼女に、僕は勇気を振り絞って声をかけ、本を棚に収めた。


「うふふ。ありがとう」

 わずかに驚いた表情を作ったあと、彼女は大きく微笑んだ。


 それから、僕たちの距離は急速に縮まった。

 彼女はいつも、あの時の僕は本当に素敵だった、と言ってくれる。漫画で得た知識しかない僕の歴史観に耳を傾け、そういう捉え方もあるのね、と頷いてくれる。

 可愛らしさと品の良さと知性を持った、彼女。

 この幸せな時間を失うことは怖かったけれど、去年のクリスマスイブに、僕は意を決して彼女へプレゼントを贈った。


 僕は、車に入れてあったクーラーBOXから、リボンのかかった透明な瓶を取り出した。 瓶の中には、氷の天使とも妖精ともいわれるクリオネ。

「好きなんだ。もう、わかっていると思うけど。お付き合いしてもらえますか?」

 れいは、かわいい、と小さく声を上げて、受け取りながら答えてくれた。

「うふふ、ありがとう。でも、飼い方がわからないわ。一緒に調べてくれる?」


 そうして、二人でコンビニに寄ってケーキとシャンパンを買った。れいの部屋でクリオネの飼い方を調べた。1~2週間に1回程度海水を変えてあげる必要があるけれど、水温を5℃くらいに保っておけば餌はいらないと書いてあった。クリオネという名前の由来となった女神は、美の女神アフロディーテの呪いで人間の王に恋するようになった、なんてことも書いてあった。僕は、女神に愛される果報を得たその王は僕のことだ、と一人納得していた。

「海水の交換、私にできるかな」

「それは僕が担当するよ」

 

 その夜は二人で1枚の毛布にくるまって、クリオネを飽きず眺めていた・・・。


 あれから1年。


 れいは、変わらず可愛らしく美しい。歴史が好きで、以外にもヒーローものが好き。冴えない僕の、とるに足らない行動をヒーローの実績のように褒め称えてくれる。

 けれど、褒められる状況を保ち続けることに、僕は疲れていた。勝手に自分に呪縛をかけていた。その呪縛が、僕をゆっくりとゆっくりと締め付ける。息苦しくなった僕は、れいの部屋を離れて息継ぎすることが増えていた。

 僕たちのクリオネも、初めは毎日二人で眺めていたのにいまは冷蔵庫に入れっぱなしのままだ。海水も、いつ交換したのが最後かわからない・・・。


 11月になったころ、僕は後輩と焼き鳥屋にいた。

「先輩も焼き鳥屋で吞んだりするんですね」

「当たり前だろ。大衆居酒屋がスタンダードに決まってるだろ」

「そうですかぁ?なんだか洒落たイタリアンのお店とかちょっとお高い和風のお店に行ってるイメージですけどね」

 二つ下の夏花から、仕事の愚痴を聞いてくれと懇願されてそこにいた。夏花は、遠慮なく飲み食いしながら仕事の愚痴を垂れ流す。先輩らしくフォローを入れていたはずだったのに、理不尽な出来事を思い出していつの間にか意気投合して。

 それからは、よく二人で呑みに行った。終電に間に合わないと気がついて走る、その走り方がおかしいとか。感動モノのドラマを見た翌日に瞼が腫れていて不細工だとか。終電を逃がしてしまって二人で漫画喫茶で時間を潰したり、酔っぱらった顔を笑いあったり。

 等身大の自分でいる居心地の良さと、それまでは100人並みと思っていた夏花のかわいらしさに気づいたころ、クリスマスがそこに迫っていた。


「あのね、餌を全く上げていないでしょ?上げなくても大丈夫みたいだけど、やっぱり心配なの」

 れいから、相談された。

「ずっと冷蔵庫から出してあげていないし、そろそろ餌をあげたらどうかな、と思うの」

 生き物をプレゼントしたのは失敗だったと思った。れいが望んだわけではない。クリオネの命には僕に責任があった。


「そうだね。クリスマス前に餌を準備して持っていくよ」


 僕は迷っていた。クリスマスをどちらと過ごすべきか。

 夏花といる方が楽だし楽しい。でも、夏花が自分を恋愛対象とみているかはわからない。僕にれいがいることを知っている。呑みながら愚痴を言いあう、それ以上のことはない。

 それに、れいを嫌いになったわけではない。時々は部屋に寄って、彼氏彼女らしいことをしていた。会えばその佇まいに目を奪われる。れいが彼女であるという事実に自尊心をくすぐられる。


 クリスマス前の土曜日。

 僕はクリオネの餌をもって、れいの部屋へ行った。せっかくだからスペシャルな餌にしてあげたい、そんなリクエストだったからプランクトンじゃなくて貝を買って行った。

「うふふ。ありがとう」

 去年と違って、部屋は暖かい。クリオネの瓶を5℃以下に保つために、氷水を張った水槽が準備されていた。

 れいが、クリオネの瓶を冷蔵庫から取り出して、そのまま水槽に浸ける。

「久しぶりにお水も変えてあげたいの。でも、餌をあげてからの方がいいわよね」


 瓶のふたを開けて、少し僕の方に差し出す。

 僕は、準備してきた貝をクリオネの瓶へ入れた。


 隣で見ていたれいが、腕を絡めてきた。

「どうしたの?貝を食べるところ、見ないの?」

「見なくても知っているから、私」


 抱き合う姿勢になっていた。れいが頬を僕の頬に寄せる。キスをする。


 妖精のように可憐に泳ぎながら、クリオネは貝に近づく。

 その刹那、6本の触手がひろがりクリオネは姿を変えた。その触手を絡め、獲物を抑え込む。


「浮気は許さないわよ」

 いつもと同じ、少し甘えたような柔らかい囁きのはずなのに。


 僕の目は、姿を変えたクリオネを映している。

 僕の身体には、れいの両腕が絡んでいる。

 僕の耳には、どこからかの低い声が響いている。

「人間ごときが、女神の愛を無下にできると思っているのか?」





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