第2話:準備中の想い


学会でのすれ違いから一夜明け、さくらのスマホに海斗からのメッセージが届いた。


『また会えるかな? ちゃんとゆっくり話したい』


そのメッセージを見たさくらの胸には、安堵と、昨日の動揺が入り混じっていた。

亮先輩との会話を中断してまでちらりと見てしまった海斗の顔。

そして、隣にいた青山スミレとの親しげな様子。

どれもが胸の奥でチクリと刺さる。


どう答えるべきか迷いつつも、まずは短く素直に浮かんだ言葉を送る。


『海斗、あの…ごめんね、昨日は』


海斗もまた、亮と楽しそうに話すさくらの姿に、言葉にできないざわめきを感じていた。


『さくらが謝ることなんて何もないよ。久しぶりに会えてうれしかったよ。またすぐに会いたくなったんだ』


二人は都内のカフェで待ち合わせた。

窓から光が差し込む、落ち着いた空間。

久しぶりに向かい合って座る二人の間には、どこかぎこちなさが漂っていた。


「昨日はごめん。学会で会えると思わなくて、つい、驚いてしまって…」


さくらが先に口を開く。


「いや、俺の方こそ。青山先生は、論文の共同研究者で、海外の研究者とやり取りすることも多くて、それでいつもあんな感じなんだ。亮先輩は…元気にしてた?」


海斗は少し気まずそうに目を逸らす。

さくらは、海斗の言葉に微かに安堵した。

そして、彼の質問に、少しだけ笑みがこぼれる。


「亮先輩は相変わらずだよ。もものことも、すごく気にかけてくれてて。私も今、腎臓治療に繋がる遺伝子治療の創薬研究をしていて…」


さくらは、ももに腎臓を移植してもらったこと、そして自身の体調のこと、ももの病状が不安定なこと、そして何よりも「先に幸せになってはいけない」という心の呪縛について、ゆっくりと語り始めた。

海斗は真剣な表情で耳を傾け、時折、深く頷く。


「そうか…さくらも頑張ってるんだな。俺も、二人のために何かできないかと、腎臓の機能回復の治療法について研究を進めてるんだ。お互い、同じ方向を見ていたんだな…」


海斗の言葉に、さくらの胸に温かいものが広がる。

物理的な距離は離れていても、心のどこかで互いを想い、同じ目標に向かって進んでいたことを知った。

ぎこちなさは、いつの間にか溶けていく。


「…海斗、私、今度本格的に日本に戻ってくるんだ。今後は日本の製薬メーカーで、研究を続けることになったの」


さくらの言葉に、海斗の顔に驚きと、そして明らかな喜びの表情が浮かんだ。


「そうか! よかった…」


その笑顔を見た時、さくらはようやく、心の底から安堵できた。

誤解は解けた。

そして、互いの想いが変わっていないことを再確認できた。


「…この後、時間ある? よかったら、映画でもどうかな」


海斗が、はにかむように提案する。


「うん!」


二人は映画館へと向かった。

まるで高校生の時のように、ポップコーン片手に隣に座る。

久しぶりのデートのような感覚に、さくらの胸は高鳴る。

映画が始まり、スクリーンにはアクションシーンが映し出された。


しかし、海斗の視線は、ほとんどスクリーンには向かっていなかった。

隣に座るさくらの横顔を、ただひたすらに見つめていた。

いや、見つめずにはいられなかった。


時折、ポップコーンを食べるさくらの小さな口元、映画に集中して少し開いた唇、そして、物語の展開に合わせて揺れる長いまつげ。

その一つ一つが、高校生の頃、お互いに想いあっていた、あの頃を鮮明に甦らせる。


ふと、さくらがポップコーンの箱に手を伸ばした時、海斗の指がかすかに触れた。

一瞬の、しかし確かな接触。

その指先から伝わる微かな熱に、さくらの心臓がドクリと跳ねる。

海斗はすぐに手を引っ込めたが、その後の暗闇の中で、二人の肩はごく自然に、そっと触れ合ったままだった。


この数年間、会いたくて、会いたくてたまらなかった人。

彼女が今、隣にいる。

その事実が、海斗の心をいっぱいにしていた。

映画の中身など、全く頭に入ってこない。


映画が終わった後、二人は館内を出た。


「ねぇ、海斗。映画、どうだった?」


さくらが感想を求めた。


「ああ…そうだな。ヒロインの子が、可愛かったね」


海斗は少し照れたように視線を逸らした。


「へぇ、海斗ってああいう子がタイプなんだ」


さくらは少し頬を膨らませた。

すると海斗は、さくらの顔を真っ直ぐ見つめ、優しく微笑んだ。


「いや、さくらに似てるなと思って…」


海斗の不意打ちの言葉に、さくらの心臓は激しく高鳴った。

顔が熱くなるのを感じて、慌てて視線を逸らした。


二人は海斗の予約していたレストランへ向かった。

照明を落とした、落ち着いた雰囲気の店内。

高校生だった二人が行くことはなかったそのシチュエーションが、二人が離れていた時間を示しているかのようだ。


席に着くと、さくらが海斗の顔を覗き込み、少し頬を膨らませた。


「海斗、映画、ちゃんと観てなかったでしょ?」


「え!? な、なんで?」


海斗は焦って目を泳がせる。

まさか、そこまで見抜かれているとは思わなかった。


「だって、時々、視線を感じるなって思って…」


さくらは楽しそうに、しかしちょっと恥じらいながら笑う。

海斗はばつが悪そうに俯き、小さな笑みがこぼれた。

その可愛らしい仕草に、さくらの心臓が高鳴る。


コース料理を楽しみながら、二人は仕事の話から、学生時代の思い出話まで、尽きることなく語り合った。

海斗の頼りがいのある医師としての顔、さくらの知的な研究者としての顔。

学生時代には見せなかった、大人としての新たな一面に、互いに惹かれていくのを感じた。


食事が終わり、店を出ようとした時、海斗がふいに立ち止まった。


「さくら…」


海斗の指が、さくらの顔にそっと近づく。触れるか触れないかの距離で、海斗の指先が、さくらの唇に触れた。


「…唇に、エディブルフラワーがついてる」


さくらのデザートについていた、小さな飾りだ。

海斗はそれを、指の腹で優しく拭い取る。

一瞬の触れ合いだったが、さくらの心臓は再び高鳴っていた。


海斗は何も言わず、ただ優しく微笑むだけ。

その瞳の奥には、変わらぬ、しかしさらに深くなった愛情が宿っているのが分かった。


そのまま海斗はさくらの手を取り、二人で静かなバーへと向かった。

照明を落とした店内は、昼間の明るさとは違う、大人の隠れ家のような雰囲気だ。

カクテルを片手に、二人はさらに親密な会話を交わした。


しばらくして、隣に座っていた外国人観光客らしき男性が、さくらに英語で話しかけてくる。


「Excuse me, you have beautiful eyes. Are you alone?」


さくらは一瞬戸惑ったものの、すぐにニコッと微笑み、流暢な英語で答える。


「Oh, thank you very much! No, I'm not alone. And actually, I was just about to tell my friend about some wonderful sightseeing spots nearby, would you like to hear?」


すると、男性は驚いた顔で目を丸くし、さくらの話に耳を傾け始めた。

さくらは、東京タワーやスカイツリー、浅草の歴史など、まるで観光ガイドのように淀みなく説明し始めた。


その様子を見ていた海斗は、思わずフッと笑みがこぼれる。

さくらの知的な一面を改めて感じると同時に、少しばかり焦燥感にも駆られた。


男性が去った後、海斗はさくらの手をきゅっと握り、少しだけ頬を膨らませた。


「さくらは、僕の彼女だからね。他の男の人に、そんなに優しくしちゃダメだよ」


海斗の突然の独占欲に満ちた言葉に、さくらは目を丸くし、それからクスッと笑った。


「もう、海斗ったら。ただの観光案内だよ? それに、私、まだ『彼女』じゃないでしょ?」


さくらがからかうように言うと、海斗は一瞬、はっとした表情になり、次の瞬間、顔を真っ赤にして俯いた。


「そ、そうだったな…」


その可愛らしい反応に、さくらの胸は温かい幸福感で満たされた。

海斗はそのままさくらの手を強く握りしめ、二人はバーを出た。

握られた手から伝わる確かな体温。

さくらは、日本に戻ってくればまたこの場所で、海斗との未来を、再び手繰り寄せられるという願いで胸をふくらませていた。


(第2話 終)


次回:「二人の花火」

恋人として再び歩み始めたさくらと海斗。

初めての夏、初めての花火で二人の恋は新たなステップに進むのか、それとも…。

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