第七章 新たな事件
社宅に戻った久美子は、気持ちがぐったり疲れていることに気づきました。
(体は疲れ知らずなのにね…。)
(「あの世」から迷ってきた方々に接すると、なぜか自分にモヤモヤしたものが起きてきて、とても疲れた気分になるのです。)
持って帰ってきた書類の入った袋と、「心鈴」の入った箱はローテーブルの上に無造作に置いてあります。
(そういえば、「たかし」って、なんで「あの世」に来たんだっけ?)
久美子は、ちらっと書類の袋に目をやりますが、すぐに目を伏せてしまいました。
疲労やケガ・病気による細胞損傷とか、食事不足のエネルギー枯渇といった肉体的な問題がないので、久美子には休息自体が必要ありません。ただし、日常の行動により「魂の進化」や「魂の学習」のような活動が必要になった場合、久美子は活動を一時停止し、意識を別の次元に切り替え、「眠り」に似た状態になる場合があるようです。
どうも、今夜はその状態にあるらしく、久美子は形をそのままで、魂は別な次元にいるようです。
つまり、久美子の日常の活動や苦労は、「消耗」ではなく、地獄にある魂を救うための「投資」のようです。
やがて朝陽が部屋のカーテンを白色に染め始める頃、久美子は静かに目を開けました。
まだぼんやりとした意識の中で、心配そうにこちらを覗き込む、「さちこ」の顔があります。
「生きている?」と彩が訊ねると、久美子は「大丈夫。もう、死んでいるから。」と答えました。
彩は安どの表情で「朝だから…。じゃあ、またね」と告げると、体の輪郭を揺らしながら、静かに鏡の中にその姿を消し、溶け込んでいきました。
(心配かけて、ごめん。)
久美子は彩の優しさに感謝しながらベットから起き上がり、テレビを付けました。
テレビには朝のニュースが映し出されています。
ぼんやり画面を眺める久美子の目に飛び込んできたのは、「東京都葛飾区お宝町九十九丁目」と、「目の前から急に人が消えた!!」の文字でした。
現場のリポーターが話している内容から、お宝町九十九丁目に入る直前の路地を歩いていた会社員風の男性が、突然に姿を消したようです。消えた状態を目撃した人は複数いたようで、その方々の証言から、男性は濃紺のスーツを着た初老の方のようで、歩きながら電話で話しながら、ひたすら頭をさげていたようです。
「これって、4人目と言うこと?」
(まじ…。こりゃあ急がなきゃかな。)
久美子は、ローテーブルから書類の入った袋を取ってきて、中の書類をベットいっぱいに広げました。
(何処かに、「たかし」を挑発するキーワードが書かれていない?)
もう一度、作業指示書を確認します。
生前氏名:石川 隆(男性) 独身(15年前に離婚) 年齢:62才 会社員(死亡時)
死亡場所:東京都葛飾区お宝町九十九丁目 飲み屋街
お宝横丁の路地で他者の暴力により死亡。犯人は未だ逃走中。
(年が62歳の会社員なら、再雇用? 給料安かったかな?)
(飲み屋街で他者の暴力により死亡って、酔っての喧嘩? 酒癖悪い?)
(そういえば、死亡日時とか家族構成とか書いてある書類もあったはずだけど…。)
「あっ。これ。」思わず声に出して見つけた書類には、「身上調査票」と書かれています。
それによると、死亡日・時刻が5月25日 23:53分と記載されていました。
(「この世」なら推定時刻とかだけど、「あの世」だからね。わかるのよ。)
「え~と、逃走している犯人は、「江口智明」。」ですね。
(「たかし」の小中学校での同級生か…。)
「当日に二人の姿を目撃した人は無し。」と。
(一緒に飲んでたわけじゃないのね。)
(「たかし」の家族構成はどこ?)
「奥さん 65歳 と、猫2匹。子供は無し。」と。
(う~ん。「江口智明」の姿で、お宝町九十九丁目辺りをふらついてみようかな?)
久美子が、魂だからと言って異なる人間の形を造形することは、よほど高度な霊的存在が媒介してくれる以外は不可能です。
この場合、久美子が「江口智明」に憑依することを言っているようです。
彼が何処にいるかなどは、「あの世」からすると造作もなく見つける事ができます。
霊界アプリの「「この世」のあの人サーチ」を使うと、現在の居場所を検索の上で、ルート案内してくれます。
早速、社給の霊界スマホに「「この世」のあの人サーチ」アプリをダウンロードし、
アプリの入力項目に、「江口智明」の名前と、「身上調査票」に書いてあった個人情報を入れていくと、まもなく彼の居場所が特定されました。
「ふーん。神田にいるんだ。うちの会社の近くかも。」
「それと、憑依するならスタンガンは必需品。これは、社給品があるから大丈夫。」
「あと、魂を弱らせなきゃ。うん。今回は「心鈴」使っちゃおう。」
準備は着々と進んでいるようでが、「たかし」と接触してからどうするのでしょうか?
久美子は、「心鈴」を箱から取り出し、右のポケットに手を差し入れ、大事なものを扱うようにそっと収めました。
ベットに広げてあった書類は袋に戻してから、スタンガンと一緒に持っていきます。
出かける前に、彩が姿を消した鏡に挨拶をします。
「じゃあ。行ってくるね。」
「気をっけて…。いってらっしゃ。」
鏡の奥から小さな声が聞こえました。
久美子は、にっこり笑って鏡を背にし、心の中で「ありがとう」と囁き、これから始まる一日に向けて、玄関のドアを開けました。
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