第六話 予期せぬ事態
久美子が営業所の外に出ると、陽の光がまばゆく、額の上に手をかざしました。
営業所を出て、郊外にある会社の社宅に向かうつもりでしたが、葛飾区お宝町のイメージが全くないことに気づき、社宅に戻る前に、社用車でお宝町を流すことにします。
会社からお宝町まで、「この世」の時間で40分くらい。社用車は「ガソリン」も「ガス」・「電気」ですら必要が無いので気になりません。
早速、「この世」の混んだ道をスタートして、お宝町を目指します。
予定の時間を過ぎて、下町特有の混み入った道を抜け、お宝町一丁目に着きました。
(九十九丁目は、此処から10分程度ね。)
久美子が、ゆっくりアクセルを踏み込もうとしたとき、突然、車の前に灰色のスエットの上下を着た男が飛び出しました。
慌ててブレーキを踏んだので事なきを得たのですが、飛び出してきた男は薄笑いを浮かべながら、ふらふらとした足取りで運転席の久美子に近づいてきます。
久美子の車の前後に車はおらず、対向車もない状態で、男は運転席の窓に額を付けながら、「お前。あの世だな。」と言った後に、先ほどまで読んでいた書類にあった証言のように「プッン」または、「パット」と姿を消しました。
余りの突然の事に、久美子が呆然とブレークを踏んだまま車を止めていると、いつの間にか後続車が来ていたらしく、けたたましいクラクションの音が響いてきました。
慌てて、ブレークから足を放して車を進め、駐車場のあるコンビニに入り込みました。
駐車場で気持ちを落ち着かせてから、会社から持ち帰った作業指示書などが入った書類を袋から急いで取り出して読み直します。
特記事項:「たかし」の特長
失踪時の服装 :灰色の上下のスエット。
生前の写真 :社員証のもの (身長:170㎝)
今、見たばかりの男が書類に居ました。
(自分から出てくるなんて、攻撃性あり?)
(それなら、書類を読んで素人が探偵ごっこするよりも、「たかし」を挑発して呼び出し
た方が早いんじゃない?)
(なら、営業所に戻って、挑発する為の道具を用意しなきゃね。)
(どうせ所長は戻ってきているから、どの機材がいいか相談しよう。)
久美子の初段での作戦は決まったようです。
コンビニの駐車場から、車を営業所に向けてゆっくり出発させました。
程なくして、久美子は営業所の駐車場から、事務所に向かいました。
事務所では、総務の竹内が無線で配車をしています。
(あれ、所長じゃないんだ。本当に出かけたの?)
「こんにちは~。」と挨拶をし、久美子は事務所に入っていきました。
「おっ。今日は非番か?」と竹内も挨拶を返します。
「あれ、所長は?」と久美子がとぼけて竹内に聞くと、竹内は首を左右に振ってため息をつきました。
「「記憶の街」の案件を知ってる?」
竹内は、配車画面を見ながら話し始めました。
「うちのベテランが二人挑戦して、両名とも本人確保どころか、街までも行きつかないでタイムアップ。そう、納期遅れを起こして大問題になってるやつ。」
「ふ~ん。」と久美子が相槌をうつと、竹内は話を続けました。
「それで、「あの世」行政管理に所長が呼ばれて行っちゃったんだよ。どうも、納期の延長見直しをお願いするみたい。」
(へ~。じゃあ、出張ってのは本当だったんだ。)
「いつ帰ってくるの?」と久美子が竹内に聞きます。
「わかんない。」
竹内は画面を見ながらマウスをぐるぐる動かしています。
(自分で探すしかないか…。)
久美子は事務所の奥にある備品倉庫に向かい、入出表に名前を書いて倉庫に入りました。
倉庫の中は、きれい好きな所長が管理しているらしく、どの機材も使用目的が書かれたタグをぶら下げて、整然と並んでいます。
暫く倉庫内で機材を探していた久美子は、棚の2段目で目的の機材を見つけました。
タグには、「心鈴(しんれい)」と書かれ、「相手の感情の琴線に触れる鈴」と説明書きがあります。
(いいんじゃない。竹内で試してみようかな?)
久美子は、「心鈴(しんれい)」を持って倉庫を出ました。
事務所では、相変わらず竹内が配車画面を見ながらマウスをグルグルやってます。
「機材の貸出票、記入するから立ち会ってくれる。」と竹内に声を掛けます。
竹内が、何かブツブツ言いながら寄ってきて、久美子が書いている貸出票の立会欄にサインしました。
その時、久美子が「心鈴(しんれい)」を竹内に向けて揺らします。
静かな「リーン」という音がしたとたん、竹内の様子が一変しました。
「だ・か・ら~。酒持ってこいって言ってんだよ!」
いきなり、机の上に飛び乗り叫びだしました。
(あら~。これは面倒なことになりそうですね。それは困るから。)
久美子は「心鈴」を竹内に向けて、もう一度、揺らしました。
竹内は、机の上から勢いよく転げ落ち、床に叩きつけられました。
彼も「あの世」の住人である以上、ケガをしなければ痛くもないはずですが、その衝撃
は激しく魂に響いたらしく、苦悶の声を漏らしている様子が痛々しくも哀れでした。
(ごめんね~。でも、この鈴はよく効くね。これでいきましょう。)
久美子は、竹内には申し訳ないけど、貸出票を所長の机の上に置いて退室します。
「じゃ。失礼しま~す。」
事務所の外に出た久美子を、日没の柔らかな余韻が包み込み、今日という日の煩わしさの幕引きを告げていました。
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