第五話 記憶の街
その日、久美子は所長に呼ばれて営業所の事務室にやって来ました。
事務室では、相変わらずおばちゃんが欠伸をしながら頭を搔いています。
(相も変わらず痒いのね。)
「あ~、お疲れ様。」、所長はにこやかに自席から手招きしています。
(これは間違いなく、乗務外の仕事のお誘いね。)
(はぁ…。きましたね。)
久美子は、所長の机を挟んで、隣から引きずってきた椅子に座りました。
「前回とおんなじ。今回も、難しくない仕事だよ~。」
所長は歌うように話し終え、ちらりと上目遣で小首をかしげました。
(私の反応を伺ってますね。内容次第では断りますよ。)
「とりあえず、仕事の内容を説明して貰えますか。」
「あ~、はいはい。」
所長は、ニッコリ笑顔で、書類を机の上にきれいに並べ始めました。
(ちょっと!枚数多くない?)
所長は、机いっぱいに書類を広げ終えてから、仕事の説明を始めました。
「まずは、これ読んでね。」
書類をバサバサさせながら私に差し出しました。
その書類は、作業指示書で、書いてある案件の名は、「記憶の街の浄化。街を作り出した幽霊の保護・確保」とありました。
発注者 :「あの世」行政管理
受注者 :霊界タクシー(受注日:「この世」歴2025年8月2日)
作業者 :霊界タクシー【社員:竹内 久美子】(なぜか、名前だけ手書き)
作業内容:自己の記憶により作り出した街に迷い込んだと思われる「この世」の人を解放
し、街を作り出した幽霊「たかし」を、「この世」の人に気づかれないように
保護・確保し、「あの世」行政管理事務所 光岡まで無事に送り届けること。
作業納期:「この世」日時で、受注日を含め四週間内
特記事項:「たかし」の特長
生前氏名:石川 隆(男性) 年齢:62才 会社員(死亡時)
死亡場所:東京都葛飾区お宝町九十九丁目 飲み屋街 お宝横丁の路地で他者の暴力によ
り死亡。犯人は未だ逃走中。
失踪場所:「あの世」の霊魂待機施設内 502号室
失踪時の服装 :灰色の上下のスエット。
場所の選定理由:東京都葛飾区お宝町九十九丁目 近隣を選定
死亡場所であり、近所に「たかし」が小中学生時代に住んでいた為。
生前の写真 :社員証のもの (身長:170㎝)
予備情報 :「記憶の街」とは、記憶・思念が物質化した場所で、通常は「この世」
の人が気づかないように存在しているが、「たかし」の決めた何らかの
条件に該当した場合、「この世」の人はこの街に取り込まれてしまうら
しい。
取り込まれる条件・取り込まれ方の情報は、現在は無い。
今回の作業者は、まずは街に取り込まれてからの作業になる為、条件・
取り込まれ方を見つける事が前提条件となる。
作業指示書以外に、「この世」の人が取り込まれた瞬間を目撃した情報
をまとめた書類を添付してあるので、参考の上で行動してもらいたい。
添付の書類は、「記憶の街 目撃情報」と書いてありました。
その書類には、3件の目撃情報が書かれていて、それぞれの情報は、複数の人の証言で構成されていました。
(なるほど。目撃されているだけでも3人の「この世」の人が、「記憶の街」に取り込まれているわけね。)
久美子は、小さくうなずきながら「記憶の街 目撃情報」と書かれた書類を読み進めました。
1件目の目撃情報(行方不明者:太田晋一 58歳)
証言者:妻
「その日(7月5日)は、一緒にお宝町のお祭りに、徒歩で向かっていま
した。九十九丁目辺りで急に主人の姿が消えたんです。」
この後、妻は錯乱し聞き取り不可の為、それ以外の情報なし。
証言者:太田晋一が消える直前、前から歩いてきた男
「あ~、消えたんだよね。なんか、体がゆらゆら揺れたように見えたのだけど。
それが、色が無くなって・・・。う~ん。白黒になったのだよね。
その後、プッンてな感じで消えちゃった。」
「えっ。どんな状況?え~と、なんか、奥さんが一方的に話していたような。
・・・旦那はどうだったかな。覚えてないな。」
証言者:太田晋一が消える直前、自宅の2階の窓から道路を眺めていた男
「あ~、うちの前を歩いていたから話し声は良く聞こえたよ。でも、声だけで
内容まではわかんない。なんか、旦那が奥さんに怒られていたみたい。」
「えっ。消え方?急にパットだよ。パット消えたの。旦那がね。」
証言者:太田晋一の母(電話で証言)
「晋一はいなくなくなったあ~、電話はきたよ。うちの電話にだよ。子供の時分
に集めていたカードがどうとか言うから、捨てたと言ったんだ。そしたら電話
切っちゃった。晋一が切ったんだよ。それっきりだよ。」
電話があったのは、通話記録から7月15日15時30分、発信元情報は不明。
以上が、1件目の目撃情報が書かれた「記憶の街 目撃情報」1枚目でした。
久美子は、左右に首を小さく振りながら、ため息混じりにつぶやきました。
「この証言から、街に取り込まれる条件と、取り込まれ方を考えろって?無理でしょ。」
(はぁ…。素人には無理。これは、探偵事務所の仕事だよね。)
「どうです。いけそうでしょ?」
所長は笑顔で目を泳がせていました。
(よく見ると、この印刷物、結構なしわ付きですね。)
(この話、私にくる迄に、結構な数に断られていませんか?)
(うん。断ろう。)
「書類、拝見しました。私のような未熟な者には荷が重すぎそうですので、今回は、せっかくお声掛けいただきましたが、お力になれそうもありません。残念です。」
淑らしく、頭を下げて辞退を申し出ました。
所長はあたふたとしながらも、久美子を説得し始めます。
「いや、いや。君が未熟なものですか。うちの営業所ナンバーワンの乗務員ですよ。
貴方ならできると私が認めたからこそ、お話をさせていただいている訳ですから。」
(何人、認めたのでしょうね?)
久美子は、ちらっと所長の顔を見た後、直ぐ、うつむきました。
(これは…。持久戦かな…。)
いきなり所長が立ち上がりながら叫びました。
「あっ。いけない。出かける時間だった。」
「じゃ、これ宜しくね。終わるまで出社しなくていいからね。終わんなければ出社しないでね。経過報告はしなくていいよ。聞きたい時は、此方から連絡するね。君から連絡しないでね。」
「私は出張で、暫く連絡取れなくなるからね。体に気を付けて頑張ってね。」
「じゃ、行ってきます~。」
事務のおばちゃんが、「は~い。」と返します。
あっちこっちの物をひっくり返しながら、所長は何処かへ行ってしまいました。
パワハラです。
久美子は、所長が開けたままの事務所の入り口を、口を開けたまま眺めていました。
(投げ技。一本でしょうか…。)
(断っても、それはそれで面倒なことになりそう。)
(人間、後がなくなると何するかわかんないね…。えっ。所長は人間?)
(まっ、今更死ぬこともないし、失敗しても問題なし。やりゃあいいんでしょ。)
久美子は、机いっぱいに広がった書類をまとめてから、会社の封筒に入れて持ち帰ることにしました。
今日の乗務予定は入っていないので、家に帰ってから残りの書類を読んで、今後の作戦を練るとします。
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