第四話 はじめまして

運転席に乗り込み、鏡は助手席に置いて、彼女は大きなため息をつきました。

「はぁ~。」

助手席に置いた、包装された鏡をしげしげと眺めます。あれが見間違いであったことを祈りながら、鏡を手に取り包装材を丁寧に剥がし始めました。

全ての包装材が剥がされ、鏡がむき出しになった状態で、台座の裏を確認します。

彼女の顔は怒哀の表情で目まぐるしく変化し、喜楽だけがそこにはありませんでした。

「あ~、いらん仕事を…、しかも有料で買ってしまったよぉ…。」

久美子は悲しそうにつぶやき、鏡を助手席に戻して、ルームミラーと合わせ鏡にならないように置きました。

(これ以上、面倒な異界の扉なんぞ開けたくない)

「おっと、車にはサイドミラーが左右にあるのよね。」

今度は、サイドミラーにも映らないように助手席の背もたれに鏡の面を向けて梱包材とシートベルトで固定しました。

「もう、他の買い物はいいや…疲れちゃった…。」

久美子は、肩を落とし、ため息をついた後、どうなるか想像もつかない「開封済みの封印鏡」と、お帰りドライブです。

エンジンをかけ、駐車場をでて200メートルも走ると、早速、助手席に知らない女性が後ろ向きに正座で座っています。

(やっぱりね…。でも、早すぎない。しかも昼間なのよ?)

(まあ、とりあえず、挨拶しときましょう)

久美子は明るく話しかけた。

「こんにちは、早速で悪いけど、座り方逆よ。」

知らない女性は、ゆっくり返事をした。

「…はじめ…まして。わたし…明るいの苦手…。」

(そりゃ、いつから封印されてたかは知らないけど、そうかもね)

「あっそう…。じゃあ、一つお願いがあるのだけど、いい?」

「あのね、さっきから車が止まる度に外が賑やかなの。皆さん、あなたを指さして笑っているようだけど。」

知らない彼女は、一瞬「ビクッ」として、その姿を何物かに変えるそぶりを見せ始めまたので、久美子は慌てて話しかけます。

「ちょっと待ってね。今、暴れるのなら、リサイクルショップにキャンセルして返してもいいのだけど、この鏡。」

彼女は姿を消し、鏡の中へ戻っていきました。

「うん。一旦、そうして貰えると助かるのよ。出ていいタイミングで合図をするから、しばらくは、そこで待っていて頂戴ね。」

(まあ、悪い人じゃない?霊魂?幽霊? 何て呼べばいいのか、まあ、いいか。)

暫く、車を走らせ、久美子はアパートの駐車場へ停車した。

車から降りる前に、助手席のシートベルトを外し、梱包材を片付けてから鏡を大切そうに持ち上げ、それに向かって囁いた。

(つきましたよ。出るのはもう少し待ってね。)

外階段を上り、鏡を抱いたまま自分の部屋へ向かいます。

(誰にも会わなくてよかった。世間話は面倒だしね)

部屋のカギを開け、ダイニングキッチンの照明をつけてからリビングに。

リビングは、窓から午後の日差しが差し込み、部屋全体が明るく照らされていました。

(うん。この子、これが苦手だよね。)

久美子は、鏡を隠しながら、」日差しを遮るようにカーテンを窓いっぱいに引きました。

部屋は、一瞬で薄暗がりの陰気な雰囲気に包まれました。

先ほどの鏡を、収納ラックの一番上の段にそっと置きます。

(さてと、これでお迎えできますかね。)

久美子は、鏡のフレームを軽く指先で叩いて、話しかけました。

「お疲れ様。もう大丈夫。出てくる気分になったら出てきてね。」


鏡の彼女は、疲れたのか日が暮れ、夜になるまで鏡から出てきませんでした。

(まあ、まっているだけというのも…。体が無くとも、さっぱりはしたいから…ね。)

久美子がシャワーを浴びてからリビングに戻ると、鏡の彼女は部屋の隅に正座をして待っていました。

「あ、ごめんね。シャワーを浴びていたの。あなたも、どう?」

鏡の彼女はうつ向いたまま、首を左右に振りました。

「そう。じゃあ待っていてね。今、そっちへ行くから。」

久美子は、そう言うとリビングのベッドへ腰かけました。

近くで見る彼女は、白いブラウスに、白いスカートと赤い細身のベルト。常にうつ向いて、長い髪が顔の前に垂れているせいもあり、彼女の醸し出す雰囲気からは、只々、暗闇の中を彷徨っている気が弱く陰気な女性の印象を受けました。

じっと見ている久美子に対し彼女は小声で話しかけてきます。

「今日は…、封印をといてくれて…ありがとうございます。」

(いやいや、私は勝手にやられた側で、被害者なの…)

「いえ、いえ、どういたしまして。何かの流れでこうなっちゃたんだけどね。」

「とりあえず、お互いに自己紹介をしておきましょうか。」

彼女は静かにうなずいていました。

「え~と。もう薄々わかっているかと思うけど、私はすでに死んでいます。あの世の人?です。『この世』に執着がなかったから霊界にはすぐ行けたけど、いろいろあって、このタクシー会社で働かないと成仏できないことになっちゃって、まあ、よく言われる『無間タクシー地獄』に堕ちて永遠に苦しんでいる状態なのよ。このタクシー会社は『あの世』と『この世』のどちらでも営業していて、私は『この世』と『あの世』を行き来する『ハイブリット営業』を無限にやらされている訳です。一応、生前の名前は、『竹内久美子』で、『あの世』でもそれで通しています。」

久美子は一気に話し終えると、彼女の反応を見てみました。

彼女は右手の人差し指で床に何か書いているような素振りでしたが、やがて、小さな声で話し始めました。

「…あの、私…ずっと「この世」をさまよって…、「あの世」…行ったことないです。」

(ふむ、ふむ、つまり、物理的に肉体を失ったけど、執着か何かで「あの世」(霊界)に行かず、霊的にこの世に留まっていたのね。)

「そう、色々あったのね。何があったかは聞かないけどね。」

彼女は更に深くうつ向きながらつぶやきました。

「…ありが…とう…。わたしの名前は、『三井彩』。」

言い終えると、彼女は鏡の中へ白い霧のように消えていきました。

その彼女が戻った鏡をそっとなぜながらつぶやきます。

「名前を教えてくれてありがとう。また、出てくる気になったら会おうね。」

久美子は、閉めたカーテンを開け、夜空を遠く見てぼんやり何かを考えていました。


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