第三話 新しい住まい

所長は机を挟んで、私の向かいの椅子に座り直しました。

いつもの様に、もってきた書類を机の上でちゃっちゃと並べてから説明を始めます。

「毎日『あの世』からの出勤だと大変でしょ。」

「会社で『この世』の社宅を用意する稟議が通ったので、本社から社宅候補の書類を送ってもらいましたよ~。」

自信たっぷりの所長は、私の顔を見ながらにっこり笑いました。

「こんな物件どうです。」

(…所長、ひょっとして「この世」では不動産屋だった?)

などの相談の後、今月から独身の久美子は、「この世」で一人暮らしを始めました。

賃貸の物件がある街は、都心から1時間程度離れた閑静な土地で、スーパーが徒歩圏にあり、市役所にも近くて、利用するかどうかは別として、『この世』の人間が住むには、至れり尽くせりの環境です。また、照明、エアコン、モニタ付きインタフォン、ガスコンロ、駐車場がついており、それが家賃に含まれていることも、人型で『この世』に滞在する必要がある久美子には、とても魅力的でした。

物件自体はアパートの2階建ての2階で、1年以上空き部屋だった訳アリ賃貸物件。

玄関を入って、右手にはお風呂とトイレ。先には、ダイニングキッチン。

その奥には、ドアを挟んでリビングとロフト、そしてベランダがある1LDKの部屋、専有面積32㎡。全部で12部屋あるアパートの1部屋です。

久美子はこの小さな空間に、一人暮らしの家財を押し込みました。

冷蔵庫、洗濯機、ローテーブル、ベット、収納ラック、本棚、クッション、カーテン、テレビとその台、それと少しの食器と調理器具。それらをこの小さな空間に押し込み終えたとき、我ながらよくやったものだと感心しました。

(結構、この狭い部屋に入るものだと…。)

(これらの現物は、「あの世」ではいらないけど、「この世」用に用意したのです。)

(どうせ、会社の経費だしね。)

会社休みの平日の午後、車で明日からの食材を買いに出かけます。

体がないので、食材や食事は本来必要ありませんが、食事をする「気分」や「習慣」を楽しみたいので、料理をするだけですが趣味としてやっています。

歩いて行けるスーパーもあるのですが、住んでみると必要な生活雑貨の調達と、この街の郊外にも興味があるのでドライブ気分のお出かけです。

自家用車は、会社から支給された、霊界タクシーの社用車です。

30分も走ると、新しくできたリサリサイクルショップがあります。駐車場は若干、混んではいましたが何とか駐車できました。

(生活雑貨の足りないモノがこの店にあれば、うれしいけど。)

(洗面所には鏡はあるけど、リビングにも卓上タイプの鏡が欲しいな…。)

(落ち着いたアンティークなものが欲しいけど。リサイクルショップだしね…。)

片付いているようで、片付いていない店内を巡回しながら目当ての鏡を探します。

お客さんも多く、辟易しながら鏡がありそうな場所に移動します。

合成樹脂製のいかにもの鏡は大量に展示されていますが、お目当てのアンティークな鏡はなかなか見つかりません。諦めかけたその時、ふと見た店内の隅にまだ整理されていない、雑多に並べられた家具類がありました。そのうちの家具の上に、まさに探していたアンティークな鏡が汚れたままでぽつんと乗っています。近くにいた店員さんに許可をもらって、手が汚れるのを気にしながら、その鏡を手に取ってみました。その鏡のフレーム素材はブロンズのようで、茶色の酸化膜に覆われて、ずっしりとした重みを感じます。鏡自体は、表面に若干のくもりはありますが、裏面の劣化によるものは無さそうです。

(うん。これなら、汚れを専用クリーナーと、柔らかい布で拭けば大丈夫そう。)

(それ以外は、キズ、欠け、気泡、ゆがみとかは無さそう。これ、掘り出し物?)

気を付けながら裏返し、鏡の台座を見てみる。

貼ってあったのが、もう読めなくなったメーカーのラベルと、もう一枚すすけた紙にかろうじて『封印』の墨文字が。

突然、久美子の目がギラリと光り、眉間にしわがよった。

(うっ。封印の御札…だよね。これ。)

(『あの世』からきた方か、『この世』をさまよっていた方か、どっちが封印されているのかしら?)

(まあ、どっちでも封印しちゃえば同じだけどね。)

「あの、これ…、おいくらですか。」

先ほどの店員さんに聞いてみる。

「ちょっと待ってくださいね。店長~。」

大急ぎで店長を探しに行ってくれた。

(ん?私には聞こえちゃう。なになに。あ~、いわくつきの引き上げ品なのね。)

(え?『剝がしちゃえ。』って、はぁ?何を剥がす気なの?ちょっと!)

(『あ~あ。店長、良いんですか?』って……。)

「お待たせして、申し訳ありません。」

先ほどの店員さんが、走って帰ってきました。

「店長が、現状渡しでよければ,1,000円でどうぞ。」との事です。

店員さんは、目を泳がせながら汗をかきかき話しています。

(まあ、これで1,000円ならお買い得ね。一応は封印もされているし。)

「じゃ、お願いします。」

レジで支払いをし、店員さんが包んでいるときに、確と見てしまったのです。

台座の裏には、メーカーのラベルが一枚のみ。

(剥がすって、「封印」剥がしちゃダメだろ~!)

今更に何も言えず、久美子は軽いめまいを感じながら店の外に出ました。

(どうすんのょ~。この鏡、開封済みじゃない!!)

(何が出てくるのよ……って、どうなるのよ、この後!)

彼女は、重い溜息を一つついた後、ずっしりと重い鏡を手に、よろよろ車に戻っていきました。

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