第一話 迷い込んだら
所長は机を挟んで、私の向かいの椅子に座り直しました。
先ほどの書類を机の上にきれいに並べ終えてから、仕事の説明を始めました。
「今回は、そんなに難しくない仕事だけど。」
所長は話ながら、私の反応を伺うようにちらりと上目遣いのまま、ちょこんと小首をかしげました。
作業指示書に書いてある案件の名は、「大日本シティ アトラクションに迷い込んだ幽霊の保護・確保」とあった。
発注者 :「あの世」行政管理
受注者 :霊界タクシー(受注日:「この世」歴2025年6月24日)
作業者 :霊界タクシー【社員:竹内 久美子】
作業内容:大日本シティ アトラクション施設内に迷い込んだと思われる幽霊
「さちこ」を、「この世」の人に気づかれないように保護・確保し、
「あの世」の行政管理事務所 光岡まで無事に送り届けること。
作業納期:「この世」日時で、受注日を含め一週間内
特記事項:「さちこ」の特長
生前名:中山幸子(女性) 年齢:18才 大学1年生(死亡時)
失踪場所 :「あの世」の霊魂待機施設内 205号室
失踪時の服装 :白地の猫のイラストTシャツとライトブルーのジーンズ。
場所の選定理由:大日本シティ アトラクションに行く予定の前日に死亡
(大学から帰宅途中の交通事故。横断歩道で即死。)。
生前の写真 :学生証のもの (身長:165㎝)
(はぁ…。やることは探偵事務所だよね。)
(まぁ、最後はタクシーで送り届けるのだけどね。)
「了解です。この『さちこ』さんを、大日本シティ アトラクション施設内で見つけて、『あの世』の行政管理事務所 光岡さんまで送り届ければいいですね。」
「その通りです。いけそうでしょ?」
所長は首を少し傾けて、いたずらっぽく口元をゆるめました。
(お手並み拝見ですか?)
久美子は事務所の空いている席で、備え付けのパソコンを立ち上げました。
(まずは、「大日本シティ アトラクション」の場所を調べてと…。)
(それから、施設の地図も必要だよね。)
久美子は慣れた手つきで、施設のある住所と地図のURLを探し出し、施設内の地図とアトラクションの一覧から「さちこ」がいそうな場所の特定に作業を進めました。
遊園地の地図を広げ、大きな観覧車や、トロッコ型ライドなど、彼女が現れそうな場所を一つ一つ検討してはメモを取っていきました。
閉園後の「大日本シティ アトラクション」。
誰もいない観覧車に夜風が吹きつけ、営業中のネオンの灯りは消えて申し訳程度についた街路灯のオレンジ色がアスファルトの道をぼんやりと染めています。
照明の消えたゲートの隙間から、ふと現れた薄い透明な影。
透明にもかかわらず、微妙に彩色されているのか、白地に猫のイラストTシャツとライトブルーのジーンズは、判別できます。
彼女は周囲を見回しながら、誰もいない園内に一歩、また一歩と足を踏み入れました。
インフォメーションセンターのシャッターは下りて、噴水広場の噴水も止まっています。
レストランもグッズ店も閉まっていますが、園内マップの看板があったので、行きたかったアトラクションゾーンの場所を確認します。
(目の前の大きく広がった階段を上がって、右に行けばいいのね。)
彼女は風が流れるように階段を超え、アトラクションゾーンに向かいました。
(大観覧車とティーカップ。大観覧車は目の前ね。ティーカップはどこ?)
生前の彼女は、遊園地の観覧車とティーカップ(回転木馬も可)を、何よりも愛するマニアでした。この「大日本シティ アトラクション」ができた時から、いつかは大観覧車とティーカップに乗ることを夢見てきた。あの事故にあう日までは。
35日目の閻魔王様の裁判の前日、「あの世」の霊魂待機施設内 205号室で「さちこ」は肉体の無い霊魂として、ぼんやり漂っていました。
「この世」でもそうですが、無駄に時間があると、どうしても色々考えてしまいます。
「あの世」には時間は無くても、考えることはできるようです。ですので、つい、やり残した事なんかを思い出してしまいます。
(待ちに待った、「大日本シティ アトラクション」に行く前日に交通事故って…。)
(しかも、死んじゃった……。)
(もう、乗れないね。「大日本シティ アトラクション」の大観覧車とティーカップ…。)
(すごく…、乗りたかったのに。)
あきらめきれない気持ちが、彼女を支配した瞬間、霊魂を包むように青白い光が何重もの輪で立ち上り、空気が鈍く震えました。
突然、彼女は、「この世」の「あきらめきれなかった場所」に立っていました。
いま、彼女は願いが叶った幸せと、これからの不安、たくさんの感情で胸が張り裂けそうです。次第に感情は制御を失い、静かに園内を侵食し始めました。彼女の感情が園内へと伝わり、気がつけば周囲の風景が揺らめき、「あの世」と「この世」の境界がぼやけていきました。
彼女の不安が園内の風景に溶け込み、彼女と遊園地の境界線が曖昧になっていきます。
遊園地が彼女に飲み込まれ、生きた施設となって動き出しました。
遊園地は単なる施設ではなく、彼女の内面を映し出す「鏡」となっています。
ティーカップがくるくると回り始め、誰かの笑い声が風に乗って聞こえます。カラフルなティーカップが照明の光を浴びて輝き、回るカップに心から幸せが湧き上がります。回転するたび、彼女の喜びそのものがカップからあふれるようです。
屋内コースターは、暗闇のトンネルへと滑り込んでいきます。
トンネルの中は、何も見えず、ただ軋む音と横揺れだけが耳と体に残ります。
コースターは、どこへ向っているのか分からないまま、急に体を傾かせながら、左右に振り回されるようにして、暗闇を猛然と突き進みます。
彼女の不安はコースターと重なり、終わりが見えない恐怖となって叫び声をあげます。
遊園地の照明は、彼女の感情を映しだし、その時々で周囲の雰囲気を塗り替えています。彼女の喜びには、園内はカラフルな光に包まれ、オレンジとピンクの照明が交互に点滅しながら、空間を明るく塗り上げています。
一方、忍び寄る不安には、鈍い青やくすんだ緑の色に照明は変わり、不規則に点滅し、落ち着かない、先の見えない雰囲気を空間全体に漂わせ始めます。
訪れる悲しみには、照明は切なく静かな青や紫に変わり、滲むような照明で包みます。
そして怒り、赤い照明が激しく点滅し、点滅がストロボのように強烈な光と影のコントラストを生み出し、激しい感情を空間に吐き出します。
いま、この「大日本シティ アトラクション」は、「さちこ」として生命を得ています。
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