霊界タクシー

ごんべ

霊界タクシー

あれから何年経ったのだろう。久美子はタクシーを流しながらぼんやり考えた。

彼女は若い頃からタクシーの運転手だった。もともと運転が好きなこともあり、高校を卒業する18歳で普通免許を取得した。大学に入学してからアルバイトでためた貯金を資金に教習所に通い二種免許試験を受けた。そして、18歳から3年たった21歳で第二種免許を取得した。

第二種免許はタクシーやバスで、旅客を乗せて運転する際に必要な資格で、運転好きには持っておいて損のない資格だ。

充実した学生生活を終え、就職して社会へ出る時期となる「1998年」、時代は就職氷河期に入っていた。名の無い大学の文系卒では、企業の新卒求人倍率は低く、特に大手企業志望者の就職難が続いて、とても勝ち残る自信がなかった。

久美子は就業自体をあきらめて無職や引きこもりになるよりも、タクシー会社に勤め運転手になる道を選んだ。もちろん、両親の反対はあったが、時代がそれを許さなかった。

東京の大手タクシー会社「K」に新卒で入社し、ドライバー経験を積みながら、本社での管理職を目指した。ゆくゆくは、運転が好きで進んだ道なので、10年以上を無事故無違反で運転経験を積み、定年を考える年齢に近づいたら、個人タクシーとして独立する夢もあった。

そんな久美子の歯車が狂ったのは「コロナ禍」での不景気だった。

入社以降は「いざなみ景気」で徐々に景気が回復していくが、2008年秋のリーマン・ショックで、タクシー業界は大ダメージを受けた。その後、微妙な景気回復・後退を繰り返し、2020年の「コロナ禍」が起こった。44歳になっていた久美子に会社から提示されたものは、「早期退職」だった。彼女が独身でもあったことが会社のリストに入れられた理由の一つだった。運転手は時間が不規則で睡眠や生活のリズムが不安定なうえ、日中はほぼ一人で車内にいるため会社内でも良い縁がなく、飲み会なども親の介護も重なり疎遠となっていた。気が付いた時には実習室の端で、夕日を浴びながら上司から退職勧奨を受けている自分がいた。

(なぜ、私だけが…)

自分以外にも対象者がいることは理解しているが、ショックで自分だけがターゲットにされているような孤独感や疎外感に覆われた。

そう、孤独。昨年までに介護が必要だった両親も、いまは亡くなっている。

兄弟も、親しい親戚も、友達さえもいない。

久美子の目は涙することなく、瞬きすることもなかった。

上司との話を終えて、車内点呼のあと、夜勤担当の実車を行うため、シフトで共有する最近増えたAT車に乗り込んだ。

時刻は夜の11時を過ぎ、人影もまばらな中、数少ない酔客の送迎が続くうち、居酒屋から帰る中年の夫婦を乗せた。夫婦はかなり飲んできたらしく、二人とも保険金のもうけ話を夢中になり、ろれつも回らない大きな声で言い争っていた。

(世の中、楽した者の勝ちか…)

久美子は目を暗く沈ませ、腹の中でつぶやいた。

指定された場所は、街灯も少ない町はずれの公園だった。薄暗いオレンジ色の街灯の下で夫婦を降ろすと、彼らは千鳥足でタクシーのヘッドライトの前を歩いている。男の体が大きく揺れたその時、

(消えろ…)

彼女の中で何かが壊れた。

指先が震え、呼吸は浅く、目の焦点が定まらないまま、車のギアをDに入れ、サイドブレーキを外すと、アクセルを強く踏み込んだ。大きな衝突音と同時にフロントガラスにひびが入った。

久美子のタクシーはそのまま当てもなく走り始めた。


「もう…終わりだ…」


久美子の口から、かすかに漏れた。


どこを走ってきたのかは久美子に記憶にない。

ただ、いつの間にか、助手席には霧のような男性運転手の形をしたものが座っている。

彼女に自由はないようだ。その霧がゆらゆら揺れながら進む方向を指し示している。

遠くに田んぼと電柱が見えてきた時、久美子は意識が遠くなりながらノイズだらけの声を聞き、ひび割れたフロントガラスいっぱいに広がる灰色のコンクリートの電柱を見た。


「霊界タクシーへ…ようこそ…」


意識を失った彼女が握るハンドルは、制御不能なまま道路を跳ね上がり電柱にぶつかっていった。


既に、「この世」から去った久美子の耳には、

「霊界タクシーへ…ようこそ…」

霊界タクシーは、「この世」と「あの世」をつなぐ、生と死の境界で営業しております。

「この世」と「あの世」の扉を開け、魂の通り道を抜けていきます。

生前と死後の世界への架け橋。それが、霊界タクシーです。

先ほどの続きが、会社案内のように流れてきた。

久美子は生前の業で、永遠にタクシーを運転する地獄へと落とされたようだった。


本日、久美子はいつものように「あの世」の扉を開け、死後の世界でタクシーを流していました。

肉体を離れた霊魂が、自己のレベルや性質に応じてグループに分かれて生活している。それがこの世界らしいのです。

久美子自身、この世界では新人なのでよく分かっていないことが多いのですが、とりあえず、運転だけは問題なくこなせています。タクシー業界も生前に経験しているので、特に違和感はありません。所属会社からの指示で送迎したり、空車の時は需要のありそうなと場所を流したりと、生前の社会と変わりがないのです。

「あの世」の人も、「この世」の人と同じように社会で営んでいるのだが、その中のメカニズムが少々違うようです。

「この世」は、魂が肉体に宿り、「あの世」は、肉体を離れた霊魂の世界で、物質的制約が一切ありません。

ベテランであれば霊魂だけで誰かを見分けることができますが、新入りにはそう簡単にはいきません。

結果、「あの世」では新入り救済処置として、霊魂を生前の肉体に似せて姓名も生前に準ずることとなっています。魂は基本透明ですが、お好みで着色は可能となっており、完璧ではありませんが、ほぼ生前と同じ状態で、最近の皆さんは「あの世」を闊歩してます。

ベテランの皆さんは嘆いていますが、見分けてもらわなければベテランであっても存在意義がなくなってしまいます。結局、新入り同様に霊魂を生前に似させて「生活」して…。と言いますか、「昇天」もしくは「永眠」しています。

そういえば、タクシー本体ですが、これは霊界の調達車両なので本当は実体がありませんが、「この世」に合わせて実体のようにしてあります。ただし、ガソリン・ガス・電気などは使わないようになっています。

突然、車内の配車無線システムから音声が流れました。

「ガー…。お疲れさまです、棺桶25号車。…25号車。現在地どこですか?」

配車係の田中の声です。

「棺桶25号 竹内です。現在、他界3丁目 霊園公園前です。」

(そんなことは聞かなくても、閻魔印GPSでわかってるでしょ。)

(今度はどこの客に配車するつもり。)

「了解しました。近くで配車依頼が入りましたので、死神町までお迎えお願いします。」

(近くないでしょ!)

「了解です。これから向かいます。」

(はぁ…。まあ、こっちの世界は疲れ知らずだけどね。)

「到着したら連絡くださ~い。よろしく。」

(ちぃ。面倒なんだけど。)

(いま、客の住所おしえてよ。)

「了解。到着次第、連絡します。」

久美子は、極楽ナビの目的地に死神町一丁目を設定し、ウィンカーを出して、車を右の道へ方向を変えました。

(はぁ…。死神町なら20分くらいね。)

彼女は、ため息交じりに極楽ナビを確認します。

道と言っても、「あの世」での道は「この世」の道と違い、実質的にあるわけではありません。「あの世」全体が、無数の青白い粒で織りなされ、その一つ一つの淡い光源からのひかりは水面を揺らす波のように、ゆっくり揺れながら辺りを包んでいきます。その中で、周囲の色に比べてわずかに濃い色を帯びた空間の部分を道と呼んでおり、ベテランになると道と声無き会話ができ、一瞬で目的地に行けるそうですが、土地勘の無い新入りは極楽ナビの案内が必須のアイテムになっています。しかし、それ以上に久美子の「20分」という言葉は問題です。「あの世」には時間なんてありませんから、新入りが「この世」の慣習を、まだ引きずっているのです。もし、ベテランに聞かれたらなんて言われるか……。

本人は、そんなこととも気づかずに、欠伸を噛み殺しながら、色が濃くなってる場所を目安に極楽ナビの案内に従って運転しています。

極楽ナビの音声ガイドが流れます。

「お疲れさまでした。まもなく、死神町一丁目です。」

(だから、「あの世」に来てから疲れないんだよね。)

(「この世」では、44歳相当で結構疲れていたんだけど。)

車内の配車無線システムで会社の田中へ連絡を入れます。

「お疲れさまです、棺桶25号車 竹内です。死神町一丁目に着きました。」

配車係の田中の声がかえってきた。

「棺桶25号 了解です。お客さんは、死神町三丁目 集合霊魂場 8階 32号室 宮内さんご夫婦。霊魂場の前で待っているそうです。「この世」で、行き先は、ご夫婦がひき殺された公園前まで。目的地の詳細は極楽ナビの「思考読取機能」でご夫婦に案内してもらってくださいね。公園は街灯も少ない町はずれにあるそうで~す。」

「あの世」でのでき事ですが、「あの世」では物理的な表現ができないので、「この世」風に表現しますね。

久美子の背中を冷や汗が流れ(「あの世」ですが)、彼女の目は恐怖で大きく見開かれ、あの惨劇を脳裏(これも物理的に「あの世」なんですが)に蘇らせていました。

(やばい…。無理!)

久美子は無線のマイクを切って、今来た方向へ車の向きを大急ぎで変えた。

「あっ!どうした!何やってるの!!」

配車係の田中が、配車用ディスプレイに表示された棺桶25号の軌跡を見て、裏返った声で叫びます。

棺桶25号は明らかに指示とは異なる方向へと進んでいきます。

久美子は硬い表情で無線本体の数あるスイッチの中から、一番奥に鎮座する赤い電源スイッチを「カチリ」と切りました。すぐに、おしゃべりだった無線機は全ての表示を消し沈黙します。

久美子は静かになった車内でアクセルを徐々に深く踏み込んでいきました。

3日後、久美子は「あの世」本社から、「この世」営業所へ左遷されたのです。


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