(2)




 その日の授業はもちろん身が入るわけなんてなくて。

 映はどうなりたいんだろう。明日の私は――映は、笑い合っていられているだろうか。

 そんなことばかりぐるぐると考えていると、時間は無情にもあっという間に過ぎていく。

 今日ほど一定の時を刻み続ける時計を恨めしく思ったことはないかもしれない。少なくともテストでラスト一問が解けない時なんかとよりもっと。


 けれど映は多分、今の私とは比べものにならないほど悩んだはずなのだ。

 今朝の、決意と不安とが入り混じった表情が、それを物語っていた。それに気づかないほど、伊達に幼なじみはやっていない。

 それならば私にできることは、映の意思を受け止め、それがどんなものであったとしても事態を少しでも好転させることだけ。

 臆病な私の中に、わずかな決心が芽生える。


 そうして半分怯み、半分腹を括り、中途半端なままの私に、ほんの少し予想外の事態が起きた。

 てっきりいつものように校門前で集合になると思って、放課後になるとすぐ校門に向かった私の元に、映からメッセージが届いたのだ。


『悪い。HRが伸びそうだから、駅前あたりで待ってて』


 "その時"が少し延びたことに、ほっとしたような、そんな自分を叱りたくなるような気持ちになる。


 この時期は進路のことや来月の三者面談のことやらで、HRが忙しくなりがちだ。

 映が先に行っててと言うなら、それに従わない理由はない。


『わかった! 急がなくて大丈夫だからね』


 一言のメッセージと、愛用しているネコの『お気をつけて』のスタンプを送り、私はスマホをブレザーのポケットの中にしまった。





 カーンカーンカーン。金属がぶつかり合う音が、閑静な住宅街に響き合う。

 駅前とは言え、小さな無人駅の近くには目立つ建物はない。私は時計台の近くのベンチに座って映を待つことにした。

 そんな寂れた駅前に、なぜ騒がしい音が響いているのかと言えば、駅の修繕工事をしているからだった。

 レンガ造りの寂れた駅が、グレーの布のようなもので覆われている。


 駅前でスマホをいじったり、行き交う人を見つめたりしながら、私はふと今日の天気予報を思い出した。そういえば夕方から雨が降るのだった。

 空を見上げれば、朝よりも分厚い雲が空にのさばっている。雨が降るぎりぎりのところをなんとか保っているという感じだ。この様子では数十分後には雨が降ってきてもおかしくはない。

 映は折りたたみ傘を持ってきただろうかとふと懸念が頭をよぎったけれど、しっかり者の映のことだから私が心配する必要はなさそうだ。

 でも、映がここに来るまでに降らなければいいけど……。

 いつもの如く頭の中を映のことでいっぱいにしていると。


「日依!」


 私を呼ぶ声が聞こえてきて、弾けるようにそちらを見れば、走ってきたのか肩を大きく揺らす映が立っていた。


「ごめん、遅くなって」


 荒い息の狭間に、映が真摯な声を投げてくる。


 その距離、数メートル。

 多分、待たせていたという思いから、気が急いて私を見つけるなり声をかけたのだろう。


「大丈夫だよ!」


 私もベンチから立ち上がり、声を投げ返す。


「俺、どうしてもひよに伝えたいことがあって……」


 耳に意識を集中させながらふと、映が手に持っているものに気づく。それは白い封筒だった。

 ……手紙?


 すると、その時だった。

 映の頭上で、ガシャンと金属音がしたのは。

 はっとそちらを見上げた私は、その目を見開いていた。

 何本もの鉄パイプを吊るしている紐が、一本切れたのだ。そして重力に引っ張られるまま鉄パイプの塊が傾き、落下しようとしている。その下にいるのは――映。


 一瞬にして血の気が引く。ひゅっと吸い込んだ風が喉を切る。


「映……!」


 自分の口から出たものとは思えないほどのつんざくような悲鳴と共に、私は地面を蹴っていた。

 映を覆い尽くすように大きくなっていく鉄パイプの影。頭上を見上げた映の姿。すべてがスローモーションに見えた。

 私は抱きつくようにして、映の胸元に飛び込んだ。


 ――ガッシャーン。


 割れんばかりの爆音が、地面と空気を震わせた。


「日依……?」


 震える映の声がすぐそばで聞こえる。

 私は映を地面に押し倒していた。そしてそのすぐ背後に、鉄パイプが落下した。すれすれのところで落下物から避けることができたのだ。


「日依……!」


 動揺しきった映の声。

 私は擦りむいた膝の痛みに一瞬顔をしかめながらも、上体を起こして映に笑って見せた。


「映、無事?」

「日依は……!?」

「うん、私は無事。大丈夫だよ」


 すると映が私を立たせ、肩を掴む。


「本当に!? 当たってないか?」


 常に余裕のベールを一枚纏った映が、こんなにも焦っているのを初めて見た。

 私は苦笑する。自分だって手のひらから血が出てるくせに、いつだって私のことばかりなんだから。


「大丈夫だって」


 すると、いきなり腕を掴まれ引き寄せられたかと思うと、思い切り抱きしめられた。

 力の限り抱きすくめられる。私をかき抱く両腕はまるで私という存在に縋るようで。


 映の腕の中、私はされるがまま。ただ目を白黒させることしかできない。


「映っ?」

「日依を喪ったらって思ったら怖くなった……。日依がいない世界なんて、息もできない……」


 映の声が震えていた。支えを失ったように、声がひとりぼっちになっていた。

 弱々しい幼なじみを前に徐々に冷静さを取り戻した私は、映の背中に手を回し、ぎゅうっとたしかな力をこめて抱きしめ返した。ここにいるよと伝えたかった。


 するとその時だった。ふと目の前の世界が大きく横に揺れたのは。地震かと思ったけれど違う。私の視界が揺れたのだ。

 そのまま身体が大きく後ろに傾ぎ、空から無数の雫が落ちてくるのが見えた。

 あ、雨――。そんなことが頭を過ぎったのも束の間、私の意識はプラグを抜いたように音もなく途切れた。


 ――ほらね、未来なんて一瞬で一変してしまうんだ。




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