猫を被る

unknown K

猫を被る

「今日もうまく話せなかったな……」


私は俯きがちにボソッと独り言を呟く。私は何気なく歩道の石を蹴る。コロコロと石は転がってゆき、小石は車道に落ちた。最近は、ずっとそんなことばかり考えている気がする。


〝人とどうコミュニケーションをとるか〟


巷にはこんな題名の本がありふれている。私が小学生の頃は電車の壁にデカデカと貼られた本の広告を何気なく見ながら、〝そんな本に需要無くない?〟とか〝別に口があれば会話なんて成立するじゃん〟みたいなくだらない事を考えていた。


あの頃はまだ学校も楽しくて、友達も沢山いた。でも、小学校6年生ぐらいの時から私は人とのコミュニケーションに段々と苦労するようになって、楽しかったはずの学校も次第に苦痛になっていった。


〝恵美って平気で暴言を言ってくるよね〟


〝恵美ちゃんって優しくないよね、他人に興味ないの?〟


やがて友達はだんだんと減っていき、私は中学生になった。中学に入ってから、みんながスマホを持つようになって、よりコミュニケーションは複雑になった。


グループリーダーのTwitterを毎日確認して、きちんといいねをつける。

グループリーダーがLINEで発言した時はすぐに既読をつけて反応する。


大量の不文律、暗黙の了解。これらに従わないとやがてグループ内での地位は落ち、最終的には仲間はずれにされる。


私はまだ仲間はずれにはされていない。だけど、私が〝ギリギリのゾーン〟であることは薄々感じている。周りは明らかに私を煙たがっている。きっとこのままだと私も仲間はずれにされてしまうだろう。


私はどうすれば良いんだろう……


「はぁ」


ため息一つ吐き、私は空を見上げる。夜空に浮かんでいる綺麗な星々も都会の派手なネオンとイルミネーションの明るさに掻き消されて見えない。


私は遠慮ができない。思った事をすぐに口にしてしまう。だから私は周りから疎まれている。でも、思った事を押し殺して、自分を〝演じて〟会話をする事は難しい。


「もう十時……」


私は腕時計を見ながら独り言を呟く。塾の帰りはいつも遅くなる。私は中三で来年には受験を控えている。それにお世辞にも成績がいいとは言えない。だから、いつも親に怒られてばっかりだ。


「今日もテスト50点だったし、またお母さんに怒られちゃうな……」


友達との関係、親、成績、受験、学校、塾。


いろんな事が鎖のように結びついて、私の心をめちゃめちゃに乱す。


「私にもコミュ力があればなぁ」


私にコミュ力があれば学校も楽しくなるのだろうか。周りの女子から仲間はずれにされるのは怖い。コミュ力があればそんな不安に苛まされる必要もなくなるのだろうか。そう、私が心の中で強く思った時だった。


ニャー


黒猫が私をじっと見つめていることに気がついた。微動だにせず、歩道にちょこんと座り、私をじっと見上げている。普段なら何とも思わない光景。


でも、この黒猫には圧があった。他とは違う圧。言葉にすることができない、只者ではない雰囲気。黒猫の金眼が私を吸い込もうとしているように感じられた。


私は黒猫を見つめ返す。


どこかでこの眼を、この顔を見たような気がする。でも、何も思い出せない。


何秒か見つめあい、やがて黒猫は尻尾を振り、こっちに来いとばかりにニャーと鳴いて、路地裏へと歩いていった。私は好奇心に任せてその猫の跡を追った。


……


「ここは……」


複雑な路地裏の中へと進み、わずかな電灯を頼りに猫を追いかけて5分ほど。ようやく猫が立ち止まった所の風景に、私は思わず目を疑った。ほとんど真っ暗で怖いという事を除けばただの路地裏。何も綺麗なものもない。


だが、そこには二十匹程の猫が整列していた。


えっと、こういう場所を何て言うんだっけ……


確か〝猫の集会所〟といった気がする。でも、私の知る猫の集会場はもっとこう、緩い感じで、数匹の野良猫達が日が暮れた頃に欠伸をしながら空き地に集合する。そんなイメージがあった。でも、ここは違う。猫達が軍隊みたいにきちんと整列しているのだ。それに、一匹一匹の猫達の雰囲気が違う。なんとも言えない怪しさがあるのだ。


私は急に恐ろしくなって後退りをする。

私の本能が私に警告している。〝ここは普通じゃない〟と。


そんな私の恐怖を感じ取ったのか


「そんなにボクを怖がらないでほしいなぁ。別にボクは君に危害を加えようなんて1ミリも思っていないから」


びっくりするほど拍子抜けな声が聞こえた。

信じられない。

私は声を出すのも忘れて驚きのあまり尻もちをついてしまった。無理もないと思う。何故なら……


「ボクの名前はクロ吉。仲良くしてくれると嬉しいな」


目の前の黒猫が喋ったからだ。


黒猫は前足で顔を掻きながらのんびりとした口調で口を開いた。私は目の前のことが処理できずに呆然と立ち尽くす。


「あ、驚かせちゃったかな、無理もないか。最初は誰も信じられないよね」


相変わらず能天気な口調で喋り続ける猫。私は動揺と驚きを呑み込み、何とか口を開いた。


「あ、貴方は何者なの……」


「自己紹介がまだだったね。ボクは化け猫の一族の末裔だよ。クロって呼んでね。因みに、ボクが喋れるのも化け猫だから。後ろに並んでいる猫達はボクの部下。精鋭部隊〝猫パンチ〟だよ」


「凄く弱そうな名前……」


「猫パンチを舐めないで欲しいなぁ。猫パンチの時速は約80km、一方人間のプロボクサーのパンチの時速は約40km。2倍も速度が違うよ」


明らかに不服そうな顔で話すクロを見ているうちに、私は最初に感じた警戒や恐怖が和らいでいくのを感じた。〝化け猫〟という驚きの宣言も、猫が喋ったという衝撃よりは小さく、簡単に信じることができた。


「で、話を戻そう。僕の一族の話だね。僕たち化け猫は平安時代から約千年の歴史を誇る一族さ。化け猫になる方法は簡単、長の化け猫が率いる部隊のトップになって、五十年ほど生きること。そうすれば、人の言葉を理解し、話すことのできる立派な化け猫になれるんだ。化け猫になると百年も二百年も生きることができる。因みに、ボクは百五十歳だよ」


百五十年前って何があったっけ……江戸時代くらいかな?


「今から150年前は1874年、明治時代だよ」


「あー、昭和の前ね」


「駄目だこりゃ」


クロは大袈裟に首をふる。完全にバカにされているけど別にいい。歴史は苦手だ。それに、化け猫には人の心を読む能力があるらしい。私は黒猫の反応を無視して質問を続けた。


「化け猫って具体的に何をするの? もしかして、人を襲ったり……」


「ボク達はそんな野蛮な事はしないよ。というかほとんどの化け猫達は人を襲わないさ。ただ、一部の野蛮な化け猫達は好んで人を襲うこともあるね」


私は恐怖を感じて震え上がる。自分が遭遇した化け猫によってはここで襲い掛かられていたかもしれないのだ。


「怖がらせてごめん、ボクは絶対にそんなことはしないから。さぁ、本題に入ろう。どうしてボクが君をここに呼んだかってことだ」


ここでクロは間を一つ置き、呼吸を整える。


「君の夢を叶えてあげようと思ったんだ」


「私の、夢?」


「そうさ、君の夢。ボクに会う寸前に考えていただろう、〝コミュ力があればなぁ〟って」


私はドキリとする。化け猫は心の中が読めるとは言え、あのときの感情も読まれていたなんて。でも、それを知ったところで何になるのだろうか。


「コミュ力は欲しいよ。凄く欲しい。でも、そんなのどうしようもないよ」


「それがどうしようもない事じゃないんだなぁ、ボクの手にかかれば」


クロがドヤ顔で私の言葉を遮る。


「ボクは千年の歴史を持つ化け猫の末裔だ。ボクの手にかかれば、君の願望を叶えてあげられる、魔法の道具を作る事だって可能なんだよ」


「それは一体……」


「おい、シロ次郎、例のアレを持ってきて」


クロは振り返って、背後の白い部下猫に命令を下す。白猫は恭しい態度で、どこからか黒い猫のお面を取ってきた。


そのお面はよく神社に置いてあるキツネのお面の猫版といったようなお面だった。


「このお面はボクの特別な術によって作られているんだ」


クロはお面を咥えて運び、しゃがんだ私に手渡す。


「このお面をつけている間、君は会話で悩んだり苦労する必要はないよ」


「つまりどういう事なの?」


つまり、とクロは続ける。


「このお面をつけている間、君はどういう風に会話をすればよいのか悩んだりしなくて良いんだ。このお面は君の舌と口を操る機能を持っているんだ。君の思った事、感じた事を婉曲にして当たり障りのない言葉に変えてくれる。さらに、会話で必要なお世辞や周りへの反応も自動で行ってくれる。どう? 凄いでしょ?」


「説明が難しいなぁ、全然わかんないよ……」


「百聞は一見にしかず、だ。使ってごらん」


私は恐る恐るお面をつけた。


特につけたからといって何か違和感があるわけでもない。至って普通だ。


「別に何も起きないけど……」


「何か喋ってみなよ」


特に喋ることも思いつかない。そうだ、せっかくなら目の前のクロを煽ってみよう。


「……!」


「何も喋れていないね」


私は確かにそう言おうとしたはずだ、〝貴方前見たアニメの悪役と喋り方がそっくり"と。でも、全く口が開かなかった。自分の意思で自分の身体を動かせないことに、強烈な違和感を覚える。


「これがお面の術なんだ。本当なら君の思った事を婉曲にしてくれるんだけど、婉曲にできない純粋な悪口だと口が動かせなくなっちゃうね」


ニヤッと笑うクロに私は初めて尊敬の念を感じた。


「つまり、このお面をつけてさえいれば、私は会話で困らなくて良いってこと?」


「まぁ端的に表すとそうだね」


「凄い!凄いよ、クロ!これがあれば私は会話に困る事もないんだね!」


「そうさ、しかもこのお面はボクの特別な術でできているから、他の人間はこのお面を見ることはできない。勿論、触る事もね」


化け猫の術というのは想像以上に凄いらしい。このお面さえつけていれば、私はグループ内で上手く話す事ができるのだ。


でもどうしてクロは私にこのお面をプレゼントしてくれたのだろう……


「それは僕の趣味さ」


そんな私の心の声を聞き取ったのか、クロがその訳を説明する。


「ボクは昔からモノづくりが好きなんだ。百五十年も生きていると毎日が暇だからね。ようは暇つぶしさ。で、折角作ったお面だし、誰かこのお面を必要としている人にあげちゃおうかなって思ってね。そして君はまさしくこのお面を必要としている人だった。だからボクはこのお面を君に渡したんだ」


「このお面の代金として魂が取られたりしないよね……?」


「勿論!ボクは理知的で心の優しい猫だ。これは無償であげるよ。そもそもこれは僕のただの趣味だからね」


「ありがとう、クロ。早速使ってみるよ!」


「そうだね、明日学校に行く時に使ってごらん。用も済んだ事だし、僕はもう帰る事にするよ。またね、恵美」


「またね、クロ」


挨拶を返すと、クロ達は路地裏の奥へと去っていった。私も沈黙に包まれた路地を後にして、嬉々として家路についた。


………


「朝か……」


心なしか目覚めが良いような気がする。いつもは目覚ましを3回鳴らさなければ起きないのに、今日は目覚ましがなくても起きることができた


それは期待によるものなのだろうか。


「うーん」


私は大きく伸びをして枕元に置いた猫のお面を見る。


「やっぱり信じられないよね……」


改めて考えると、昨日のことはにわかには信じ難いし、もしかしたら夢を現実のことと勘違いしていただけかもしれない。でも、このお面が昨日のことは実際に起きた事であったと雄弁に物語っている。


「これがあれば私は……」


私は皆と上手く関わることができる。皆から嫌われずに済む。ひとりぼっちにならなくて済む。


今の心は新しい玩具を買って貰った子供と同じだ。朝の準備を終えた私は、溢れんばかりの期待を胸に玄関から飛び出した。


……


キーンコーンカーンコーン


4時間目の終了を知らせるチャイムが鳴る。果たして今日の成果は……


「全然ダメだ……」


はぁとため息をついて机に寄りかかる。結局いつもと変わっていない。というか一日で周りの反応が変わるという考えが甘いのか。私はやさぐれた気持ちで机の上に置いていたお面を付け直す。視界が狭くなるので、授業中は外して置いたのだ。


「でも、誰にも見えないんだよな……これ」


猫のお面をつけながら歩くという、側から見れば気狂いとしか思えない行動をしても、誰も突っ込もうとしないのが何よりの証拠だ。


ただ、最初はいくら〝このお面は誰にも見えない〟と説明されても、私は簡単に信じることができなかった。自分には問題なく見えるお面が他の人には見えないというのが直感的に理解できない。


お面をつけながら話しても誰もそのお面に気づかない。自分が見えているものが他の人に見えないということに今でも強烈な違和感を感じる。


「それにしても会話合わなかったな……」


こればっかりは仕方のない事だが話題が合わないと話に入ることができない。それに、もう私は仲間はずれにされているのかも知れない。私はモヤモヤした気持ちで今日の苦い朝を振り返る。


……


今日の朝、私は〝いつメン〟の3人でいつも通り話をしていた。


「でさぁ、昨日行った遊園地だけどさぁ……」

「マジでヤバかったよね! ジェットコースター凄かった!」


「これ、遊園地で買ったキーホルダー?」


いつもなら見ればわかるような事は口にしないが、お面が勝手に口を開かせた。この場ではそう言ったほうが良いのだろうか。


「そう、これはお土産屋さんで買ったの!」

「お土産屋さんでめっちゃ並んだよね〜」


「このキーホルダー可愛いね。センスあるよ」


またお面が反応した。個人的には〝可愛くはなくない?〟と突っ込みたかったけど。


「で、さっきの話の続きなんだけどさぁお化け屋敷マジで怖くなかった?」

「ね、怖かった。怖すぎて悲鳴あげちゃったよ」

「でも、洋子ちゃん勇気あるよ、暗い中堂々と進んでたし」

「そんな事ないよ〜」


「……」


ダメだ。会話に入るべきタイミングがない。というか私抜きで話そうとしているようにも感じられる。そもそも遊園地に行こうなんて私は一言も誘われてない。私はこの〝いつメン〟の一人なのに。もしかしたら私はもう、〝ギリギリゾーン〟ですら無くなったのかもしれない。


「あ、そういえば恵美、誘わなくてごめんね?」

「まぁ、恵美ちゃんは日曜日に塾があるもんね」

「仕方ないよね」


嘘ばっかり、と私は思う。絵里も日曜に塾があるはずだ。それでも絵里は誘って貰った。私は仲間はずれにされているのだ。


「また今度機会があればね」

「そうだね」


「う、うん……」


私はふと横を向く。教室では一人の女の子がポツンと席に座って寂しそうに本を読んでいた。


「穂花……」


私は誰にも聞こえない程小さな声で彼女の名前を呟く。彼女の物悲しい姿がいたたまれなくなり、私は穂花から目を逸らす。


私たちのグループは元々5人だったのだ。そのうち、二人がグループから消えた。その中の一人が穂花だった。穂花は少し捻くれている私から見ても、優しくて大人しい子でクラスの皆とも仲が良かった。洋子とは小学校時代からの親友だったらしい。


今年の秋までは。


穂花は何も悪くなかった。強いて問題点を挙げるなら、穂花が可愛かった事だ。九月のとある日曜日に、穂花がサッカー部の湊くんとデートしているところをクラスメイトに発見されてしまったのだ。瞬く間にその情報はクラスの皆に共有され、当然洋子もその事を知る事になった。


運が悪い事に、洋子は湊くんのことが好きだったのだ。洋子は穂花と絶縁した。

そして、穂花はグループから仲間はずれにされた。更に運の悪い事に、湊くんが好きな女子は沢山いたのだ。多くの女子の恨みを買い、穂花はクラスの皆からも仲間はずれにされるようになった。


この日から、今までクラスの中心にいた穂花は消えてしまった。でも、クラスは元から穂花など居なかったように回り始める。


次は、私の番かも知れない。


……


そんな朝の回想に浸りながら手を洗っていると、洋子達が話しかけてきた。最初は、最近のドラマなどの他愛のない話をした。だけど洋子は不機嫌そうに口をつぐんだままだ。


「ねぇ、洋子。どうしてさっきから黙っているの?嫌なことでもあったの?」


絵里が心配そうにし、洋子ははぁとわざとらしいため息を吐いてから口を開いた。


「湊くん、転校しちゃうんだって……」

「本当に? どうして?」

「親の転勤だって。隣町に引っ越すらしいよ」

「そっか……でも、洋子って湊くんのこと好きだったよね?」

「……」


突然の沈黙。洋子の無言に押されて絵里はたじろぎ、失言を後悔したのか、洋子をフォローしようとする。


「で、でもさ!これで会えなくなるって決まったわけじゃないし……まだ告白したりするチャンスは」


「全部、穂花のせい……」


小さな声で洋子がボソッと呟く。まるで大きな恨みと嫉妬を乗せたような、いつもの陽気な声とは打って変わった、ドスの効いた声。


私はその自分勝手で支離滅裂な思考に驚愕した。


湊くんが引っ越す理由は親の転勤。そして、湊くんと仲良くできなかった事は洋子の責任。そこに穂花の入る余地はない。それを責任転嫁して人を責めるなんて言語道断だ。


「穂花のせいって……穂花は何も悪くないでしょ!」


危なかった。いつもならそう叫んでいたかも知れない。でも、今の私は魔法のお面をつけている。


「そうだよ、穂花が湊くんと付き合っていたからだよ。穂花が洋子から湊くんを引き離したんだよ!」


私の口は私の心の声とは真逆で、甘い言葉を洋子に囁いた。


「そうだよ、全部穂花が悪いんだよ」


絵里も私に合わせて穂花を責める。あまりにメチャクチャな理論だ。絶対におかしい。でも、そう口にすることはできない。


「本当にムカつく……」

「昔から穂花って調子に乗ってたよね」


私の口は止まらない。


「穂花と友達になったのが間違いだったんだ、それだからアイツは自分がクラスの中心人物だって勘違いして良い気になって!」

「わかる、穂花ってなんか浮かれたよね。調子乗ってるって感じ」


止まらない。


「だいたい穂花って昔から何か読めなかったし。どうせ裏で猫を被って湊くんを誑かしてたんだよ!!」

「そうだよ、何か人を騙してそうな顔してるし」


止まらない。


私は絵里を置き去りにして、洋子に合いの手を入れる。何て酷い会話。被害者ぶっている洋子はただ、好きな子を手に入れられなかった悔しさを八つ当たりしているだけだ。そして、私と絵里はそれにハイ、ワカルヨ、ソウダヨネとロボットのように合いの手を入れるだけ。


「あー、マジでムカつく……」


興奮して捲し立てたせいか、洋子ははぁはぁと荒い息をつく。そして、少し間を置き、唐突に口を開いた。


「あのさ、恵美」

「何?」

「いつもの恵美なら全然話に乗ってくれないと思ってた」

「うん……」


だけど、と洋子は続ける。


「今日は恵美と話してて嫌な気持ちにならなかった。少し変わった? 恵美」


本当に!?


私は心の中で大きな声で叫んだ。本当に微々たる変化のように感じられているのかも知れない。一度きりの会話でいきなり仲良くなるわけでもない。でも、少なくとも変化を認められたのだ。


「凄いよ、このお面!!」


私はクロに盛大な感謝をした。先程感じた罪悪感も初めて上手くコミュニケーションができた喜びにかき消されていた。


……


「どう? 昨日買ったこのシャーペン」

「可愛いじゃん! センスあるね」

「そう?」

「そうだよ!」


……


「ねぇ、社会のサト先ってウザくない?」

「うざいよね、何か仕草一つ一つが高圧的っていう感じ」

「だよね〜」


……


「隣のクラスの結奈って何であんなにモテてるんだろう、あんな奴、ただあざといだけじゃん」

「それは男子の見る目がないだけだよ。結奈は男子に媚び売ってるからね、私は洋子の方が可愛いと思うよ」

「そんな事ないよ、私なんかより恵美の方が可愛いよ〜」


……


お世辞にも決して楽しいとはいえない会話。愚痴を聞くか、お世辞を言うかがほとんど。でも、ここ一ヶ月で洋子とうまく関われている気がする。前とは異なり、一緒に買い物に行こうと誘われることもあった。また、心なしか洋子だけでなく、クラスの皆と上手く関われている気がする。


洋子たちのSNSの投稿をチェックするのが面倒だが、そればっかりは仕方ない。会話がうまくできるようになっただけで大収穫なのだから。それに満足せずにタラタラと不満を言うのはあまりに贅沢者だろう。


でも、何なのだろうか。この満たされてない感じは。


そんな事を考えながら、私は二階の自分の部屋に向かった。クロと会ってから一ヶ月。洋子たちとの関係は変わっても、塾の帰りが十時をすぎるのは前と違って変わらない。


「あ、クロ! 何でここに……」


部屋に入ると奥の窓にクロがちょこんと座っていた。開いた窓から、部屋には夜風が入り込み、満月に照らされているクロがどこか神秘的に見えた。


「お面を上手く使えているか知りたいと思ってね。どうかな? 友達と上手くやれてるかい?」


「うん、クロ。上手くやれてるよ。最近は洋子たちと上手く話せてるし、遊びに行ったりもするんだ」


「それは良かったね、ボクも作った甲斐があったよ。でも、実は他に話すべき事があるんだ」


いつもは飄々とした態度のクロが、らしくない真剣な態度をしている。


「それは?」


「それは忠告だよ」


「忠告……」


「そう、忠告。〝猫パンチ〟が集めた情報によると、この街の学生が別の化け猫から力をもらったらしいんだ」


「つまり、私みたいな子ってこと?」


「そうだね。でも、普通に力を貰っただけなら、わざわざここに来て忠告をしに来たりしないよ。厄介な事に、その力を貸した化け猫は〝過激派〟の又吉なんだ……」


「〝過激派〟の化け猫って……前にクロが言ってた人を襲う化け猫のこと?」


「その通り。又吉は有名な〝過激派〟さ。ここ六十年ぐらい大人しくしていたのに、最近また暴れ出したんだ……」


「それで、どうしてその又吉はこの街の学生に力を貸したの?」


「きっと又吉はその子を利用しようとしているんだ。きっと又吉はその子の願いを叶えると嘘をついて、周りの人間に危害を加えようとしている」


「どうやって?」


「それはボクにもわからない。だから、警戒してほしいんだ。どうも恵美の学校の生徒である可能性が高いんだ。詳しいことがわかったらまた教えにくるよ。またね」


「ねぇ、待って……」


まだまだクロに聞きたいことが沢山あった。だが、私が口を開こうとした寸前に、クロは一瞬で消えてしまった。


「〝警戒〟か……」


一人残された部屋の中で、私はクロの言葉を反芻する。そう急に言われても、あまりピンとこない。この街に化け猫の力を持っている人がいるとして、私は何をするべきなのだろうか。〝警戒〟だけでは具体的に何をすれば良いのかわからない。第一、その人物が私を襲うと決まったわけでもない。


「まぁ、深く考えても仕方ないか」


私はクロの言葉をあまり気に留めずに寝床についた。


……


「えー、この式にx=4を代入する事でy=3√3とわかるので……」


今は数学の授業の時間。私はノートを広げながらもおじいちゃん先生の小難しい数学の授業を聞き流していた。数学の授業は退屈だ。計算なんて、算数さえできれば無問題だと思う。数学を勉強する意味なんて感じられない。ペン回しにも飽きたので、私は退屈凌ぎにここ最近を振り返る。


相変わらず変わらない日々。一応クロの言った通り〝警戒〟してみても、その人が身の回りにいるような気配もない。洋子が悪口を言って、私がその相手をする。それは変わらない。ただ、一つ変わった事があるとすれば、湊くんが昨日引っ越したことだ。


お別れ会の帰り、もう湊くんと会えなくなる事への不満と穂花への恨み言を、ぶつぶつ呟く洋子を慰めながらも、〝本当に可哀想なのは穂花だよ〟と思っていた。彼氏が急に転校する挙句、お別れ会にすら出席できないのは誰よりも可哀想だろう。


「はあぁ」


私はこめかみを軽く押さえる。少し頭が痛い。ここ最近しばらく頭痛が続いている気がする。


「ねぇ、恵美って最近疲れてない?」


親やクラスメイトにそう言われるようになった。クロから貰ったお面さえあれば、洋子たちと上手く関われるようになって、ストレスもなくなるだろうと思っていた。でも、洋子たちと上手く関われるようになっても、ストレスは全くなくならない。


でも、前よりはマシ。そう、前よりはマシであるはずだ。仲間はずれにはならないのだ。


仲間はずれは怖い。誰とも関われないのは怖い。もう転校した花田ちゃんも、穂花も仲間はずれになった子は寂しそうな、浮かない顔をしていた。私はそうなりたくない。そう、仲間はずれは怖い。


でも、そうやって言い聞かせてるだけじゃ……


「ねぇ、恵美ちゃん。鉛筆貸してくれる? 筆箱が見つからなくて……」


私の思考を遮るように、隣の席の穂花が困った様子で私に話しかける。穂花はキョロキョロとなくなった筆箱を探していた。〝洋子だ〟、私はそう直感し洋子の席を見る。予想通り、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべて洋子は筆箱をヒラヒラと振っていた。


私の心で怒りの炎が燃え上がる。


〝おかしいよ。こんなのただのイジメだよ!〟 私の心はそう吠える。こんなのおかしい。正しくない。でも……


〝今、私は洋子に見られている。ここで鉛筆を貸したら、折角積み上げた洋子への信頼が崩れちゃうかもしれない〟


〝信頼が崩れるのは一瞬。そうしたら、仲間はずれになるかもしれない……〟


〝仲間はずれは怖いよ……〟


仲間はずれは、やっぱり嫌だ。


「ごめん、穂花。貸せない」


「そっか……」


穂花は悲しそうな目で私を見つめる。穂花が私をそんな目で見るのは鉛筆を貸さなかったからじゃない。何故なら……


「でも、前は貸してくれたよね……」


「……」


私は沈黙する。きっと、穂花は気づいているのだ。私の態度が変わった事に。お面を貰う以前、私は仲間はずれの穂花が可哀想だからとよく話しかけていた。もしかしたら、その事も洋子が私をよく思わなかった一因なのかもしれない。


そう思った私は、穂花と関わるのをやめた。廊下ですれ違う時、列に並ぶ時、授業中の会話は最小限に。必要以上に優しくしない。そういった態度に勘のいい穂花はもう気づいているのだろう。


「恵美……」


「……」


「変わったね」


そう言った後、穂花は前を向いて私に話しかけるのをやめた。


〝変わったね〟


その言葉が、唇の動きが、私を見つめた時の眼が、全て私の心に引っかかる。〝変わったね〟 その言葉は、洋子が言った言葉と全く同じだった。だけど、その言葉に込められた意味は全く違うものだとわかった。


授業が終わり、私は気を紛らわせる為に、会話に夢中になろうとした。


それでも


〝変わったね〟 その言葉は私の中でこだまみたいに、何度も何度も反響した。


……


「でさぁ、あの時の穂花ときたら……」

「本当にみっともなかったよね!」

「ほんと、わざわざ筆箱盗んだ甲斐があったな〜」


帰り道、私はいつも通り洋子達と話しながら歩く。


「ねぇ、恵美。体調悪いの? さっきからずっと黙ってるけど……」


「心配しないで、絵里。ちょっと考え事してただけ」


さっきから私は何も話せていない。話そうとする気力が湧かないのだ。私は何気なく歩道の横を見る。


そこには花が咲いていた。でも、とても美しいとは言えない花。小さいが、ラフレシアのように毒毒しく派手な色合いをしていた。


「不思議な花……」


私はその花をよく見ようと近づいた。その瞬間、


「うわっ!!」


花が突然ピカッと光り、私は思わず目を瞑る。一体何が起きたのだろうか。目を開けた時、私は路地裏にいた。何が起きたのか理解できない。一秒前まで、私は歩道を歩いていた。でも、今は路地裏にいる。


「え、何? 何が起きたの!」

「ワープ? さっきまで違う場所にいたのに!」


明らかに動揺した声が聞こえ、振り向くと洋子たち二人もこの路地裏に飛ばされていた。


きっとこれは転移だ。いわゆるワープ。一瞬わからなかったが、この路地裏は私がクロにお面を貰った路地裏だ。決して不思議な世界に飛ばされたわけでも、海外に飛ばされたわけでもない。でも、一体どうして……


コツコツ


足跡が聞こえ、私は路地裏の奥を見る。


「穂花……」


そこに現れたのは、穂花だった。無言のまま私たちに近づく姿は、どこか不気味で私は何故か不吉な予感に襲われた。


「ねぇ? 何であなたがここにいるわけ! ていうか何で私たちがここにいるの!」


「……」


洋子の金切り声を無視して、穂花は俯いたまま沈黙を貫く。いや、無視しているんじゃない。怒りに耐えているんだ。よく見ると、穂花の手はワナワナと震えていた。


「全部……」


穂花は掠れた小さな声で呟く。


「全部、全部! 貴方達のせい!!」


怒りを乗せた大きな叫び声と共に、穂花は私たちに襲いかかる。


「待ってよ、穂花!」


私の叫びも虚しく、洋子のお腹に穂花の拳が吸い込まれる。拳が洋子に当たった瞬間、バチッと拳が黄色く光り、洋子は気絶して倒れた。まさかだが、穂花がクロの言っていた〝又吉から力を貰った者〟かもしれない。だとしたら、この転移や不思議な拳にも説明がつく。でもそんな事より、早くこの危機を脱しないと……


ビリッ


絵里の腕に穂花の拳が掠り、また拳が稲妻のように黄色く光る。ドサっと派手な音がして絵里も膝から倒れた。


「あれは……電気?」


黄色くビリビリと光っているのは電気なのだろうか。だとすると、穂花の手はスタンガンのように電気を帯びているという事になる。


絵里と洋子が気絶し、この場に残されたのは私と穂花だけ。


「ねぇ、穂花!話をしようよ!どうして急に私たちを襲うの!?」


「話をしようって……貴方達は私と話すのをあからさまに避けてたじゃない! 何よ! 今更話をしようって……」


穂花は叫び声をあげながら私に襲いかかる。私は拳が体に当たる瞬間を見極めて身体を捻り、即座に距離を置いた。


「何が目的なの! 何をするつもりなの!」


「何をするつもりって……」


穂花は立ち止まって、低く呟く。


「〝復讐〟よ」


「復讐……」


「ねぇ、私がどれだけ苦しんできたかわかってる? わからないよね! 友達も! 話してくれる人も! 湊くんも! みんな離れて、居なくなって!」


「……」


私は何も言えなくなる。わかったつもりになっていた。


「私が何をしたっていうの! 私は何にも悪い事してないじゃない! なのに……どうして物を盗られたり、陰口を言われたりするの!」


「……」


「私が付き合ってることがクラスにバレたから、皆よってたかって湊くんに嫌がらせをして……だから、その後、直ぐに別れた。でも、別れた後も湊くんは嫌がらせを受け続けて、そうして嫌がらせから逃げる為に転勤って嘘をついて引っ越しちゃって……」


「私はまだ、湊くんにお別れすら言えてない!」


絶句した。穂花は私が想像していたよりも、もっと酷い目に遭っていたた。なのに、私はわかった気になっていた。わかった気になって、同情した癖に、私は穂花を無視した。可哀想だ、こんなのおかしい、そう言っておきながら、私は穂花を見捨てた。


自分は正しいんだって言い聞かせて、洋子達に嫌われちゃうからって、こうやって話してるのも私の意志じゃない、このお面のせいだって。そうやって言い訳して、私は洋子との関係が終わらないように、責任と現実から逃げてきた。結局、私は洋子たちと同罪なんだ。


怖いから。仲間はずれは怖いから。そう言って、間接的に穂花のいじめに加担していた。穂花の叫びは悲痛だった。どこまでも悲しい叫びだった。


「私、ね。それでも恵美のことは好きだったの。素直すぎて、時に人を傷つけちゃう事もあったけど、凄い優しくて……そういう誰よりも素直で優しい恵美が好きだったの」


「……」


「でも、恵美は変わったよ」


「……」


「私、どうすればいいのよ! 皆居なくなって! 皆私に冷たくて!!」


「……」


何も、言えなかった。


「わかんないよ……」


穂花は吠え、拳を再び握り締めてやるせない怒りの行き場を求めるかのように私に襲いかかる。


避けられなかった。避ける気力も湧いてこなかった。


身体に電撃が直撃し、身体がビリビリと痺れる。どさりと派手な音と共に私は地面に倒れる。


「うっ、うぅ……」


他の二人と違い、私は意識を失いはしなかった。だけど、身体を自由に動かせない。いわゆる麻痺状態だろうか。


「ごめん……穂花」


私は何とか口を動かす。湿ったコンクリートの嫌な匂いが肺いっぱいに広がる。


「……」


穂花は先程とは違いどこか悲しい目で、地面に倒れ込んだ私を見下ろしていた。


きっとこれが穂花の本心なのだろう。どうしようもない哀しみとやるせなさを怒りで誤魔化しているのだ。


「ねぇ、恵美……」


穂花が口を開いて、私に話しかけようとする。その口は、私に何かを伝えようとしていた。きっと、大事な何かを。


だが刹那、


「おっと、ガキが三人転がってらぁ」


路地裏の塀の上から凶暴で下品な声が聞こえ、穂花は顔をしかめて言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。


「貴方が……又吉……」


私は掠れた声を絞り出す。又吉は茶色で一回り体の大きい猫だった。ふてぶてしい顔と額の傷が、乱暴そうな雰囲気を醸し出している。


「お、俺の名を知ってるのか。ま、知ってたところで地面に這いつくばってるお前には何にもできないだろうけどな」


又吉はそう嘲り、ニヤッと気色の悪い笑みを浮かべる。


「ねぇ、何で又吉がここにいるの? 約束と違うでしょ……」


そう口を開いたのは穂花だ。


「え? 約束だぁ?」


「私に電撃の力と転移草をくれた時に言ったじゃない、〝俺はこの件に一切関与しない。約束する。その代わりに金を寄越せ〟って」


それを聞いて、又吉はガハハと笑う。


「よく言うだろ、約束は破るためにあるって。大体何で高貴な種族である俺が、お前みたいな小娘との約束を律儀に守らなきゃならねぇんだ?」


「なら、どうしてここに……」


「それはお前らを殺す為さ」


〝殺す〟この言葉を聞いて、私と穂花は恐怖に震える。


「殺すって……無理よ。絶対に犯行がバレるから。今の時代は令和よ!昔じゃないんだもの。警察だっているわ!」


「残念だったな。俺はこう見えて頭が良いんだぜ。完全犯罪だって可能さ」


「そんな事はできないはずよ!」


「なら教えてやろうか。どうやってお前らを殺すか」


そうして又吉は淡々と私達をいかにして殺すかの説明を始める。


「ある日お前ら四人が行方不明になる。そして、大人どもは行方不明になったお前らを探す。遅かれ早かれ、三人の死体がここで発見される。そして一人の死体だけが見つからない。そして、そいつはいじめられっ子だ。しかも最近彼氏がいなくなったと言う。大人が調査を続けると、殺された奴の1人はいじめっ子だったとわかる。なら、大人達はこう考えるだろうな。〝いじめられっ子が復讐の為に殺人をした〟と」


「でも、私は殺すつもりじゃなかった!」


穂花が又吉の言葉を否定しようと必死で叫ぶ。


「うるせぇぞ! 次に口を開くと首を折るからな!」


だが、ドスの効いた声で脅されて、穂花はごくりと唾を飲み込んで黙った。


「いいか、そして周りの大人はこう考えもするだろうな。〝いじめられっ子は復讐が終わった後、自責の念に耐えられずに自殺を選んだ〟と」


完璧だ。又吉は最初から考えていたのだ。どうすればバレずに殺すことができるのかを。


「この後、俺はここで三人を殺す。鉤爪で殺せば、ナイフで刺した様に見せられるな。血の付いたナイフでも置いておこうか。そして、お前の死体は山の中に捨てる。そうすればお前の死体は見つかることがない」


「ま、待って……まだ死にたくない。聞いてないよそんなこと。私……騙されたの?」


「そうだ。お前は俺に騙されたんだ」


「何で私達を殺そうとするの! どうして!」


穂花の叫びも虚しく、又吉はニヤッと邪悪に微笑む。


「理由なんてないさ。強いて言うなら、〝楽しいから〟だな」


穂花は顔を真っ青にして後退りする。膝はブルブルと震え、身体から力が抜けていた。


「シャァーッ!!」


通常の猫サイズであった又吉は鳴き声と共に一気に巨大化し、獰猛な顔を見せる。鉤爪はナイフのように伸び、尻尾は3つに分かれた。


「さぁ、まずはお前を殺す!」


又吉は巨大な鉤爪を振り上げ、穂花に襲いかかる。


 動かなきゃ、動いて穂花を守らなきゃ!

私は身体を何とか動かそうと強く念じる。だが、麻痺した身体は全く言う事を聞かない。私が自分の無力さに歯噛みした、その時だった、


「猫パーンチ!!」


シリアスな空気に合わない、ふざけた声が空から聞こえた。


「ガハッ!!」


又吉は頬にパンチを受け、その衝撃で大きく吹っ飛ぶ。絶体絶命のピンチから救ったヒーローは……


「クロ!!」


「待たせたね、恵美。もう大丈夫! 何故って? ボクが来た!!」


「クソ、邪魔しやがって……オラァッ!!」


又吉は巨体でクロに襲いかかる。何倍も、何十倍もの体格差。だが、


「遅いなぁ。君は本気の姿なのに、この姿のボクにすら勝てないのかい」


クロはそれを物ともせずに攻撃を回避する。いや、それどころか又吉を完全にいなし、その短躯からとは思えないほど強烈な一撃を与えている。まさに、〝柔よく剛を制す〟だ。


「舐めやがって……クロ吉!!」


ゼイゼイと荒い息をつく又吉。クロは余裕そうな表情で本気の又吉を圧倒する。両者には、どう足掻いても超えられない壁がある。自分が金縛りにあっている事も忘れて、私は二人の戦いにただ見入っていた。


「悪いけど、もう恵美達に手出しはさせないよ」


「黙れ! お前こそ俺の獲物に手を出すな! ここはお前の出る幕じゃないだろ!」


「ここは恵美に力を貸した、ボクの出る幕なんだよ。さぁいけ、〝猫パンチ〟! かかれぇ〜」


「うにゃーッ!!」


クロの号令と共に空から数十匹の猫達が飛びかかり、又吉を袋叩きにする。


「糞! 小癪な! まだ二百歳にも満たぬ子猫の分際で!」


沢山の猫達に引っ掻かられ、殴られながら腹から絞り出した必死な声で又吉は叫んだ。


「多分、この言葉が君の最期の台詞だと思うよ」


だが、あくまでクロは飄々とした態度を崩さない。クロはアスファルトを強く蹴り、高く跳躍した。


「必殺!急降下引っ掻き!!」


クロは一気に又吉めがけて急降下し、ヒュンと空気を切る音と共に小さな両手をクロスさせてとどめとなる爪撃を又吉の顔に刻んだ。


「う、あぁっ……」


その攻撃が致命傷となり、ぐらりと巨体が揺れた後、又吉は白目を剥いて倒れた。あまりにあっけなく、一方的な戦い。


「す、凄い……」


私はただクロの身のこなしに圧倒されていた。終始クロが圧倒していたのだ。まだクロは本気を出していないのにも関わらず、だ。


もしクロが助けに来てくれなかったら私達はどうなっていたのだろうか。助けてくれた事に、今はただ感謝だ。


「た、助けてくれて……ありがとう、クロ……」


「恵美はまだ麻痺が解けてないから、無理に喋っちゃダメだよ」


そう言うなり、クロは私のそばに座ってブツブツと謎の言葉を呟く。クロの呪文で私の体が薄い青色に光り、麻痺した身体が再び動かせるようになった。


「ねぇ、クロはどうやって私がどこにいるかを知ったの?」


私はよろよろと起き上がり、服を叩きながら疑問を口にする


「〝猫パンチ〟が集めた情報で何とか特定したんだ。間一髪だったけど、間に合って良かったよ」


「そっか……」


「で、君が又吉から力を貰った子か」


「……はい」


クロが穂花の方を向いて話しかけ、穂花は俯きがちに小さくコクリと頷く。


「君は恵美達に危害を加えた。しかも、自らの意志で」


「……」


「本来なら、君はここで罰せられるべきだ。ボクも恵美を傷つけた君を赦していない」


「……」


「でも、これは君たちの問題だ。ボクの出る幕じゃない。恵美が君を赦すかどうかにかかっている。さぁ恵美、君は彼女を赦すかい? 一歩間違ったら殺されていたかもしれないのに、だ」


クロが全ての判断を私に委ねる。なら、答えはもう決まっている。


「私は、穂花を赦すよ」


私ははっきりと穂花に伝える。お面はつけずに、自分の意志で。自分の言葉で。


「でも、私はそんな偉そうな事は言えない。私こそ穂花に赦してもらわなきゃいけないよ。だから、謝らせて。ごめん。穂花、今まで穂花のことを無視してごめん。穂花の悪口を一緒になって言ってごめん。私、わかった気になってた。自分も加害者だってわかってなかった。可哀想だって言うくせに、手を差し伸べられなかった。だから、本当にごめん」


もう言い訳は言わない。お面のせいだとも言わない。お面をつける選択をしたのも、洋子達に合わせていたのも全て私の選択だ。私の選択で、私は穂花を傷つけた。だから、謝らなきゃいけない。


「恵美……本当にごめん。ごめんなさい。私が一番謝らなきゃいけない。私は恵美達を殺しかけた。私がバカだったから、安易に復讐しようとしたから、私のせいで、恵美達は死にかけた。私のせいで……私、殺人犯だよ……」


穂花は目尻に涙を浮かべて何度も、何度も謝罪する。


「穂花……」


「ごめん……本当にごめん」


あたりがしばしの沈黙に包まれる。その沈黙を破るように、クロが口を開いた。


「じゃぁこれで話はついたかな。恵美は君を赦した。だから君は赦される。さて、あそこで気絶している二人の治療も終わった事だし、ボクはもう帰るね。ちなみに、この話が外に広まるとマズいからこの事は黙っててくれるかい?」


「わかった。でも、きっと洋子達は言いふらすよ……」


「大丈夫。あの二人を治療する時に記憶を消しといたから。二人は何があったか覚えてないよ、じゃあね」


そう言うなり、クロは一瞬の風と共にふっと消えた。その場には私と穂花の二人がぽつんと残される。


私達は狐につままれたように、しばらく呆然と突っ立っていた。


「ねぇ、恵美」


「何?」


その沈黙を穂花が破った。


「さっきはわがまま言ってごめんね。本当に馬鹿みたいだったよね。恵美が変わったのが嫌だって。そんなの、仕方ないよね……だって私と関わったら恵美は周りから嫌われちゃうんだもん」


「……」


「別に恵美は好きで私に冷たくしてるわけでもないのに逆恨みしちゃって……もう復讐とか言わないよ。ほんと、馬鹿だったなぁ……」


「穂花……」


ハッと穂花は自嘲気味に笑う。その笑みは、いじめられていた事を憤るのではなく、甘んじて受け入れようと諦めているような自嘲のものに見えた。その笑みを見た時、私の心の中で一つの決心がついた。


このお面はクロに返そう、と。


……


ガチャッ


「ただいまー」


私は自分の部屋の扉を開ける。


「遅かったね、恵美」


やっぱりそこにクロは居た。部屋の窓にちょこんと座り、私の帰りを待っている。


「うん、ただいま。クロ」


「あれ、どうしてボクがここにいる事に驚いてないのかな? 普通ボクがここにいる理由を聞くんじゃないの?」


「さぁね。女の勘ってやつじゃないかな」


「はぐらかさないでよ、悲しいなぁ」


クロは大袈裟に首を振る。でも、クロは私の心の中がわかっているのだ。


「そもそもクロは私の心が読めるんだから話さなくてもわかるでしょ」


クロがこの部屋にいると思った理由は単純だ。クロは私の心の中を読むことができるからだ。私の心の中を読めるクロなら、私が今日感じた心の揺らぎや変化も感じ取っていただろう。だから、再び私の前に現れると思った。


私の選択を聞く為に。


「クロ、私、このお面をクロに返すよ」


私ははっきりとクロに伝える。想像通り、クロは驚いた顔や不服な顔を全くしなかった。ただ、「本当にいいの?」と言いたげな顔でクロはニヤッと笑う。


「本当にいいのかい? 君は友達との会話に困っていた。そして、このお面のおかげで上手く関われるようになった。それは事実だろう? どうして返そうとするのかな?」


「確かにお面のおかげで洋子達と上手く関われるようになったよ。でも、これじゃダメなんだよ。私がそうありたい、って思う私にはなれないから」


「つまりどう言うことだい?」


「私、周りに合わせて人を傷つけなきゃいけない友達関係なんて嫌なの。そんなの間違ってる」


「でも人と関わる上で、〝皆仲良く〟なんて出来っこないって君もわかっているだろう? それに、仲間はずれが怖いんじゃなかったのかい?」


「皆仲良くなんて出来っこないよ。だから、私は〝皆〟の方につくのをやめる事にした。仲間はずれは今も怖いよ。でも、何にも悪くない一人を犠牲にして無視しなきゃいけないのはもっと怖い」


「綺麗事だね。仲間はずれは大変だってわかってるはずなのに、君は正義感の方を優先させるんだね」


「別に正義感みたいなカッコいい感情じゃないよ。私は弱いし、臆病者。だけど、そういう空気が合わないだけ。私はそういうタチなんだよ」


クロはいまいち感情の読み取れない真顔で私の目をじっと見つめる。クロが私を試そうとしているようにも思えた。


「私は間違ってた。仲間はずれが怖いって言って自分の良心に蓋をしてた。私はこのお面を通して、物理的にも他人にもそして、自分の心にも猫を被っていたんだよ。だから返すよ、このお面。もう猫を被らなくてもいいように」


私をじっと見つめるクロの吸い込まれそうな深い金眼から目を逸らさずに、私は正直に自分なりに本音を伝える。


「そっか。なら、ボクは恵美の判断に従うよ」


私の心が伝わったのか、しばしの沈黙の後、真顔だったクロは穏やかな笑みを浮かべた。


「それが恵美の選択なら、ボクはそれを妨げる権利を持たない。それに、ここまで考えた上での決断ならきっと上手くやっていけるさ。さて、これで用は済んだ事だし、ボクは帰るとしよう。ありがとう、恵美。君のおかげで久々に楽しい経験ができたよ」


そう言って、クロはお面を咥えて受け取る。


「私こそありがとう。クロのおかげで大事なことに気がつけたから」


「そうか。君の力になれたのなら嬉しいよ。じゃぁ、ボクは帰るね。それじゃ……」


「待って!」


私はもう帰ろうと外に飛びかけたクロを呼び止める。


「クロが私の名前をなんで知っているのかずっと気になってたの。最初はそれも化け猫の力なのかなって思ってた。でも、穂花や洋子の名前は知らなかったから、もしかしたら一度会ったことがあったかもしれないってずっと思ってたの。それに、クロの顔に何か見覚えがあった気がして……もしかして、クロってあの時の……」


「これが少しでも恩返しになったのなら良かったよ、さよなら」


「ねぇ!」


私の呼び止めも虚しく、クロは窓から飛び降り、夜の街へと溶けていった。


「クロってやっぱりあの時の……」


だが今となっては確かめる術もない。私はただ窓の外を、クロが消えていった夜の街をただ眺め続けた。


……


このことが少しでも恵美の力になったのなら、ボクは純粋に嬉しい。ボクは夜の街を駆けながらそんなことを思う。恵美とボクの最初の出会いは恵美が小学校一年生の時だ。


あの日、虎吉との戦いで苦戦したボクは、なんとか勝利したものの、霊気を使い果たして動けなくなっていた。〝猫パンチ〟も虎吉の部下と戦っていて、すぐに駆けつけられる状態ではなかった。霊気も使い果たし、傷だらけで、至る所から出血したボクは、ただ震える事しか出来なかった。


そんなボクを助けてくれたのが恵美だ。恵美は道路の端でぐったりとしていたボクを見つけて、健気にも駆け寄ってくれたのだ。


「猫ちゃん、大丈夫? 今お水持ってくるね」そう言って恵美はよちよちと公園から水を汲んできてくれた。ボクはこの水を少しずつ飲んだ。水を飲み、一息つくと体が一気に楽になるのを感じられた。


「大丈夫? そうだ! 今ウインナー持ってくるね」


恵美は家から幾つかの食べ物を持ってきてボクに食べさせてくれた。恵美のおかげで、ボクは命をつなげたのだ。その後〝猫パンチ〟と合流して、なんとかボクは回復することができた。生死を彷徨っていたボクを助けてくれた小さな生命に、ボクは恩を返さなければならない。


だから、その日からボクは恵美を陰ながら見守るようになった。そして、恵美は歳が上がるにつれて周りとの会話に苦労しているように感じられた。


恵美は優しい。誰よりも親切で正義感が強い。そんな恵美が苦しんでいるのはボクも心苦しかった。


ボクはそんな恵美を助けたいと思った。


だから、機会を伺ってボクはこのお面を恵美に渡した。又吉の件もあって、予想通りにことが進んだわけではない。それどころか良かれと思って作ったこのお面も、結局逆効果だったみたいだ。


「でも、恵美は吹っ切れた顔をしていたな……」


ボクの力が必要ないくらい恵美は、強くなったのだろう。きっとこの先、恵美一人の力で障壁を乗り越えて行くのだろう。


「幸せになってね、恵美」


ボクは家々の屋根を颯爽と駆け、夜の街に溶けていった。


……


私は穂花の机に近寄る。穂花は暗い顔で本を読んでいた。私は勇気を振り絞って穂花に話しかける。


「ねぇ、穂花。前もこの本読んでたよね。折角なら、一緒に図書館に行かない?」


「……!」


穂花は目を丸くして私を見つめる。


「でも……恵美には洋子も居るし、それに私に話しかけたら……別に、無理して気を使わなくても」


「いいよ、とにかく一緒に外に出ようよ」


私は笑顔で穂花に手を差し出す。


「いいの、本当に?」


「いいよ、全然!だって私から誘ったんだよ」


穂花が花のような笑みを輝かせる。穂花に暗い顔は似合わない。だって、笑顔の穂花はまるで天使みたいに可愛いから。


「わかった、じゃぁ一緒に行こっか」


そう言って穂花は席を立つ。


「うん!」


私は穂花の手を取って教室の外に飛び出す。暖かな陽光が、私達の背中をそっと押しているような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫を被る unknown K @unknownk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ