「はじっこさま」が呼んでいる。

坂神京平

第一章「小杉悠斗」

01:旧校舎の殺人

 冬柴ふゆしば玲司れいじが死んだ。


 九月下旬のことで、学校祭が前の週に終わったばかりの時期だ。

 冬柴の死は、個人名こそ伏せられたものの、テレビで報道番組に取り上げられて、随分ずいぶん話題になった。理由は彼が高校二年生で、まだ一七歳という若さだったから、というだけじゃない。

 そこに事件性が疑われ、しかも遺体が異様な状況で発見されたせいだ。


 冬柴は生前、僕と同じく鐘羽かねばひがし高等学校に通う生徒だった。

 藍ヶ崎あいがさき市でも有名な伝統校で、敷地の端に旧校舎がある。

 現在の校舎は三〇年近く前に建てられたものだが、それ以前に使用されていた建物だ。解体の費用がかさむ事情などもあり、取り壊されず当時のまま残されている。

 その旧校舎一階の廊下で、冬柴は物言わぬ姿となって見付かった。



 遺体の第一発見者は、生徒会役員の女子だったと、生徒間の噂で聞いている。

 学校祭で使った生徒会の備品を、旧校舎内に置き忘れ、放課後に立ち入ったらしい。

 薄暗い建物の中を、奥の教室に向かう途中で、仰向あおむけに倒れている玲司と出くわした。

 衣替えしたばかりの制服を身にまとったまま、明らかに絶命していたそうだ。


 女子生徒は、ひと目見て気分が悪くなり、卒倒しそうになったという。

 思い掛けなく遺体を発見しただけでも、かなりの動揺を感じただろうけれど、おそらく冬柴のそれは見た者に強い恐怖を抱かせずにおかないものだったと思う。



 なぜなら遺体には、胸部から腹部に掛けて、「×バツ」の字型の深い傷が刻まれていたからだ。


 詳細に言い直せば、遺体には右肩から左脇腹に掛けて斜めに走る大きな傷と、左肩から右脇腹に掛けて斜めに走る大きな傷とが、胸の上で交差するように存在していた。

 着用していた制服も、ジャケットやワイシャツが無残に切り裂かれ、体内から流れ出した血液で、生地が赤黒く染まっていたようだ。開いた傷口からは、肉や骨の色が覗いていた他、多少の内臓がこぼれ落ちていたらしかった。


 解剖で切断面を検めた結果によると、傷口が鋭利な、大振りの刃物で刻まれたものであることは、たしからしい。

 警察の発表によれば、死因は失血性ショック。無論「×」字型の深手が致命傷だ。


 ただし、いまだに凶器は発見されていない。日本刀や大魚を解体する包丁、または草刈り鎌のようなものと見立てられたが、推断の域は出ていなかった。



 さらに不可解なのは、死亡推定時刻が遺体の発見される僅か一時間前だったことだ(!)。

 事件発覚の当初、まだ死後硬直ははじまっておらず、肌に冷たさも見て取れなかったという。

 すでにその日の授業はすべて終了していたものの、まだ校内には生徒が残っている時間帯だ。旧校舎に近付く人物は平時から少なく、当時誰が出入りしていたかは把握するのが困難だったにしろ、非常に大胆な犯行と言えるだろう。

 にもかかわらず犯行に関する目撃証言は、ひとつとして得られなかった。


 現場周辺では指紋や毛髪も採取されたようだが、個人の特定に至っていない。

 これまでは誰でも自由に立ち入れる場所だったから、容疑者を絞り込むのが困難なのだろう。また現在主に使用されている校舎と異なり、防犯カメラの設備もなかった。



 ちなみに遺体の顔は、両目が見開かれ、驚愕の表情を凍り付かせていたそうだ。

 深手を負った苦痛より、自分を襲ったものに対する意外性の方が、死の間際にも勝っていたのだろうか? 


 いずれにしろ冬柴の遺体を見付けた女子生徒は、気丈だった。

 これほど異常な現場を目の当たりにし、衝撃を受けながらも、まずはスマートフォンで友人に連絡して、職員室から教員を呼び出してもらったのだから。

 そうして、ほどなく他の生徒と教師が旧校舎へ駆け付け、事態を警察に通報した――……




     〇  〇  〇




「まさか玲司くんがあんなことになるなんて、これまで想像もしなかったな」


 クラスメイトの琴原ことはら莉音りおんは、音楽的な声音でつぶやいた。

 かたちの良い唇の隅には、うれいを帯びた微笑が浮かぶ。


 鐘羽東高校の中庭で、僕と琴原はベンチに並んで腰掛けていた。

 ここで昼休みにくつろいでいる生徒は、案外多くない。秋が深まった最近だと、晴れの日でも少し肌寒いから猶更なおさらだ。でも不人気なこの場所が、莉音は気に入っているという。僕はそれを、去年の今頃に知った。

 もっとも先日まで、いつもベンチで琴原の隣に腰掛けていたのは、僕じゃない。

 その座を占めていたのは彼女の亡き恋人で、やはりクラスメイトの冬柴玲司だ。



「正直なところ、今日は琴原に声を掛けようかどうかで、かなり迷った」


 僕は、横目で琴原の反応をうかがいながら、恐る恐る言った。

 我ながら姑息だけれど、普段通りに会話する度胸はない。


「冬柴の件で余計なことを言えば、琴原を傷付けかねないと思ったから。いや今も自分が、君と間違ったやり取りをしていない、っていう自信はないんだけれど……」


「優しいね小杉こすぎくんは」


 琴原は、左右の手の中で、無糖の紅茶缶を転がしながら言った。

 容器越しに伝わる中身の温もりで、指を暖めているようだった。

 はかなげな瞳は、目の前の何もない空間を見詰めている。


「玲司くんが急にいなくなって、もちろん何も感じていないっていうことはないよ。でもだからって、泣いて暮らせばいいとも考えていないから。こうして学校だって、またはじまっちゃったんだし」


 僕は、そうか、とだけ言って、うなずいてみせた。


 鐘羽東高校の授業は、本日一〇月一日から再開している。

 事件後の休校期間は、然程さほど長くなかったと思う。いまだに冬柴玲司を殺害した犯人は捕まっていないが、そういつまでも教育機関としての役割を果たさずにいるわけにもいかないらしい。


 ただし遺体の第一発見者である女子生徒をはじめ、事件発覚当時に旧校舎へ立ち入った関係者については、今後特別なカウンセリングがほどこされるようだった。

 我が二年一組に関しても、級友を喪失した影響から、何某なにがしかのケアが必要な生徒が現れた場合に備え、しばらくは臨床心理士による経過観察が予定されている。

 また今月中旬に予定されていた生徒会役員選挙は、一ヶ月先へ延期された。



「改めて思い返してみると、玲司くんって変な男の子だったな」


 琴原は、尚も両手で紅茶の缶を転がしていた。


「なんで玲司くんは、私と付き合おうなんて思ったんだろ……」


 たしかに冬柴は、少し変わった男子生徒だった。しかしそれは否定的な意味じゃない。要するに彼は同級生の中でも、かなりユニークな存在だった。

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