微分積分いい兄貴分シャーク
よるめく
第1話
ニート先生が椅子から転げ落ちた。それが崩壊の始まりだった。
「ニー先!」
トドオカは持っていたシャーペンを放り投げ、仰向けになったニート先生を助け起こす。彼の顔は青ざめ、瞳は生気を失っている。さらに頭上の炎はなんか加藤茶みたいな形になりつつある。深刻な状態であった。
「ニー先、しっかりせぇ! まだ第一問目やないか!」
「と、トドオカ……さん……」
ニート先生が息も絶え絶えになりながら紙を差し出す。それは白紙の回答用紙だ。
彼は問題を解けないどころか、解答のとっかかりさえつかめなかったのだ。
完全敗北である。
ニート先生は死んだ。
「ニー先! ニーせぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
「ブークスクス! まったく、情けない弟分だ!」
トドオカの頭上から声が降って来た。顔を上げると、そこには知的な眼鏡をかけ、ワイシャツとベストに袖を通した二足歩行のサメがいた。
このサメこそが、この窮地の元凶である。トドオカはレモン50個をまとめて噛み潰したかのような表情をした。
「貴様……ッ!」
「反抗的な目をするんじゃねぇ―――ッ!」
サメのハンマーがトドオカの頬に叩き込まれた。鈍器のフルスイングはトドオカを空中錐もみ回転させてひっくり返す。
トドオカの隣の席で頭を抱えていたぴのこが我に返り、立ち上がった。トドオカの背中が床に叩きつけられる。
「ぐはぁっ!」
「トドオカさん! クソ、この精神異常数学ザメ、トドオカさんになんてことを!」
「なんてことをじゃねーぞ弟分がァ!」
「えべれすとッ!?」
サメの投げたハンマーがぴのこの鼻を撃ち抜いた。
鼻血で虹を描きながら仰向けにひっくり返ったぴのこ。サメは尾びれで歩きながら定規で机をひっぱたく。
「甘えてんじゃあねえ! いいか、将来数学なんて使わねーとかナメたこと言ってるからこんな目に遭うんだ! 弟分がそんな体たらくじゃあ、兄貴分の俺が恥を掻くんだよ!」
「兄貴分じゃねえ……!」
「せからしか!」
口答えしたぴのこの腹にサメのダンクシュートが突き刺さる。
腹を押さえて悶絶するぴのこ。死に体となった三人を前に、サメは黒板を指し示した。そこには数学の問題文が!
「 𝑓(𝑥)=𝑥3−6𝑥2+9𝑥+1の極値を求めよ! こんなの数学ⅢCの入門編だろうが! なのにお前らと来たら! こうなったらそのイワシの稚魚も入れねー小さい脳みそをザトウクジラよりもデカくしてやるからな! 幸せだなぁ弟分! こんな兄貴分を持ててよぉ!」
そう言いながら、サメは左右のエラにビニール袋を押し当てた。中身は帰化したエナジードリンクである。エナジードリンクとフカヒレの相互作用により、このサメは怪異となったのだろう。
ぴのこは寝返りを打ち、仰向けで腕を組んでいるトドオカに向かって問いかけた。
「トドオカさん……どうして、こんなことになっちゃったんでしょうね……」
「知らんわ」
トドオカの回答はシンプルだった。
そう、トドオカたちはいつものように、みかじめを払わない金魚をコンクリートに詰め込んで、見せしめとして大量のコーラを飲ませる拷問を行っていた。
そこへ現れたのがこのサメ、“微分積分いい兄貴分シャーク”と名乗る謎の存在だった。このサメはトドオカたちを一方的に弟分扱いし、学校教室のような異空間に閉じ込め、数ⅢC微分積分の問題を解くように強要してきたのである。
「ハァ、ハァ……一体どれだけ……どれだけの時間、ノーヒントで微分積分をやればいいんだ……俺のラーメンゲージはもう担々麺色ですよ……! トドオカさん、俺はもうダメかもしれない……!」
「泣き言を言うなァーッ!」
うわごとのように弱音を吐くぴのこに、サメがドリルスピンキックを叩き込んだ。
ぴのこの胃袋に衝撃が走る!
「ぐっ……おげえええええええええええ!」
ぴのこの口から大量のカップ焼きそばが雪崩を打って現れた。仕事のために無理をしていた代償だ!
サメはぴのこの腹の上で飛び跳ねながら罵声を上げる!
「そう、そんな感じだぴのこ! お前の腹からカップ焼きそば10万円分があふれ出した! これが積分ってことだ! つまりお前がカップ焼きそば10万円を一度に食べればそれは大体微分ってことだ! これが微分にして積分! 体で覚えたな! さあ解け!」
「む、無理です……! ラーメンが……ラーメンが足りなくて……」
「甘ったれるな弟分! お前が微積をマスターするまで
「そんな……!」
ぴのこが上げる絶望の声を聴きながら、トドオカはタバコを吸った。
ぴのこの腹に10万円分のカップ焼きそばを詰め込めば微分。それを解放すれば積分。体で覚える。トドオカは脳内でサメの理論を復唱する。
トドオカには数学などわからない。彼は高校に入学すると同時に卒業証書を受け取った。大学も同様だ。数ⅢCなどトドオカには不要だったのだ。
つまり圧縮すれば微分で解放すれば積分ということだ。
「なるほど……大体わかったで」
「何ッ!!」
サメが目を輝かせてトドオカの方を振り返る。
トドオカは起き上がり、サメにサムズアップをしてみせた。
「理解したで兄貴ザメ。微分と積分の真理が……!」
「本当かトドオカ! なら次の定積分∫₀¹ [ln(1+x) / x] dxを求めることもできるはずだ! さあチョークを! 黒板の前に立て! 解いてみせろ!」
「ちゃうわ」
「ちゃう……?」
困惑した様子のサメの足元に、トドオカはタバコを投げ捨てた。そして彼は何かを抱え込むかのように、両の拳を突き合わせる。伝説のマッスルポーズ、モストマスキュラーの構えだ!
「微分するのは……ワイ自身や!!」
スマック! 一瞬にしてサメ教室が閃光に包まれた。トドオカの放った光によって! それはすぐに収まった。サメが眩んだ目をこすりながらトドオカを見ると―――彼は子アザラシになっていた。
「……と、トドオカ……? お前、その姿は……」
「これが“微分”や」
トドオカは腕を組んだ。姿かたちこそ子アザラシだが、腕は人間のそれである。顔面はトドのままなので違和感はない。
その姿をサメが解析した途端、トドオカは消えていた。彼は一瞬にしてサメに密着する距離に移動していたのだ!
「な……ッ!」
「そしてこれが……“積分”やアアアアアアアアッッッ!」
ボムッ! サメの腹にトドオカの鉄拳が叩き込まれる。それは一瞬のうちに肥大化し、屋久杉レベルの太さを誇っていた!
「ぐごっ……ごああああああああああっ!」
「ふんぬァァァァァァァァァ!」
ドゥゥゥゥゥゥゥゥム! 派手に殴り飛ばされたサメが異空間の天井を突き破る!
風穴を開けられた領域が崩壊し、元のペットショップの姿に戻った。トドオカたちのシノギの場所であり、金魚を拷問していた場所だ。
ホームグラウンドに戻った直後、トドオカは動く。ペットショップ中をピンボールのように跳ね回り、空中に投げ出されたサメに全方位攻撃を叩き込み始めたのだ!
ニート先生が息を吹き返し、その壮絶な暴力光景を目の当たりにする。
「トド、オカ……さん……。そうか、俺もわかったよ……それが、微分積分なんだな……」
そうだ。トドオカは自分自身を微分することで暴力を圧縮し、部分的に積分している。これにより暴力は一点集中で超強化され、元のトドオカ暴力の数千倍のパワーを生み出すに至っていたのだ。
そして今、トドオカは己ごと微分した鬱憤と暴力を、サメに向かって一気に積分しようとしている! サメは空中でヒレをばたつかせた。頭と尾ヒレをつかまれたのだ!
「ま、待てトドオカ! 考え直せ! わかった、難し過ぎたよな! 数ⅠAからやり直そう!」
「必要ないで兄貴。お前は今から……“微分”されるんやからなァァァァァァ!」
「うぎゃあああああああああああああああ!」
トドオカがブルドーザーのように巨大な両腕でサメを“微分”し始めた!
一瞬にして圧縮される微分積分いい兄貴分サメ―――否、もはや微分されたサメは紙屑のように丸められ、ぎゅっと握りつぶされてカップラーメンになった。
着地したトドオカはカップラーメンをぴのこに向かって投げつける。それは調理工程すら微分され、既に完成していた。
ぴのこの鼻がラーメンの匂いを嗅ぎ当てる。
「こ、これは……? これはッッッ!」
跳ね起きたぴのこはカップ麺をキャッチし、そのまま貪り始めた。生成AIがドン引きする速さで食レポを始めたぴのこをよそに、トドオカはニート先生に近寄った。
「無事か、ニート先生」
「あ、ああ……だがトドオカさん、あんたは大丈夫なのか、その体……」
「ちっと微分しただけやがな。積分すりゃあすぐ戻る。それよりお前の方が重要や」
己を積分して元に戻ったトドオカは、ニート先生に肩を貸して立ち上がる。ニート先生は重症だ。これから焼肉パーティをしなければとても回復は見込めまい。
だが構わない。命がある。怪異は去った。みんな生きている。ひとまずそれで充分だった。
「ぴのこ! ラーメン食ったらとっとと行くで! 今夜は焼肉や!」
「わかりました! チャーシューですね!?」
カップ麺を食べ終えたぴのこはトドオカに駆け寄った。三人はシノギの場を去り、後にはサメを微分したカップ麺の空き殻だけが残されたのだった。
Q.E.D.
微分積分いい兄貴分シャーク よるめく @Yorumeku
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