第3章:もう一人の影
午前十時すぎ、俺は警察署の裏口にいた。
現役の刑事だった頃は正面玄関から入っていたが、今はただの出禁者。
関係者でも協力者でもない。
ただ、死に損なった男がまた一人、死に顔を覗きにきただけだ。
署の裏のゴミ置き場には腐った書類と濡れた段ボール。
その隙間から現れるのが、今朝連絡をくれた旧知の刑事——テオ・マルロー。
「久しぶりだな、ジョナサン。……また死体を嗅ぎつけたのか?」
「いい匂いがしたもんでな」
「お前が嗅いでるのは、血の匂いじゃないかと思うときがあるよ」
軽口を交わしながら、俺たちは事件現場へと向かった。
被害者は公園裏の廃倉庫で見つかったらしい。
路地裏、寒々しい鉄扉、血の筋。
誰かが引きずられたような跡がコンクリートに残っている。
もう何年も使われていない空間のはずだ。なのに、臭いは新しい。
中はひどい有様だった。
壁には爪痕のような傷。
床に血。
そして中心には、男の死体。
胸を裂かれ、内臓を抜かれ、顔は原形をとどめていなかった。
だが、俺が最初に目を奪われたのは、その傍にあった“跡”だった。
——足跡。
狼のものだ。
……いや、サイズがおかしい。
あれは狼じゃない。“人間の足”と“獣の足”が、重なり合っている。
俺は無意識に自分の足元を見た。
そこには、薄く乾いた泥が付着していた。
倉庫の外壁と同じ土の色だった。
「……おい、ジョナサン」
テオの声が遠くに聞こえた。
「なんでだ。お前、ここに来たことあるのか?」
言葉が出なかった。
代わりに頭の奥で誰かが囁いた。
「三度目だな。思い出したか?」
ナイトの声。
昨夜の夢の中で聞いたのと、まったく同じ声だった。
その瞬間、記憶が“滑った”。
床に膝をついていた。
血に触れた。
ぬるく、乾きかけていて、でもまだ生き物の温度が残っていた。
目を閉じた。
そして、見た。
——黒い爪が肉を裂く。
——牙が喉に喰らいつく。
——誰かが、笑っている。
俺だった。
あれは、俺だった。
目を開けると、テオがこちらを睨んでいた。
「……お前、何をした?」
その言葉が喉元に突き刺さった。
答えられなかった。
けれど、答えはもう、俺の中にあった。
“もう一人の俺”が。
夜の中に、確かに存在していた。
——ナイトが。
そして、奴は俺の顔をしている。
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