第35話:帰還と喪失

金色の星が夜空に輝く中、玲奈は愛の祭壇で一人佇んでいた。ルカが昇華してから、時間の感覚が曖昧になっている。数分なのか、数時間なのか、それとも永遠なのか。愛する人を失った心には、すべてが永遠のように感じられた。


星を見上げていると、不思議な眠気が襲ってきた。それは自然な眠気ではなく、何か大きな力に導かれるような、抗えない眠気だった。意識がゆっくりと遠のいていく。


最後に見たのは、金色の星が特別に強く瞬く瞬間だった。まるで「さようなら」と言っているかのように。


そして、玲奈の意識は深い闇の中に沈んでいった。


目を覚ますと、見慣れた天井があった。自分の部屋の、白いクロスの天井。ベッドの感触も、枕の匂いも、すべてが慣れ親しんだものだった。


玲奈は慌てて身体を起こした。ここは確実に、自分の家の自分の部屋だった。壁には高校の制服がかかっていて、机の上には教科書が積まれている。窓から見える景色も、いつもの住宅街の風景だった。


「夢...だったの?」


玲奈は自分の手を見つめた。白いドレスではなく、普通のパジャマを着ている。鏡を見ると、そこには普通の女子高生の姿があった。愛の化身だった時の神々しいオーラは、どこにもない。


でも、胸の奥には確かな記憶があった。ルカとの出会い、深まっていく愛、愛の化身となった体験、そして彼の昇華。すべてが鮮明に心に刻まれている。


枕元の時計を見ると、朝の6時を指していた。カレンダーを確認すると、あの神社で祈りを捧げた日から、わずか3日しか経っていない。エテルナ世界で過ごした長い時間は、現実世界ではほんの数日だったのだ。


「玲奈、朝ごはんよ」


下から母親の声が聞こえてきた。いつもの優しい声。聞き慣れた日常の音。


玲奈は急いで制服に着替えて階下に向かった。ダイニングでは、父と母と妹の美咲が朝食を取っている。いつもの平和な朝の風景だった。


「おはよう、玲奈」


「おはようございます」


玲奈は普通に挨拶をしたが、心の中は複雑だった。この人たちは、自分が別の世界で愛し合い、世界を救ったことなど知らない。知りようもない。


「昨日は早く寝ちゃって、夕飯も食べなかったのね」


母親が心配そうに言った。


「体調でも悪かったの?」


「いえ、ちょっと疲れていただけです」


玲奈は曖昧に答えた。どう説明すればいいのか分からなかった。


朝食を食べながら、玲奈は家族の会話を聞いていた。美咲の学校での出来事、父の仕事の話、母の近所の噂話。すべてが平凡で、でも温かい日常だった。


しかし、玲奈の心はどこか別の場所にあった。エテルナ世界の美しい庭園、金色の花、そして愛する人の笑顔。そちらの方が、現実よりもリアルに感じられる。


学校への道のりも、いつもと同じだった。見慣れた街並み、通い慣れた道。でも、玲奈の目には、すべてが少し色褪せて見えた。エテルナ世界の美しさを知ってしまった今、現実世界が平凡に思える。


教室に入ると、親友のユミとサキが駆け寄ってきた。


「玲奈、どこに行ってたの?」


ユミが心配そうに聞いた。


「昨日の放課後から連絡が取れなくて、心配してたのよ」


「今朝も家に迎えに行ったら、お母さんに『まだ寝てる』って言われて」


サキも同じように心配している。


「ごめん、ちょっと疲れてて」


玲奈は申し訳なく思いながら答えた。


「体調悪かったの?」


「そんな感じかな」


玲奈は曖昧に答えるしかなかった。親友たちに、異世界での恋愛体験を話すわけにはいかない。


授業が始まっても、玲奈の心はここにあらずだった。先生の話も、教科書の内容も、頭に入ってこない。心は常にエテルナ世界にあり、ルカのことを考えていた。


昼休みになると、ユミとサキが玲奈を囲んだ。


「玲奈、なんか変よ」


ユミが率直に言った。


「今日の朝から、ずっとぼーっとしてる」


「何かあったの?」


サキも心配そうに聞く。


玲奈は二人の優しさが嬉しかった。でも、同時に距離も感じていた。自分が体験したことは、あまりにも非日常的で、理解してもらえるとは思えない。


「ちょっと変な夢を見ただけ」


玲奈は苦笑いした。


「すごくリアルな夢で、まだ現実に戻った感じがしないの」


「どんな夢?」


ユミが興味深そうに聞いた。


「恋愛の夢?」


サキが茶化すように言った。


「まあ、そんな感じかな」


玲奈は赤くなった。嘘ではない。確かに恋愛の体験だった。


「やっぱり!」


ユミが嬉しそうに言った。


「玲奈、最近恋愛に興味津々だったもんね」


「どんな人が出てきたの?」


サキも興味を示した。


玲奈はルカのことを思い出した。銀髪に青い瞳、優しくて知的で、深い愛情を注いでくれた人。今はもう、星となって夜空で輝いている人。


「とても素敵な人だった」


玲奈の声は自然と優しくなった。


「でも、もう会えない人」


「夢の中の人だもんね」


ユミが笑った。


「でも、そんな夢を見られるなんて羨ましいわ」


玲奈は複雑な気持ちになった。友人たちにとっては単なる夢の話だが、自分にとっては何より大切な現実だった。


放課後、玲奈は一人で帰路についた。友人たちと一緒にいても、心の距離を感じてしまう。自分だけが知っている秘密があることの孤独感だった。


帰り道で、あの神社の前を通った。すべてが始まった場所。ここで祈りを捧げた時から、運命が動き始めたのだ。


神社の境内に入ると、不思議なことに気づいた。本殿の前に、金色の花が咲いている。それは確実に、エテルナ世界で見た金色の花と同じものだった。


「これは...」


玲奈は花に近づいた。間違いない。この花は、自分とルカの愛の象徴だった花だ。なぜここに咲いているのだろう。


花に触れると、温かい感覚が手に伝わってきた。そして、心の奥でルカの声が聞こえたような気がした。


「君を愛している」


「この愛は永遠に続く」


涙が頬を伝った。夢ではなかった。あの体験は、確実に現実だったのだ。そして、ルカの愛は今も続いている。形を変えて、でも確実に。


家に帰ると、夕飯の準備をしている母親がいた。いつもの平和な夕方の風景。でも、玲奈の心はまだエテルナ世界にあった。


「お帰り、玲奈」


「ただいま」


玲奈は普通に答えたが、声が少し震えていた。


「今日は学校どうだった?」


「普通でした」


普通。そう、すべてが普通だった。でも、自分の心だけは普通ではなかった。特別な愛を知ってしまった心は、もう以前の自分には戻れない。


夕食の時間、家族の会話に参加しながら、玲奈は内心で整理していた。自分は確実に変わっている。以前の玲奈とは違う人間になっている。


愛することの意味を深く知った。相手のために犠牲になることの美しさを理解した。真の愛は形を変えても続くことを体験した。これらすべてが、自分を成長させている。


「玲奈、何だか大人になった気がする」


美咲が突然言った。


「え?」


「なんとなく、雰囲気が変わったというか」


美咲の観察力に驚いた。確かに自分は変わっている。内面的に大きく成長している。


「そうかな?」


「うん。前よりも落ち着いてるというか、深みがあるというか」


美咲の言葉は的確だった。玲奈は確実に成長していた。愛を通じて、人間として大きくなっていた。


その夜、玲奈は自分の部屋で日記を書いた。


『今日、現実世界に戻ってきました。エテルナ世界での体験が夢だったのか現実だったのか、最初は分からなくなりました。


でも、神社で金色の花を見た時、すべてが現実だったことを確信しました。ルカさんとの愛、愛の化身になった体験、そして彼の昇華。すべてが本当のことでした。


現実世界は平凡に感じられます。でも、それは悪いことではありません。平凡な日常の中にも、小さな愛がたくさんあることに気づきました。家族の愛、友人の愛、そして見知らぬ人たちへの思いやり。


ルカさんを失った悲しみは深いです。でも、絶望はありません。彼の愛は星となって、今も私を見守ってくれています。そして、この経験を通じて、私は確実に成長しました。


愛することの本当の意味を知りました。真の愛は永遠に続くことを理解しました。この知識と経験を持って、これからの人生を歩んでいきたいと思います。


ルカさん、ありがとう。あなたとの愛は、私の宝物です。』


日記を書き終えて、玲奈は窓から夜空を見上げた。たくさんの星が輝いているが、その中でも特別に美しく光る金色の星があった。


「ルカさん」


玲奈は小さくつぶやいた。


「見てくれていますか?」


星が優しく瞬いた。まるで答えているかのように。


玲奈は微笑んだ。一人ではない。愛する人は違う形で、でも確実に一緒にいてくれる。


翌日の学校で、玲奈は少し変化していた。友人たちとの会話にも、以前より深みがあった。


「玲奈、なんか最近違うよね」


ユミが感想を述べた。


「悪い意味じゃなくて、良い意味で」


「大人っぽくなったというか」


サキも同感だった。


「何かあったの?」


玲奈は微笑んだ。


「特別な経験をしたの」


「やっぱり恋愛?」


ユミが興味深そうに聞いた。


「そう言えるかもしれない」


玲奈は頷いた。


「でも、もう終わってしまった恋」


「え?失恋したの?」


サキが心配そうに聞いた。


「失恋というより...卒業かな」


玲奈は適切な言葉を探した。


「とても大切なことを教えてもらった恋だった」


「どんなこと?」


「愛することの本当の意味」


玲奈の答えに、二人は真剣な表情になった。


「愛は与えるもので、受け取るものでもある。でも一番大切なのは、ただ愛として存在すること」


玲奈の言葉は、体験に基づいた深いものだった。


「なんか、哲学的だね」


ユミが感心して言った。


「でも、すごく納得できる」


「私も、そんな恋をしてみたい」


サキが憧れるように言った。


玲奈は二人を見て、温かい気持ちになった。友人たちも、いつか素敵な恋をするだろう。そして、愛することの素晴らしさを知るだろう。


帰り道、玲奈は再び神社に立ち寄った。金色の花は今日も美しく咲いている。この花を見ると、ルカとの愛を思い出し、同時に前向きな気持ちになれる。


花に向かって、玲奈は心の中で語りかけた。


「ルカさん、私は大丈夫です」


「あなたとの愛は、私の中で生き続けています」


「この愛を大切にして、これからも頑張ります」


花が風に揺れた。優しく、慈愛に満ちた動きだった。


玲奈は確信していた。愛は形を変えても続く。距離があっても続く。次元が違っても続く。


現実世界に戻ってきて、最初は喪失感が大きかった。でも、今は違う。成長した自分を感じている。愛することの本質を理解した自分を誇らしく思っている。


これからの人生で、きっと新しい出会いがあるだろう。新しい愛もあるかもしれない。でも、ルカとの愛は特別で、永遠に心の中で輝き続ける。


夜、星空を見上げながら、玲奈は思った。


自分は確実に変わった。愛を知り、愛を失い、でも愛の本質を理解した。この経験は、自分にとって最大の財産だ。


現実世界での新しい生活が始まっている。でも、心の中にはエテルナ世界での美しい記憶がある。二つの世界を知った自分だからこそ、より豊かな人生を送ることができるだろう。


金色の星が夜空で輝いている。その光に包まれて、玲奈は眠りについた。


明日はきっと、素晴らしい一日になる。愛を知った心で、新しい日々を歩んでいこう。


ルカとの愛と共に。永遠に。

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