最下層の移動弁当屋 ~元営業マンはダンジョンでも笑顔を売る~
もこもこ
第1話 最下層のお得意様
薄暗い最下層。無数の骸骨が転がる玉座の間で、黒いローブをまとったリッチが、優雅に箸を手に取った。
「ふむ......今日も良い香りじゃな」
骸骨の眼窩に宿る青白い光が、満足げに揺らめく。
その前で、くたびれたスーツにエプロンを着けた男が、深々と頭を下げていた。
「グローヴェル様、本日もご愛顧いただき、誠にありがとうございます。本日のお弁当は、千年前のレシピを参考にした『永遠の晩餐弁当』でございます」
神楽坂誠司、35歳。この恐怖の最下層で、笑顔を絶やさず弁当を売る、唯一の人間だった。
「うむ、相変わらず良い仕事をする。明日も頼むぞ」
「はい、承知いたしました。それでは、明日もお待ちしております」
誠司は踵を返し、足早に玉座の間を後にする。ミミルカ——ミミと呼ばれる栗色の髪の少女が、小さな宝箱を背負いながら後を追った。
「ご主人様、今日も無事に終わりましたね!」
「ああ、グロウさんは本当に良いお客様だ。礼儀正しいし、代金もきっちり払ってくれる」
地下100階、深淵の迷宮最下層。ここは上級冒険者ですら恐れる魔境だ。しかし誠司にとっては、大切な顧客が待つ商圏でもあった。
転移門へ向かいながら、誠司は今日の売り上げを計算する。
(上層で30個、中層で50個、下層で20個、そして最下層でグロウさんの特別弁当......今日も黒字だな)
ふと、初めてこの世界に来た日のことを思い出す。
* * *
あれは、一ヶ月前のことだった。
「神楽坂! まだ終わってないのか!」
深夜2時。オフィスで資料をまとめていた時、上司の怒鳴り声が響いた。大手食品メーカーの営業部。ノルマ達成のためなら、深夜だろうが休日だろうが関係ない。
「すみません、もう少しで......」
その時だった。胸を締め付けるような痛みが走り、視界が暗転した。
(ああ......俺、死ぬのか......)
薄れゆく意識の中で、最後に思ったのは——
(せめて......美味いもの食ってから死にたかったな......)
* * *
目が覚めると、石造りの部屋にいた。しかも、スーツ姿のままで。
「ここは......?」
混乱しながら外に出ると、そこは巨大な洞窟のような場所だった。松明の灯りがちらちらと揺れ、遠くから剣戟の音が聞こえてくる。
「おい、あんた! こんなところで何してる!」
革鎧を着た男が駆け寄ってきた。
「ここはダンジョンの入口だぞ! 素人は早く街に戻れ!」
その後、冒険者ギルドで事情を聞き、自分が異世界に転生したことを理解した。しかし——
「君の適性は......うん、戦闘は全くダメだね。魔法の才能もない。悪いことは言わない、別の仕事を探しなさい」
ギルドの受付嬢は申し訳なさそうに告げた。
所持金もなく、途方に暮れていた時だった。親切な冒険者が、見かねて弁当を分けてくれたのだ。
「ほら、腹減ってるんだろ?」
感謝しながら受け取り、一口食べて——
「!?」
絶句した。
まずい。圧倒的にまずい。
パサパサの肉、味のしない野菜、そして全体を覆う塩辛さ。前世のコンビニ弁当が、三つ星レストランに思えるほどだった。
「これが......この世界の食事?」
そこで、ひらめいた。
(待てよ......これだけまずいなら、逆にチャンスじゃないか?)
前世で培った食品知識と営業スキル。それを活かせば、この世界でもやっていけるはずだ。
* * *
「ご主人様、もうすぐ50階ですよ」
ミミの声で、回想から現実に引き戻される。
今日も各階層を回り、様々な客に弁当を売る。それが、神楽坂誠司の日常だった。
50階の広場に到着すると、既に常連客が待っていた。
「おう、弁当屋! 今日は何がある?」
傷だらけの鎧を着た冒険者が、にやりと笑う。
「本日のおすすめは、『冒険者応援弁当』です。スタミナ満点の肉がメインで、野菜もバランスよく入っています」
「よし、それを3つくれ!」
次々と注文を受け、ミミが宝箱から弁当を取り出していく。彼女の能力のおかげで、作りたての温かさが保たれている。
「はい、15シルバーになります」
「毎度どうも!」
70階では、オーガの集団が待っていた。
「肉! もっと肉!」
「はい、特盛り肉弁当ですね。5つでよろしいですか?」
人間なら逃げ出すような相手でも、誠司は笑顔で接客する。客は客だ。種族で差別などしない。
そして90階。ここからは、本当の魔境だ。
「......人間か」
闇の中から、ダークエルフが姿を現した。
「こんな深層まで、よく来たな」
「お客様がいらっしゃる限り、どこへでも参ります」
誠司の言葉に、ダークエルフは興味深そうに眉を上げた。
「面白い人間だ。その弁当とやらを、一つ貰おうか」
* * *
そして再び、最下層。
グローヴェルの玉座の間に戻ってきた誠司は、明日の約束を確認する。
「明日は、何か特別なリクエストはございますか?」
「そうじゃな......」
リッチは骨の指を顎に当て、考え込む。
「甘いものが食べたい。生前、好きだった蜂蜜菓子のようなものを」
「承知いたしました。デザート付きの特別弁当をご用意させていただきます」
商談を終え、帰路につこうとした時だった。
「待て」
背後から、殺気を感じる。振り返ると、黒い影が三つ、通路を塞いでいた。
「下層の魔物に媚を売る裏切り者め」
料理人ギルドの刺客だった。誠司の商売を快く思わない者たちが、ついに動いたのだ。
「お客様を差別する方が、よっぽど裏切り者だと思いますが」
誠司は冷静に答えた。しかし、相手は聞く耳を持たない。
「死ね!」
短剣が閃く。戦闘能力のない誠司に、避ける術はない。
「ご主人様!」
ミミが宝箱に変化し、誠司を守ろうとする。しかし、相手は三人。防ぎきれない。
その時——
「愚かな」
重々しい声が響き、部屋の温度が一気に下がった。
グローヴェル・アルトゥスが、玉座から立ち上がっていた。骸骨の体から、凄まじい魔力が溢れ出す。
「その男に手を出すな。やつの弁当を楽しみにしておるのでな」
刺客たちは、恐怖に震えた。
「り、リッチ......なぜ人間の肩を......」
「簡単なことだ」
グローヴェルは、ゆらりと近づいてくる。
「美味い飯を作る者に、種族など関係ない。それが理解できぬ者は——」
骨の指が、ゆらりと持ち上がる。
「この階層から、去れ」
圧倒的な魔力の奔流が、刺客たちを吹き飛ばした。
* * *
夜、誠司は仕込みをしながら、今日の出来事を振り返っていた。
「ご主人様、グロウ様って、本当はとても優しい方なんですね」
ミミが野菜を刻みながら言う。
「ああ。見た目は怖いけど、話してみれば分かる。みんな、美味しいものを食べたいだけなんだ」
明日のデザートの試作をしながら、誠司は呟く。
「この世界に来て、分かったことがある」
「なんですか?」
「どんな世界でも、どんな相手でも、真心を込めたサービスは必ず伝わる」
窓の外、ダンジョンの入口が月光に照らされている。
明日も、地下100階まで弁当を届けに行く。
それが、神楽坂誠司の選んだ生き方だった。
「さて、明日の仕込みを始めるか。グロウさんのデザート、腕によりをかけて作らないとな」
深夜のキッチンに、包丁の音が響く。
最下層の移動弁当屋は、今日も変わらず営業を続ける。
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