仮想空館の殺人

柿市杮

第1話 挑戦状

(作者注:この話の登場人物は、実在の人物とは全くの別人である架空の人物です)


 20XX年。日本で、世界初のフルダイブ型VRゴーグルである「ドア」が開発された。その人気は凄まじく、すぐに世界中に広まった。


 その人気を最も後押ししたシステムが、「The Endless World」通称「TEW」である。これは世界中どんな人間でも、ノートパソコン程度のスペックがあれば、オリジナルのVR空間を作り出せるというシステムで、これによって現在、世界には約三百万のVR空間が作られていると言われている。


 某年某日。ある四人のミステリー小説家に、匿名でメールが送られた。


『◯月△日の、日本時間午後三時から三日間、VR空間である『仮想空館』にてマーダーゲームを行う。もしもあなた方にミステリー小説家としての矜持があるのなら、ぜひ参加したまえ。IDはここに記載しておく。なお、ゲーム開始に遅れた者は不参加とし、途中参加はできないものとする——The Murderer 』


 ◇◆◇


 やばい、遅れる!


 東圭あずまけいは、左腕の腕時計を見て愕然とした。『ゲーム開始』まで、あと十分しかないじゃないか! こんなことなら、オシャレを気取ってスタバで執筆なんてするんじゃなかった!


 東圭は、ミステリーを書くのを仕事にしている小説家だ。ライトミステリと言われる軽めのものから、重厚な本格ものまで幅広く書き、一定のファン層を獲得している。


 そして『ゲーム開始』という言葉から分かる通り、彼も『仮想空館』で行われるマーダーゲームの参加者なのだが、締切の迫った短編を執筆している最中に現在時刻に気付き、この惨事に至るわけだ。


 東はもう一度時計を確認した。幸いここはかなり近場のスタバなので、走れば十分間に合うはずだ。


 東は息を整え、カバンを胸に抱えて歩道を走り出した。


 くそう! もしも参加できなければ、あいつらに笑われるのは目に見えている。とにかくログインだ。ログインさえしてしまえば、どうにでもなる。


 東は激走した。かならず、かの仮想空間に入らなければならぬと決意した。


 その時、後ろから爆走してきた車が東の真横を通り過ぎて、砂埃を撒き散らしていった。砂埃が目に入り、東は思わず右に顔を背ける。


 ああ、せめてあんなふうに車があれば、もっと余裕があったろうに。

 いや、今はそんなことを考えている暇はない! とにかく走れ!


 自分を鼓舞したおかげか、東は時間内に自分の部屋までたどり着くことができた。キーカードを取り出し、差し込み口に入れようとしたが、うまく入らない。息が切れて、手が震えているからだ。


「ああくそ、……開いた!」


 東は体をドアの隙間から滑り込ませ、部屋の中へ飛び込んだ。


「ええっと……」


 たしか「ドア」は、ベッドの上に置いておいたはずだ。

 東の記憶通り、「ドア」はベッドの上でコンセントから伸びるコードに繋がれて、主人の帰りを待つ犬のように鎮座していた。


 東は部屋にある時計を見た。あと一分で始まってしまう!

 だが、間に合ったのは事実。東はすぐに「ドア」を頭に装着すると、起動させて『仮想空館』へとログインした。



 

 ログインとともに、東は体から意識が浮き上がるよう感じた。そして一瞬後、その意識は『現実』とは異なる場所に吸い込まれていく。


 そして意識は、もう一つの体アバターにと同一化し、現実の体と遜色ない視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と接続された。


 ダイニングのような、円形の部屋。外に通じるただ一つの扉は、プログラムによって完全に閉鎖されている。その中で東は、五つの椅子が置いてある円卓に座っていた。


 そう、五つだ。この円卓には、五人の人物が座っていたのだ。

 ただ東の目には、そんな情報は映っていなかった。間に合ってよかった、という気持ちでいっぱいになり、他のことを気にしていなかったからだ。


 その時、ボーン、ボーンと、置き時計の音が鳴った。なんとか走り切った達成感に包まれていた東は、それが自分を祝福する鐘のように聞こえていた。


「どうしたの? めちゃくちゃ遅れたみたいだけど」


 東が自分の幸運をさらに深く噛み締めようとした時、話しかける男がいた。それでようやく、周りを見る余裕ができた。


 先ほど『どうしたの?』と声をかけてきた男は、実希知人みきしりとという。医療ミステリに定評があるミステリ作家だ。

 アバターは少年に近いものとなっており、背も低い。


「息が切れてるところを見ると、急いで走ってきたんだろ。どうせ」

 

 実希の高い声とは対照的な、野太いジャイアンボイスが響いた。

 彼の名は、昌村弘まさむらひろという。奇天烈な設定と精巧な伏線、トリック、ロジックに定評のある新人作家だ。

 アバターは筋骨隆々のスキンヘッドで、銃で撃たれても死ななそうだ。


「いえいえ、ただ緊張でこうなってるだけかもしれませんよ? 遅れたのも、ワクワクで眠れなくて寝不足になっただけかも」


 東にとってありがたいことに、東の間抜けな失敗とはかけはなれた理由を主張するものもいた。

 彼の名は、有川栖有ありかわせいうという。本格ミステリをデビュー以来あの手この手で書きまくっており、国名シリーズなど傑作揃いだ。


 こうして三人が東に話しかけたわけだが……東の視線は、その誰にも向けられていなかった。

 その目は、まだ話しかけてない一人の男に向けられていた。

 『彼』が、不敵な笑みを浮かべながら言った。


「東のことだし、おしゃれっぽいからカフェで執筆して、それで気づいたら時間が、ってところじゃないかな。きっと〆切も迫ってるんでしょ」


 完璧に東の窮状を言い当てた、彼の名前は——


「……綾人」


 彼の名は、辻綾人つじあやとという。『館』と呼ばれるクローズドサークルで知られ、新本格ミステリの金字塔とまで言われた作家だ。

 そして、東とは腐れ縁でもある。


「綾人、それは違うから」


「いや、前にもこんなことあったでしょ。学生時代のころに……いや、いいや。とりあえず改めて。久しぶりだね、みんな」


 綾人はそう言った。この五人は、以前にもよく合うことがあったが、最近は住所の問題などであまり会えなかったのだ。

 だが東の目の前には、今リアルの体は大阪にいる有川、綾人。兵庫にいる昌村、沖縄にいる実希がいる。VRとは、やっぱりすごいものだなあと東は感心した。


「懐かしいですね。〆切事件覚えてますか?」


「ああ、東がサークル誌の締め切りを五回伸ばした事件でしょ。覚えてるよ」


「あれは傑作だったよね~。内容的にも笑える意味でも」


 昔話に花が咲く。新人の昌村も親交が深いため、普通に話に入ってくる。

 そしてもはやこの場が同窓会になりそうになった時、


 ——円卓の中央に黒いモヤのようなものが集まった。


『やあ諸君。君たちが怖気付くことなく、はるばるやってきてくれたこと、心から感謝するよ』


 モヤの中から、低めの合成音声が流れ始めた。

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