第二部 伸長、日盛りと鶏鳴

第三章 まだ見ぬ絶景を求めて

Chapter-01 日盛りと鶏鳴


『……──スノーホワイト!! スノーホワイト、白綾后子ォォオオオ!!!! ──ロジェールマーニュが道を作り、スノーホワイトで食いちぎったァアアア!!

 ────これがシンデレラストーリー!! 運命の鐘が鳴る──ッッ!!!!』



 大穴ブチ開けた白綾后子は知らぬ間に親孝行していた。

 スノーホワイトは単勝十三番人気。穴馬だった。オッズは四十八倍ついており、テレビで安田記念を見ていた后子の父──白綾刧はくりょうごうは見事に的中させていた。


 単勝一万円を突っ込んでいれば、四十八倍なので、四十八万円になって口座へ入金される。



「マジかよ……」



 土砂降りの前がボロくさい雑居ビルの壁と窓を叩いている。テレビの中でウイニングランする后子は、泥塗れになったスノーホワイトを撫でながら晴れやかな笑顔を浮かべている。ひょこひょこ歩かせて正面スタンド前に来て止まり、ヘルメットを片手で外して馬の上で頭を下げた。


 娘が皐月賞を勝った、ダービー二着に入った、というだけでも十分過ぎるほど自慢できるというのに。そこへ更に栄光を積んでいく。


 スノーホワイトは昨年のNHKマイルカップ以降目立った勝利がなかった。一発屋だと揶揄され、大して警戒すべき馬じゃないと誰もが思っていただろう。恐らくゴールデンタイムラバーの瀬川迅一や、アプローズの武内秀吉──この辺りで固く決着すると誰もが考えていたはずだ。何せスノーホワイトは追い切りで過去最低タイムだったのだから。未完成だろう、やる気が競馬に向いていないのだろう、そう思われて仕方なかった。


 だが后子はその腕で、馬を信じて下馬評をひっくり返した。



「……菊花賞は、行かねえとな」


 刧は誰もいない部屋で呟く。スマートフォンが手の中で震えはじめた。発信者は「神代信二郎」──スノーホワイトの馬主だった。


「何すか、神代さん。后子が勝ったのは知ってますよ」


 電話の向こうからは騒めきが聞こえる。テレビ画面の中ではレースハイライトが流れ始めた。勝利騎手インタビューが始まるにはもう少し時間を要するらしい。


「あ、やっぱり見てたの。よかったよかった。いやぁ流石だね后子ちゃんは。これこそまさに獅子奮迅の活躍ということだ。……いいものを見せてもらったよ」

「別に俺は何もしてねえ。謝辞は后子に言え」

「そうは言ってもねえ。ロジェールマーニュを助けたのは刧先生だし。ロジェールマーニュがいなければ今日の勝利もなかったかもしれない。実況の通りだよ」

「……『ロジェールマーニュが道を作り、スノーホワイトで食いちぎった』……か」

「そういうことさ」


 楽しそうに神代は言った。刧は『放送席、放送席──』と喋り始めたテレビに視線を戻し、一方的に電話を切る。用事がありゃまた掛けてくんだろと思いながら──刧は、雨に濡れた金色の髪を流した画面の中の后子を見つめる。


『この度は安田記念勝利おめでとうございます! 率直な今の気持ちをお願い致します!』

『率直な気持ち……。う~ん、あ、ええですか?』

『はい、お願いします』

『~~ッ、わ~~い!! ……へへ、子供っぽいですかね』

『いえいえ! 純粋な気持ち、伝わりました! ……──』


 わーい、て。率直すぎんだろ。

 刧は苦笑しながらメッセージアプリを起動して、短く『おめでとう』とだけ送信した。




 ✤




「ほっ……北海道や~~!!」


 空港に降り立ち、私はぐいー、と背伸びして、縮こまっていた筋肉や骨を伸ばす。横にいる瀬川は腹が立つほど清々しい顔で問いかけた。


 先日の日本ダービーを終え、私は神代さんの持っているもう一頭の馬『スノーホワイト』に騎乗して函館スプリントステークスに出るべく、北海道へやって来た。

 北海道──特に函館競馬に参戦するのは初である。今までの私と言えば夏の間は栗東トレセンで雑用をこなして食い扶持を稼いでいた(食材を対価に労働していた)。


 なお、ロジェールマーニュはダービー二週間後から栗東トレセン近くの牧場に放牧に出され、夏強化合宿を行っている。会いに行きたいけど邪魔するわけにもいかへんし。とにかく今はスノーとのGⅢをこなし、きっちり結果を出す。


 今回の函館スプリントSは秋に開催されるGⅠレース、スプリンターズステークスの前哨戦。GⅢなのでGⅠ前哨戦には申し分ない。

 ちなみにだが、スノーホワイトはその名前の通り真っ白な馬体である。今年の六月頭に私と一緒に安田記念を勝利した。



「白綾、北海道は初めてだったか?」

「初めてやね、自分は何遍も来た事あるんやろ?」

「そうだな……夏はほぼ北海道にいるかな。で、秋になったら戻ってくる感じ」

「こいつ…………、…………私は函館スプリント終わったら帰るからな」

「せっかくだし、地元に一度ぐらい帰ったらどうだ? GⅠ勝ったんだし、北海道土産でも持ってさ」

「はぁ? 何言うてんねん。菊花賞終わるまで帰らへんで」

「強情だなぁ、一回くらい帰って親父さんに会ってくればいいのに」



 そんなやり取りをしたのもだいぶ前。早いもんで、さっさと函館スプリントSの日になった。函館の舞台に立つのは初めてだが、スノーホワイトといえばなんたってGⅠ二勝のつわものなのだ。


 安田記念はあの不良馬場で内側から豪快に追い込んで勝利したわけやし、しかも今日は良馬場。晴れ。


 誰もがこの真っ白な馬が勝つと期待しているだろう。私はやる気満々なスノーホワイトを撫でながら前を見据えて地下馬道を歩かせた。ロジェの時は二人引きだったが、流石に歴戦というべきか、一人で厩務員の岩蔵さんが「……今日はなんか飛びそうなんよね」とぼやきつつ引っ張っていく。怖いわアホ。もっといいこと言うてよ。


 地下馬道を出て陽光に晒されながら合図を出せば、スノーホワイトはターフを駆ける。

 ずっとそうなのだが、気分屋とはいうが存外にいう事は聞いてくれる印象だった。

 まあ調教の時も調子良さそうやったし、問題ないやろ。それに今回は一枠一番。スピードと瞬発力がモノを言い、すぐに決着のつくレースや。



 遠慮はいらん。押し通る。

 ゲートが開いて、一気にスノーホワイトは躍り出た……



 が。




『スノーホワイトは伸びません!! もういっぱいで厳しいか!? 大外回ってパーティフェイス、パーティフェイスが突っ込んでくる!!

 ──スノーホワイトはもう来ません!!!!』




 ハズレ馬券が空を舞う。私は死んだ魚のような目でその様子を見ていた。


 ……いや、考えるのやめよ。栗東に帰ろ。

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