小さな召喚士~人類への反撃の狼煙~
白蛇
第1話 召喚士、目覚める
人間の家の縁の下。その床板との隙間には、小さな世界が広がっている。カビ臭い木の破片、忘れられたビー玉、黒ずんだ輪ゴム、乾いた米粒。人間にはゴミにしか見えないそれらを、彼らは道具とし、資源とし、命を繋いでいた。
スクナ族、かつて日本に暮らしていた、小さな、小さな種族。
人類の発展に追いやられ、生き残ったスクナ族は各地に散り散りとなって暮らしている。
ここは、中村家の床下に築かれたスクナ族の夫婦の住処。
50cmほどの空間に、苔を干して作ったベッドや、紙片で作られた本、木屑をくり抜いた家具が並ぶ、まるで秘密基地のような小さな家だった。
そこに住む若いスクナ族の男、ヒコは今日も、頭から炭塵まみれになって机に向かっていた。
「よし……今日こそ、やってやるぞ」
ヒコの前には、巨大な古文書──図鑑を書き写したメモ。そこには、巨大なナメクジの落書きと、「ぬめぬめの皮膚で外敵から身を守る」という説明書きがあった。
横には、彼が何日もかけて作り上げた“召喚円”──クレヨンの折れ端を舐めて柔らかくしながら描いた幾何学模様。
そしてその中心には、小瓶に詰めたドライ納豆の粉末と、カビた茶葉のひとかけらが供えられている。
「召喚……始動!」
ヒコは、小さな掌を召喚円の上にかざした。息を吸い、声を張る。
「来たまえ! 地より這い出づる、滑る獣よ! 我が忠実なる眷属、ヌメゴンよ!」
──ふっ、と一瞬、空気が揺れる。
召喚円の中心がじわじわと濡れていく。地面が……いや、そこにあった茶葉の破片が泡を吹いて、溶けている?
そして。
ヌメェ……。
まるで濡れた岩のような物体が、もぞりと浮かび上がった。
「き、きたっ……! ヌメゴンだっ! 成功だっ!」
成人した男性の平均体長3cmの、スクナ族からすれば十分に「巨獣」と言えるサイズのナメクジが、地面に現れたのだ。ヌメゴンはゆっくりと頭をもたげ、ヒコを見た。……ような気がした。
「この圧倒的な重量感! なめらかな皮膚! 滑り込むような動き! まさに地の巨獣! 完璧だ……!」
その叫びを聞いて、奥からミカがやってきた。小柄で、すこし困ったような笑顔をいつも浮かべている彼女は、ヒコの隣にちょこんと腰を下ろす。
「……また何か、出したのね」
「見ろよミカ! これがヌメゴンだ! 我が忠実なる第一の眷属にして、スクナ族の反撃の狼煙だ!」
「……ナメクジ、じゃないの?」
「ヌメゴンだ!」
ヒコは勢いよく立ち上がり、何かに取り憑かれたような眼差しでヌメゴンを見下ろす。
「これを中村家に放つ! 人間どもは、きっと叫び上がるぞ……ふふふ……震えて待ってろ、人間!」
「……あんまり、迷惑かけないでね……?」
ミカの心配そうな声も、今のヒコには届かない。
「……昔みたいにならないといいけど……」
ミカはぽつりと呟いた。
ヒコは必死にヌメゴンにまたがろうとしたが、つるりと滑ってお尻を強打した。ヒコは呻きながら、徒歩での進軍を選んだ。
──────
中村家のリビング。夕食後のくつろぎタイム。
「ふぅ、今日の晩ご飯、おいしかったねー」
「パパ、なんかテレビつまんない〜」
「じゃあYouTubeにするか?」
そんな何気ない家族の会話の中、床に一筋のぬめぬめとした跡が……。
ズルッ……ヌメェ……。ヌメゴン、侵入成功。
ヒコはヌメゴンの隣で、勝利のポーズを取った。
「ふはははは! 人間どもよ、今宵、貴様らの平和は終焉を迎えるッ! いけっヌメゴン!!」
「……うわ、ナメクジ出た……キモッ。ちょっとティッシュ!」
……次の瞬間。
空から突如現れた、神の手のような白布──ティッシュが、空から降ってきた。ヒコはかろうじて物陰に回避するが、ヌメゴンはあっけなく包み込まれた。
「ヌ、ヌメゴンッ!?」
ぐしゃり。
その音は、確かにヒコの耳に届いた。
「俺の、ヌメゴンが……」
人間の武力は、想像を遥かに超えていた。
彼の“地の巨獣”は、ただの害虫として、無慈悲に駆除されたのだ。
──────
「……で、どうだったの?」
その夜、ヒコはミカの煎れてくれたどくだみ茶をすすりながら、目を伏せていた。
「……一撃だった。巨大な白い布の洗礼で、ヌメゴンは……潰された」
「……そう……」
「だが……! 次はもっとすごいのを召喚してみせる! 今度こそ、スクナ族の誇りを、我が手で!」
ミカは小さく微笑んで、彼の額にそっと手を当てた。
「うん、がんばって。でも、おうちだけは壊さないでね?」
ヒコはちょっと恥ずかしそうに笑って、それからまたお手製の図鑑を手に取り、呪文の書き込みを始めた。
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