第33話 眠れない夜と、奇妙な同居人たち
結局、僕の寝床は、フローリングの上の座布団一枚、という最低ランクの待遇に落ち着いた。硬い床が、冒険で疲れた僕の背骨を的確に攻撃してくる。眠れるわけがない。
薄目を開けると、数メートル先、僕の聖域だったはずの敷布団の上で、ブリジッドがすやすやと寝息を立てていた。その寝顔は、昼間の妖艶さが嘘のように無防備で、なんだか腹が立つやら、ドキドキするやら、僕の感情は忙しい。
部屋の隅では、ブラッドが、壁に寄りかかったまま腕を組み、目を閉じている。眠っているのか、それともハードボイルドを気取って寝ずの番をしているのか。どちらにせよ、あの体勢は絶対に翌朝、体のあちこちが痛くなるやつだ。ご愁傷様。
僕は、そっと天井を見上げた。僕の旧友、シミちゃんだ。やあ、久しぶり。君だけは、変わらないでいてくれるんだな。
かつて、この部屋には、この静寂と、シミちゃんだけがいた。それが、僕の日常だった。今はどうだ。部屋には人間(と、その創造物)がひしめき合い、他人の寝息が聞こえてくる。
僕は、ポケットの中の万年筆に触れた。
この力を使えば、今の状況を変えることだって、できるのかもしれない。『ブラッドとブリジッドが、満足して自分の世界に帰っていく』と。そう書けば、僕はまた、元の静かで、孤独で、平穏な日常を取り戻せるはずだ。
だが、僕の指は、動かなかった。
あの、ただ天井のシミを眺めるだけの日々に、戻りたいのだろうか。騒々しくて、面倒で、プライバシーも何もない、今のこの日常を、本当に失いたいのだろうか。
答えは、すぐには出なかった。
「……眠れませんか、夏彦?」
隣から、小さな声がした。ヴィオレッタだった。彼女は、僕が起きていたことに気づいていたらしい。いつの間にか、僕の枕元にちょこんと座り、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「まあ、今日は、色々ありすぎたからな…」
「ふふ。そうですわね。でも、わたくし、楽しかったです」
楽しかった、と彼女は言った。攫われたり、怪獣に抱かれたりしたというのに。その底抜けの明るさに、僕は少しだけ、救われたような気がした。
彼女は、どこからか持ってきたタオルケットを、僕の体にそっとかけてくれた。
「おやすみなさい、夏彦。良い夢を」
その優しい声を聞きながら、僕は、部屋に満ちる三者三様の気配に、再び耳を澄ませた。
ブラッドの、静かで規則正しい呼吸。
ブリジッドの、時折聞こえる、小さな寝息。
そして、僕の隣にいるヴィオレッタの、温かい存在感。
それは、かつての孤独な静寂とは全く違う、ざわめきに満ちた、奇妙な安心感だった。
僕は、結局何も書かずに、万年筆をそっと床に置いた。
まあ、いいか。敷布団の奪還計画は、明日考えれば。
この面倒くさくて、騒々しくて、でも、決して悪くはない夜に、僕は、ゆっくりと意識を手放していった。
新しい日常の、最初の夜だった。
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