第3話 幼馴染、壁より来たる

結局、昼寝という名の本格的な睡眠から僕の意識が再浮上したのは、天井のシミちゃんが夕日らしき光でオレンジ色に染まる頃だった。今日も一日、何もしなかった。完璧な一日だ。満ち足りた気分で寝返りを打とうとした、その時。


ポスン。


部屋の隅から、やけに気の抜けた音がした。熟れた柿が畳に落ちたような、そんな音だ。僕の城に、僕以外の音源が存在するだと? 空にはUFO、天井にはシミちゃん、そして床には僕。この完璧な三位一体のフォーメーションを乱す不届き者は誰だ。僕はゆっくりと、本当にゆっくりと、王者の風格で体を起こした。


そこに、いた。

少女が。

壁から、半分だけ体を出して、よいしょ、という感じで抜け出そうとしている。しかも、なんだこの超絶クオリティは。僕の世界が急に8bitから4Kになったかのような、凄まじい解像度の可愛さだ。大きな瞳、ふわりとした髪。その存在は、僕の薄汚れた六畳間には眩しすぎる。直視すると目が、目がぁ!と叫びたくなるレベルの光属性だ。


少女は床に完全に着地すると、スカートの埃をぱんぱんと払い、僕に向かって深々とお辞儀をした。

「はじめまして、わたくし、ヴィオレッタと申します。今日からあなたの『幼馴染』になることに決めました!」


……ん?

なんだって?

僕の脳内会議が、久々に緊急招集される。議題は「幼馴染の定義について」。僕の知る限り、幼馴染というものは、過去の膨大な時間を共有することで醸成される、甘酸っぱくも懐かしい関係性のはずだ。採用面接はどこで? 履歴書は? なぜ決定事項? 僕の意見はどこへ?


僕が宇宙猫のような顔で固まっていると、彼女はにっこりと微笑む。「よろしくお願いいたしますね、夏彦!」と、僕の名前までご存知らしい。個人情報の管理はどうなっているんだ、この世界は。


だが、まあ、いいか。

UFOも受け入れたのだ。壁から出てくる美少女の一人や二人、許容範囲だろう。僕の城の固定資産税が上がるわけでもあるまいし。

「…ああ、そう。好きにすれば」

僕がそう答えると、ヴィオレッタと名乗る少女は「はい!」と花が咲くように笑った。


次の瞬間、彼女は腕まくりをすると、僕が築き上げた神聖なる「文明の地層」に手をつけ始めたのだ。

「まずは、お掃除からですね!」

「あ、それは去年の夏を共に戦ったカップ麺の…」「こちらは一昨年の冬、僕の命を繋いだポテトチップスの袋…」

僕のかつての戦友たちが、次々とゴミ袋という名の墓場に放り込まれていく。僕の歴史が、思い出が、蹂RINされていく…。


僕はそれを、ただ無気力に眺めていた。止めるだけのエネルギーも、もうない。

「無駄だよ」

かろうじて、それだけ口にした。

「どうせ、すぐに元通りになる。ここはそういう場所なんだから」


ヴィオレッタは僕の言葉に振り返り、首をこてんと傾げた。

「いいえ? わたくしがおりますから、もう元通りにはなりませんわ」

その笑顔は、太陽のように眩しくて、僕には少しだけ、痛かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る