第4話『“佐竹”の記録』

――旧〇〇村・中央広場跡地


 鳥居の残骸と石畳の中心に、崩れかけた小さな建物があった。

 拝殿か、それとも御神体を祀っていた場所か。扉は外れ、屋根は崩れ、木の梁が斜めに突き刺さっている。


 森山が、壁際の落ち葉を払いながら、何かを見つけた。


 「……これ、カメラじゃねえか?」


 埃と湿気にまみれた小型のビデオカメラだった。

 機体の側面には、《SATAKE》と油性マジックで書かれたラベル。

 レンズは傷だらけだったが、飯村がモバイルバッテリーで接続すると、奇跡的に起動した。


 内部メモリには、たった一つの映像ファイル。

 タイムスタンプは、二週間前――20時49分。

 彼が消えた、その夜だった。



---


 再生:佐竹のヘルメットカメラ映像


 画面は、ぐらついていた。

 荒い呼吸音。木々の枝をかき分けながら、カメラが必死に前方を照らしている。


 走っている。

 重く、湿った地面を、這うように――逃げている。


 そして、画面が一瞬揺れたかと思うと、カメラが後方を一瞬映した。


 そこには、**空中に浮かぶ“赤黒い肉塊のような異形”**が映っていた。

 無数の手のようなものがうねり、赤い液体を滴らせながら、上下に体を揺らしている。


 (……映っている。あの時、確かに、あれが……)


 映像の中の佐竹は、恐怖で手元をぶらつかせながらも逃げ続けていた。

 そのとき、画面の奥から――声。


 『佐竹!』


 佐伯の叫び声だった。

 その一瞬、映像が微かにノイズを帯びた。


 次の瞬間――カメラはバランスを崩し、地面に倒れ込む。

 だが録画は続いている。

 角度が変わり、映像の下方には土と草、そして見上げるように映る“空”。


 その空に、影があった。


 佐竹は、叫んでいた。

 「やだ……近づくな……やめろ……!」


 声の震えが、録音越しにも伝わってくる。

 その後、映像はゆっくりと、何かがこちらへ近づいてくる様子を映し出す。

 ぼやけたシルエット。足。歪んだ輪郭。

 仮面のように、何もない白い“顔”。


 音が歪む。

 カメラにノイズが走る。

 最後に佐竹の叫びが、喉の奥で押し殺されるように響いた――


 そして、画面はブラックアウトした。



---


――旧〇〇村・現在


 再生が終わると同時に、全員が言葉を失っていた。


 飯村が唇をかすかに震わせながら、言う。


 「……あれが、あの夜……」


 佐伯は、顔を覆ってうつむいた。


 「俺が、呼んでしまった……」


 森山がゆっくりと呟いた。


 「たぶん……**“呼ばれた”のが引き金じゃない。名前を“呼ばせた”んだ。あの存在が……佐伯の声を使って」


 「名前を返す。それが“通じた”ってことなんだ」


 「通じてしまえば――“場所”と“魂”の間に、線が引かれる」


 「そこから、引きずり込まれる」


 「村を落として封じたのも、それを断ち切るためだったんだ。名が通じなければ、繋がれないから」



---


――東京都内、あるワンルームアパート


 私は画面を見つめながら、手のひらに残った冷奴の小皿を、ふと見つめた。

 食べかけの藻塩が、ぴたりと張りついて動かない。


 さっきの映像。

 聞いたはずのない声に、記憶が震えている。


 「……近づくな……やめろ……」


 どこかで、同じ言葉を聞いたことがあった。


 あの夏の夜。

 祖母の家。

 畳の上にぽつんと立っていた、小さな女の子の後ろ姿。

 ふすまを開けたとき、その子が私に言った。


 「返事しちゃ、ダメだよ……呼ばれると、“向こう”と繋がっちゃうから……」


 あれは、誰だったのだろう。

 妹なんて、いなかったはずだ。


 でも――なぜだろう。

 その子の“名前”を、私はずっと忘れたまま、心に引っかかっている。



---


 画面に表示された、カメラのファイル名にはこう記されていた。


> RECORD_SATAKE_2049.mp4



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