三  居間に入ると、部屋のある一角にダンボールが7箱ほど積もっており、家具などはまだそのままだが、部屋の中に質量を感じなかった。もう片付けはさっきの男と仲間達がやってくれたのだろうか。たしかに到着した時間は予定よりも遅れてはいたが…

 部屋の中は居心地が悪く、まるで他人の家にいるかのような感情が、私をそわそわさせていた。手荷物を床に置き、しばらくその見慣れたはずの居間の中を手探りに回った。

 広すぎず、狭すぎない優しい木製のテーブルや、動線が管理された良い位置にある箪笥、いつも見ていたテレビ、掃除の度に邪魔だ邪魔だと叩かれたソファ、それらの全てはあの時のままなのに、それらには色というものが感じられなかった。

 こんな出涸らしの家具は見てられず、目を背けた先には台所があった。私は思い付いたように勢いよく台所に飛び出し、引き出しの全てを開けては閉めるを繰り返した。この場所にはあれがあるだの、この場所にはそれがあるだの、無論、中はどれも空っぽであった。

 さっきまで空気の循環があった為に、そこまで暑くはなかったのだが、その効果が切れてきた。私はあの不快な状態に近づいていながらも、中身のあるものを探し続けた。

 しかし、その健闘もすべて虚しく、とうとう最後の1つの戸棚になってしまった。私は恐る恐る戸棚の取ってに手をかけて引いた。するとそこだけ何故か、ものがパンパンに詰め込んであり、袋詰めの調味料がどさっと私目掛けて落ちてきた。多分、あの男達はこの戸棚だけ忘れていたのだろう。

 それに加えて幸運なことに、この戸棚の中身は、まさに私の求めていたそのままだった。あの時から時間が進んでいないような景観は、私を極端に落ち着かせた。

 その戸棚をまじまじと見蕩れていると、その色々な調味料が詰まった戸棚には似合わない水色のプラスチックが見えた。それを引っ張り出してみた。一見なにか分からなかったが、取っ手付きの蓋を開けてみると、数cmほどの深さのある丸い型の底にカミソリの刃のようなものが付いている。

━━━これはかき氷機だ。

 そう思った瞬間、ある感情に頭を思い切り殴られた。私は倒れ込み、泣き崩れてしまった。

 私はそのかき氷機を抱えながら、それを絶対に手放さないと心に誓った。



四  目が覚めた時、台所の床で蛆虫のように転がっていた。自分を疑いながら立ち上がると、外はもう暗みがかっていた。窓の方からはスズムシやらヒグラシやらが合唱しており、その無限に広がる空間を感じながらも、この家の空間をとてつもなく窮屈に感じた。

 私はというと、台所の床に溶けながら涙や汗で雑巾のようになっていた。なんとか起き上がったところでも、胃の底から込み上げるほどに気分が悪く、はやく帰るべきところに帰らねばと思い急いだ。

 私はそのかき氷機を畳まれていたダンボールを組み立ててその中に入れた。そして、それと手荷物を持ってその家を後にした。

 ホテルまでの道すがら、視界を横切る変な影も、細道を横断する蛙すら、私の歩みを止めるほどのものではなかった。それどころか、私は異様に周囲の全てを警戒していた。そのかき氷機を強く抱き締めながら、目を鋭くとがらせて歩いた。通り過ぎる人一人ひとりに、お前に取られてたまるか、という怨念を向けながらそのホテルに着いた。

部屋に入ったあとも、カップ麺を啜る時も、備え付けの風呂に入る時も、布団に入り寝る時も、そのかき氷機をすぐ側に置いていた。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る