第9話:『虚無のリボンと、背後の温もり』

その日の午後。

きらりは、学校の図書室で、古びた本を読んでいた。


ページをめくるたび、紙の匂いがふわりと香る。

窓から差し込む光が、埃の舞う様子を照らしている。

静かな空間に、ページをめくる音だけが響く。


それは、魔術に関する、分厚い洋書だ。

表紙には、複雑な紋様が刻まれている。


(フフ…! この本には、きっと闇の聖女としての、新たな力が記されているはず…! 世界の真理が、私を呼んでいるわ!)


彼女の瞳は、真剣そのものだ。

まるで、本当に魔法の呪文を読み解いているかのように。


その時。

背後から、ひんやりとした気配を感じた。


ゾクリ、と肌が粟立つ。

まるで、氷の針が刺さるような感覚。


ゆっくりと振り返ると、そこには誰もいない。

だけど、確かに感じた。

獲物を狙うような、冷たい視線。


(フフ…! また闇の眷属が、私を試すというのか! 望むところだわ! 闇の聖女たる私を、試すなど、愚かなこと!)


きらりの心臓が、高鳴る。

ドクン、ドクン、と激しく打つ。

それが、闇の覚醒の予兆だと信じている。


---


放課後。

きらりは、クロウに呼び出された。


(また私に、何か重大な使命を与えるつもりなのね…! 闇の聖女たる私を、クロウが導いてくれるんだわ! フフ、愛されてる!)


人気のない、静かな廊下。

夕日が、窓から差し込み、二人の影を長く伸ばす。


廊下の空気は、どこかひんやりとしている。

生徒たちの話し声も、もう遠い。


クロウは、きらりの前に立つ。

彼の表情は、いつものように無表情だ。


しかし、その瞳の奥には、どこか真剣な光が宿っているように、きらりには見えた。


彼の声は、いつも通り淡々としている。

まるで、実験の報告書を読み上げるように。


「お前の『虚無のリボン』の結界範囲を測りたい。詠唱を――いつものように」


きらりの心臓が、ドクン、と大きく跳ねる。

心臓が、早鐘のように打ち始めた。


「え、また!?」


焦りが、顔に浮かぶ。

瞳が、不安げに揺れる。


(もう、クロウったら、本当に私の闇の力を求めるんだから! 欲しがりさんなんだから! でも、私の力が、クロウの役に立つなら…!)


彼女の顔は、不安と焦りで、ほんのり赤く染まっている。

唇を、きゅっと結ぶ。


クロウは、きらりの反応を冷静に見つめていた。

彼の視線は、きらりの頬に残る赤みを捉えていた。


その赤みは、まるで夕焼けの色のように、きらりには彼の心に微かな温かさをもたらすかのように感じられた。


(クロウったら…! 私の顔を見て、ちょっと照れてるのね! フフ、可愛いんだから!)


きらりの心は、喜びでいっぱいになった。

全身が、熱くなる。


---


クロウは、黙って体育館の裏へときらりを導いた。

いつの間にか、彼の隣を歩いている。


(ここは…私の闇の儀式に相応しい場所…! 夕日が血のように赤い…フフ、運命ってやつね。なんてロマンチック!)


古い倉庫の壁が、夕日に照らされて、赤く染まっている。

周囲には、誰もいない。


静かな空間に、二人の息遣いだけが響く。

土の匂い。


遠くで聞こえる、部活動の掛け声。


クロウは、地面の頑丈な杭の前に立つ。

彼の指先が、地面を微かに撫でる。


アスファルトのひび割れが、影を吸い込むように広がる。

それは、まるで地面が呼吸しているかのようだ。


杭は、地面に深く突き刺さっている。

きらりの視界には、ただ、何もない空間が広がっているだけだ。


きらりが「リュミア・ノクターンが命じる!虚無のリボンよ、我が周囲に結界を張り巡らせ、全ての邪悪を退けよ!」と叫ぶ。


その声は、体育倉庫の裏に響き渡る。

きらりの表情は、真剣そのものだ。


まるで、本当に虚無のリボンを操っているかのように。

額に、微かな汗が滲む。


その瞬間。

杭の周囲の空気が、微かに歪んだように、きらりには感じられた。


ギチギチと、何かが軋むような音が、遠くから聞こえた気がした。

地面が、微かに震える。


その振動が、きらりの足の裏から伝わってくる。

まるで、大地の心音が聞こえるようだ。


きらりの足元に、微かな影がゆらめく。

それは、まるで夜の闇そのもののように、静かに。


クロウの唇の端が、わずかに上がったように、きらりには見えた。

(クロウってば、本当に私のことが好きなんだから!)


---


七芒教団の隠密部隊は、きらりとクロウの「儀式」を物陰から監視していた。

薄暗い木々の影に身を潜め、彼らの姿は、まるで闇に溶け込むかのように見えない。


双眼鏡を覗く隊員の目が、きらりとクロウの動きを捉える。

その瞳には、緊張の色が浮かんでいた。


「巫女殿の周囲に発現する不可視の結界は、恐らく彼女の魂の輝きを根源としたもの…」


報告書を読み上げる声が響く。

その声は、どこか緊張を帯びていた。


「対象少女の身体周囲に、強大な魔力が宿る。これは、我々の理解を超える力だ。」


幹部たちの顔には、深刻な表情が浮かんでいる。

彼らの視線は、モニターに映し出された、きらりのデータに釘付けだ。


画面には、きらりの魔力反応を示すグラフが映し出されている。

異常な数値が、並んでいる。


「恐るべき能力だ。彼女の聖なる力を、我々の教団のために…」


その言葉には、きらりの能力に対する、畏敬と同時に、強い執着が感じられた。

彼らは、きらりをただの少女とは見ていない。


教団の未来を左右する、未知の存在として捉えているのだ。

その瞳は、欲にギラついている。


きらりの無邪気な厨二病が、組織の思惑をさらに加速させている。

誰も、その真実に気づいていない。


---


クロウの瞳が、きらりの横顔を捉える。

その瞳の奥には、きらりの反応に対する、微かな好奇心の色が浮かんでいるように、きらりには見えた。


(クロウったら…! 私の詠唱に満足してくれたのね! フフ、愛されてる! もっと私を見て!)


彼は、静かに、きらりの隣を歩き続ける。

夜の闇が、二人を包み込む。

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