第5話:『闇の鼓動と、狙われる放課後』
星宮きらりは最近、奇妙な視線を感じていた。
学校のあちこちで。
それは、明らかにクラスメイトのそれとは違う。
獲物を狙うような、冷たい視線だった。
廊下を歩くたび。
図書館で本を広げるたび。
体育館の裏を通るたび。
まるで、見えない瞳が、常に自分を追っているかのように。
肌の表面が、ゾクリ、と冷たくなる。
空気の質が変わったような、不気味な感覚。
それは、今まで感じたことのない、異質な気配だった。
図書館の本棚の影。
古びた木の匂いがする。
体育館の、古びた壁の向こう。
埃っぽい空気が漂う。
どこにいても、視線を感じる。
まるで、肌に刺さる氷の針。
授業中も、時折、窓の外から。
誰かが、じっと見ているような。
背中に、重い視線がのしかかる。
心臓が、微かに跳ねる。
夜。
眠りにつくと、夢を見た。
黒い羽根が、舞い散る夢。
どこまでも深い闇の中。
不気味な詠唱が、どこからともなく響く。
それは、心をざわつかせる、異質な響き。
遠くで、鎖が擦れるような音がする。
皮膚の表面を、何かが這うような感覚。
ひんやりと、冷たい指先が首筋を撫でるような、錯覚。
息が、詰まる。
その夢は、現実のように鮮明だ。
夢の中に、吸い込まれていくようだ。
だけど、きらりはそれを、恐れない。
むしろ、その異変に胸を躍らせる。
「これも闇の聖女としての試練ね……!」
興奮が、胸を満たす。
フフフ、我を試すというのか!
彼女の心臓が、高鳴る。
ドクン、ドクン、と激しく打つ。
それが、闇の覚醒の予兆だと信じている。
(ついに、私が目覚める時が来たのね…! 世界が私を呼んでいる! 闇が私を求めているの! この夢は、私への啓示なんだわ!)
口元が、自然と弧を描く。
寝返りを打つたび、夢の羽根が、きらりの頬をかすめる。
その羽根は、冷たく、そして、どこか甘い香り。
深淵の誘惑。
きらりの身体は、夜の闇に溶け込んでいくようだ。
それは、まるで深い眠りへと誘う、子守唄。
だけど。
実際は、宵闇結社の遠隔探査による影響だ。
彼らは「古の鍵」の兆候を掴み、きらりを監視対象としていた。
獲物を品定めするように、じっと。
彼らの放つ精神干渉波が、きらりの夢に影響を与えていたのだ。
ターゲットの反応を、探るように。
深遠の闇から、囁きかける。
それは、獲物を惑わす、甘い毒。
---
その頃。
科学準備室では。
白衣姿の転校生、シュレディンガーが、謎の装置を設置していた。
無数のコードが、複雑に絡み合う。
壁一面に並んだモニター。
青白い光が、暗い部屋に瞬く。
カタカタと、キーボードの音が響く。
無機質な、乾いた音。
彼女はルナティック・シグマ所属の女性工作員。
その瞳は、狂気的な光を宿している。
まるで、世界の全てを暴こうとする科学者のようだ。
探求心は、常軌を逸している。
彼女は、きらりの「詠唱に反応する影」を、数理解析しようと異様に執着している。
その影の動き一つ一つを、データとして捉えようと。
量子的な揺らぎ。
エネルギーの放出パターン。
全てを、数値化する。
数式が、モニターにずらりと並ぶ。
(この影は、私の理論を証明する鍵となる…! これさえあれば、私の仮説は完璧に証明される! 人類の進化は、この手の中に! 私は、この世界の真理を解き明かすのだ!)
彼女の目的は、きらりを「異能演算機」として。
観察、研究、実験するため。
生体データを、狙うことだった。
彼女の指先が、キーボードを叩く。
カチカチと、乾いた音が響く。
無機質な音。感情は、一切ない。
彼女はきらりの通る廊下に、微細なセンサーを巧妙に設置していく。
壁のひび割れに、小さな機械を埋め込む。
天井の隙間。
床のタイル。
植物の鉢植えの影。
美術室の石膏像の裏。
誰も気づかれないように。
誰も、疑わないように。
彼女の理論では、きらりの詠唱が量子的なゆらぎを引き起こし、それが特定の異能を引き出すと考えていた。
まるで、世界を解明する、科学者。
だけど、その奥底には、冷徹な狂気が潜む。
対象への執着は、病的なレベルに達している。
彼女の顔に、わずかな笑みが浮かんだ。
それは、歪んだ知的好奇心の表れ。
---
放課後。
きらりがクロウと二人で、他愛ない会話をしながら下校していた。
夕焼けが、二人の影を長く長く伸ばす。
今日の夕焼けは、特に赤い。
まるで、血の色だ。空が、燃えている。
街路樹の葉が、風にざわめく。
カサカサと、乾いた音。
遠くで、部活動の掛け声が聞こえる。
それは、もうすぐ終わる一日の終わりを告げている。
「ねぇクロウ、最近変な夢見るの! 私、きっと新しい能力に目覚めるわ! 闇の力が、私を導いているんだわ!」
きらりの声が、弾む。
クロウは、隣で静かに聞いている。
彼の表情は、相変わらず変わらない。
ただ、きらりの言葉を、耳で捉えている。
彼の心臓の音は、規則正しい。
まるで、機械の鼓動。
彼らを物陰から狙う影がある。
それは、宵闇結社の工作員たちだ。
彼らの瞳は、暗闇に溶け込んでいる。
まるで、夜そのもの。
木々のざわめきに紛れて、彼らの息遣いが微かに聞こえる。
それは、獲物を追い詰める獣のようだ。
獲物の心音を、聞いている。
獲物の匂いを、嗅ぎつけている。
彼らはきらりの「古の鍵」の因果を、「世界を破滅させるかもしれない因果の焦点」と見ていた。
夜の闇に乗じて。
捕縛、または抹殺を計画していた。
彼らにとって、きらりは人類の脅威となりうる存在だった。
世界の均衡を崩す、危険な因子。
その存在は、消し去るべき災厄。
彼らの指先が、冷たい武器に触れる。
鈍い金属音が、闇に溶けていく。
殺意が、空気中に漂う。
風が、ヒュー、と冷たく吹く。
街のざわめきが、遠く聞こえる。
きらりの髪が、風に煽られて、ふわりと舞う。
その髪が、クロウの頬をかすめる。
---
きらりは「なんだか今日、胸の奥がざわざわするの……これも闇の鼓動かな!」と、体を抱きしめる。
体調の変化すら、厨二病的に解釈する。
彼女の心臓が、ドクドクと大きく鳴る。
その鼓動は、きらりの耳には、希望の音。
覚醒の序曲。
(フフ……“深淵の脈動(アビス・パルス)、我が魂に刻まれし真理!” いよいよ、この身体が世界の真実とシンクロし始めるわ! 私が、世界を導くの!)
彼女は、自らの身体が、これから始まる壮大な物語の幕開けを告げているのだと信じて疑わない。
夜の帳が、ゆっくりと降りてくる。
その闇は、きらりには、祝福の闇。
闇の聖女に、ふさわしい舞台。
クロウは、きらりの隣で、静かに歩いている。
彼の瞳が、闇の奥を、わずかに見据えているように、きらりには見えた。
(クロウも、私の闇の気配を感じ取っているのね! さすが私の眷属だわ!)
彼の唇が、わずかに動いた気がした。
誰にも聞こえない、小さな囁き。
(まさか、クロウが、私に話しかけてくれたの!? フフフ、素直じゃないんだから!)
彼の足元に、微かな影がゆらめく。
それは、まるで夜の闇そのもののように、静かに。
その唇の端が、わずかに上がる。
それは、誰にも気づかれない、静かな笑み。
(……次は、どう壊れる?)
その言葉が、風に乗って、夜の闇に溶けていくように、きらりには感じられた。
(クロウってば、本当に私のことが好きなんだから!)
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