空港の種族
popurinn
第1話
窓の外は、どんとりとしたねずみ色をしている。
羽田を出るとき、スマホで確認したA空港周辺の天気は雪だった。天気予報は当たったのだ。
ひどい降りにならなければいいが。
智也はスマホの画面を開いて、東北の日本海岸側の地名から、周辺の天気を探ってみた。
どの地名にも、かわいらしい雪だるまが笑っている。
もし、当初の予定どおり、一週間後に出発していれば、冬らしい、厳しくも美しい北の風景を満喫できたかもしれない。それを前倒しにしたのは、せっかくなら、四十歳の誕生日を、旅先で迎えようと思ったからだ。四十にもなって、誕生日などどこで迎えても構わないが、
「智ちゃんも少し休んできたら。ちょうど誕生日なんだし、今週なら、おばちゃんがお母さんの世話をしてあげられるよ」
そう言った映子叔母の提案に、気持ちが逸った。
映子叔母は母の七つ年下の妹で、年に一度、広島から出てきて母の世話をしてくれる。七つ年下といっても、すでに七十九で、介護されてもおかしくない年齢だが、寝たきりの母とはちがって、広島では畑仕事をするほどの元気さだ。
二人に土地のお菓子を土産に買ってこよう。
そう思ったとき、数分で空港に到着するというアナウンスが流れた。機長によれば、雪が激しいようだが、着陸には問題なさそうだ。
窓に、細かい水滴が流れはじめた。水滴は小さな虫が泳いでいるように見えた。小さな虫たちは、くねくねと曲がりながら同じ方向へ流れ、窓枠にぶつかって消えていく。それは、いくつもの細い道のようでもあり、からまっていく糸の集まりのようでもある。
けっして幸先のいい天気とは言えない。だが、智也の心は弾んでいる。
叔母が来てくれなければ、泊まりの旅行は叶わない。
やがて、機体は空港に降り立ち、シートベルトのサインが消えた。と、同時に、機内がざわつきはじめ、ぱらぱらと人が立ち上がりはじめた。
今はA市に観光客が多く訪れる時期ではなく、機内は数えるほどの乗客しかいない。
智也もおもむろに立ち上がり、降りる準備をはじめた。頭上の荷棚からリュックを取り出すために、手を伸ばす。
そのとき、なぜか、後ろが気になって、首を回した。
ひとりの男が目に止まった。
十列ほど後ろの、智也と同じ窓側の席。
男は静かに坐っていた。白く煙る窓の外を、ぼんやりと眺めている。薄い眉に弱々しい目の光、ちょっと不釣り合いなほど、ツンと高い鼻。
男が被っているチェック柄のキャップが、記憶を鮮やかにさせた。登山用でもなく、といっておしゃれな感じがするわけでもない、古臭い帽子。それがくたびれたグレーのフリースの上下に、奇妙にマッチしている。
これで、三度目だ。
智也は記憶をたどった。一度目のときは隣の席で、二度目のときは、ちょっと離れていたが、向こうがこちらの顔を覚えていて声をかけてきた。
会話がよみがえってくる。A市のどこへ行くつもりかと訪ねると、相手はこんな返事を返してきたのだ。
「どこにも行きません」
「どこにも?」
「ええ」
奇妙な答だなと、そう思った。だが、そのときは、もう会話をしたくないという合図と受け取って、それ以上尋ねなかった。
年齢は同年代のように見えた。だから気軽に話をしたのだったが、今、あの横顔を見る限り、もっと年上なのかもしれない。
いや、あのときに比べて老け込んだともいえる。智也の位置からでも、男の頭髪に白髪が混じっているのはよくわかる。
声をかけられたくない。
咄嗟にそう思ったが、遅かった。男が振り向き、あっと言うように目を見張ったからだ。
――また会いましたね。
男の目はそう言っているように見えた。
どうもと、智也は軽く頭を下げた。
それ以上会話をする気がない意思を見せたつもりで、手荷物を床の上に置いて顔を背けた。
ところが、通路に出て先を急ごうとしたとき、智也は肩を掴まれた。
「奇遇ですね」
言葉が見つからないまま相手を見つめると、男は貼り付けたような笑顔になった。
「覚えてらっしゃいませんか。比企野です。半年ほど前に、隣の席だったんですよ、まさにこの便で」
比企野。そうだ、そんな名前だった。
「まさか、あのとき」
通路の行列が動き出し、友惟は比企野とともに歩き出すしかなかった。
「あなたが有名な旅ブロガーだとは気づきませんでしたよ」
「有名だなんて――」
たしかに、智也は旅の記録を、自分のブログにアップしている。だが、閲覧回数からして、けっして有名ブロガーとはいえない。
特徴があるとすれば、気に入った土地は、二度、三度訪れていることぐらいか。
戸惑った気持ちのまま、智也は動き出した行列の流れに沿って進んだ。ボーディングブリッジから空港の建物内へ。
乗客たちはばらばらになって、それぞれに散っていったが、男は智也から離れようとしなかった。
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